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一歩ずつ

視覚障害者の主婦です。ブログをとおして、皆さんとの出会いを大切に一歩ずつ、絆を深めたいと思っています。

一歩ずつ(下)「毎日新聞より」

2010年05月10日 | 視覚障害者
今回がこのシリーズの最後。
この記事では中途失明者の復職を中心に書かれている。
私は少し状況が違うが、来年の春に一つの転機を迎えることになる。
それは吉と出るか凶と出るかはまだまったくわからない。
一抹の不安を抱えて過ごしている。
理解ある上司、同僚のもと実現できている復職。
私はお払い箱の可能性が高いからだ。

一歩ずつ(下)
優しい心、児童に運ぶ

記憶をたどりながら校舎内で歩行訓練する一井鳴海さん=京都府福知山市の市立雀部小学校で、森田剛史撮影 「やっぱり、この場所や」。京都府福知山市の小学教諭、一井鳴海(いちいなるみ)さん(33)は、復職を心に強く決めた。病気で失明し、約1年が過ぎた休職中の06年秋。京都市内の小学校の教室でのことである。
 教室では同じく失明した知人が講演した。一井さんは残りの5分をもらい、失明後の体験を語った。4年生の児童の熱気を肌で感じ、教室の景色を懐かしく思い出した。
      
 中学時代の恩師にあこがれ、99年福知山市で教壇に立った。職場結婚し、4歳になる次男が生まれた翌05年春ごろ、人の顔の表情が見えにくいのに気づいた。29歳だった。
 治療に専念しようと決め、病気休暇を取得。「すぐに帰ってくるからな」。クラスの児童に伝えた。だが、病気は完治せず、その年の夏、全盲になった。
 多くの失明者と同じように「一時は自殺も考えた」と振り返る。生きる意味を見失った日々が続いた。しかし、風呂で洗う2人の息子の体が日に日に成長するのを、手のひらに感じた。家族の懸命の支えと、障害のある仲間との出会いで、少しずつ現実を受けいれてきた。
 06年春から1年半、リハビリ施設で、点字や白杖(はくじょう)での歩行を身に着けた。音声で読み上げる機能付きのパソコンにも習熟した。
 現在、学校に週1回通い、パソコンや校内歩行に取り組み、春からの復職を目指す。「優しい心を運べる子どもを育てたい」。一井さんは、障害のある教師が教壇に立つ意味は大きいと信じている。
      
 在職中に失明や弱視になった時、大きな課題が仕事の継続だ。全国を対象に、中途視覚障害者の復職活動の支援をしているNPO「タートル」(東京都新宿区、http://www.turtle.gr.jp/)理事長で全盲の下堂薗(しもどうぞの)保さん(68)は「雇用側の障害への無理解が最大のバリアー」と指摘する。
 従来の伝統的な「あんま・はり・灸(きゅう)」だけでなく、IT技術の発達によって、視覚障害者の職域は事務部門を中心に広がっている。タートルでも年間20人程度がスーパーや建設会社などで職場復帰を果たしている。「失明者は文字処理ができない、という誤った先入観をただすのが、雇用継続の第一歩」と下堂薗さんは言う。
 厚生労働省職業安定局の工藤正一・障害者雇用専門官は「ハローワークを中心に、眼科医や障害者団体らチームによる連携した復職支援が一層求められる」と語る。

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