キリスト教歳時記335 12月1日
B今日の福音
ヨハ19:12-15 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。
C今日の暦
1521年 レオ10世帰天(在位1513年-)。 ルネサンス期教皇。メディチ家出身。前教皇が着手したサン・ピエトロ大聖堂の建設を引継ぎ、ミケランジェロ、ラファエロらの芸術家のパトロンとなる。1517年にサン・ピエトロ大聖堂建設資金のため、ドイツでの贖宥状販売を認め、ルターによる宗教改革の直接のきっかけに。行列や宴会など贅沢好きで浪費を繰り返し、ルターにローマは「新しきバビロン」と非難された。45歳で急死。
1858年(安政4年) 植村正久帰天(-1925年)。牧師、田村直臣、松村介石、内村鑑三と共にキリスト教界の四村と呼ばれた。日本基督教会、プロテスタントの指導者。
1976年 ラジオ・ベリタス、日本語放送開始(-1992年)。フィリピンにあるカトリック系列のラジオ放送局。エドゥサ革命の際は、コラソン・アキノについてマルコスに反旗を翻したエンリレ国防相・ラモス参謀長への支援を呼びかける放送をした。
1988年 12月1日を世界エイズデーに。 世界保健機関 (WHO) がエイズ問題への人々の意識を高めることを目的として制定。
W今日の言葉 皇帝 カイサロス(ギリシア語)、カエサル(ラテン語)
時の皇帝はティベリウス(14-37年在位;アウグストゥスの義子。属州統治、財政立て直しに努力)。暴君のため、ピラトはユダヤ人の言葉に恐れをなした。
ユダヤ人にとり神こそが王で、皇帝を王として内心として認めたりはしていなかった。しかしここでは、群集がイエスよりバラバを選んだように、王としてイエスでなく、ティベリウスを認める。
Pワンポイント 過越祭の準備の日の、正午ごろ
この時刻に、過越の小羊のが始まる。イエスは旧約時代の過越の小羊に代わり、真の過越の小羊として、十字架でほふられることになる(→10月13日W 小羊)。
「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです(Iコリ5:7)」。
今日の祈り
キリスト教歳時記336 12月2日
B今日の福音
マタ27:24-26 ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタ27:31-32【十字架につけられる(マコ15:21ー32、ルカ23:26ー43、ヨハ19:17ー27)】このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。
C今日の暦
1859年 ジョン・ブラウン処刑される(1800年-)。アメリカの奴隷制度廃止運動家。初めて反乱を唱道し実行した。
1942年 シカゴ大学内の実験用小型原子炉で、世界で初めてウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功。原子炉の日となる。
1949年 国連総会決議「人身売買および他者の搾取の禁止に関する条約」が採択。奴隷制度廃止国際デーとなる。
2001年 アメリカの大手エネルギー会社、エンロンが経営破綻。巨額の不正経理・不正取引による粉飾決算が明るみに出て。
W今日の言葉 十字架刑
ローマ法の死刑の中でも最も残酷な刑罰。 ローマ市民権を持たない奴隷などが、ローマ皇帝、または帝国に対し、反逆罪を犯した場合に適用された。十字架の横木だけで60キロあるといわれる。
十字架刑に処す前には、習慣として鞭打ちを行った。これは死を早めるためである。裸にして柱に縛り、先端に鉛のついた長い革ひもや鎖で、鞭打った。ユダヤの律法では鞭打ちの回数は40を超えてはならないと決まりがあるが(申命25:3)、ローマ法ではそのような制限はない。
※シモンという名前のキレネ人 キレネはギリシアの対岸アフリカ北岸の町。多くのユダヤ人が居住(使徒2:10)。今日のトリポリ。
次の記述などからのちに信者となったとされる。
「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人(マコ15:21)」
「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです(ロマ16:13)」。
Pワンポイント 群衆の前で手を洗って
ピラトには責任がないことを群集の前で知らせるため、ユダヤ人にも異邦人にも知られる手洗いの式を行う。
「死体に最も近い町の長老たちは皆、川で首を折られた雌牛の上で手を洗い、証言して言わねばならない。「我々の手はこの流血事件とかかわりがなく、目は何も見ていません。主よ、あなたが救い出されたあなたの民、イスラエルの罪を贖い、あなたの民、イスラエルのうちに罪なき者の血を流した罪をとどめないでください(申命21:6-8)」。
今日の祈り
キリスト教歳時記337 12月3日
B今日の福音
ルカ23:27-32 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
C今日の暦
○日本の宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエル司祭(1506-1552年)。スペイン北で生まれる。パリの大学で哲学の助教授となるが、そこでイグナチオ・デ・ロヨラと友となり、キリストに生涯をささげるよう誘われた。10人の仲間とともにイエズス会の創立に参加。叙階後、インド、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど宣教。マラッカで日本人ヤジロウに会い、1549年8月15日鹿児島に渡る。支配者に回収させることが近道との方針で、京都の将軍、山口の大内義隆から布教の許可を得た。さらに中国に渡ろうとして病に伏した。 遺体がインドのゴアに安置され、腐敗からまぬかれている。
311年 ディオクレティアヌス没(244年-)。ローマの最後の軍人皇帝。専制君主制を行い、四分治世を行った。キリスト信者を迫害した最後の皇帝。
1930年 フランシスコ会士、沖縄での宣教を始め、沖縄教会を創立する
1940年 岩下壮一神父帰天(1889年-)。 東京帝国大学哲学科を卒業後、欧米に留学。カトリック司祭となり、宣教とハンセン病患者に尽くす(1930年神山復生病院6代目院長)。中心となって作った公教青年会は、1920年に『カトリック』を創刊。また「カトリック新聞」の前身『公年會々報』を発行。1933年学生指導のため聖フヰリッポ寮を設立し、それが今の真生会館(四谷)。
記念日・年中行事[編集]
1982年 「障害者に関する世界行動計画」が国連で採択。国際障害者デーとなる。
W今日の言葉
※婦人たち イエスに仕えてきた婦人たち(ルカ8:1-3)
※子を産めない女 「主よ、彼らに与えてくださいあなたが与えようとされるものを。彼らに与えてください子を産めない胎と枯れた乳房を(ホセ9:14)。
※山に向かっては 「アベンの聖なる高台このイスラエルの罪は破壊され、茨とあざみがその祭壇の周りに生い茂る。そのとき、彼らは山に向かい「『我々を覆い隠せ』、丘に向かっては「『山に向かっては我々の上に崩れ落ちよ』と叫ぶ(ホセ10:8)」。
Pワンポイント 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなる
霊に満たされ生き生きしている神の子イエスがこのような苦しみを負わされるなら、霊的に枯れている罪多きユダヤ人は、どれだけの罰を受けるだろう。実際に、40年後、エルサレム崩壊(70年)で実現する(→1月19日※ イスラエルの簡単な歴史)。
今日の祈り
キリスト教歳時記338 12月4日
B今日の福音
マコ15:22-25,27-28 そして、イエスをゴルゴタという所--その意味は「されこうべの場所」--に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。[こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。]
ルカ23:34 そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
C今日の暦
1563年 トリエント公会議(第19回公会議)、ピウス4世のもと閉会。 教皇パウルス3世により宗教改革の危機を克服するため1545年に開かれた。2009年 京都朝鮮学校公園占用抗議事件
W今日の言葉
※ゴルゴタ (<グルグルタ;アラム語)。されこうべの場所。 ラテン語では「カルバリオの場所」。
※没薬を混ぜたぶどう酒 「苦いものを混ぜたぶどう酒(マタ27:36)」(胆汁を混ぜた;フランシスコ会訳)。強く、麻酔作用がある酒で処刑前に飲むと苦痛がやわらげられる。鞭打ちですでに傷ついているイエスはそれを飲む余裕もなかった。
「人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします(詩編69:22)」。
※その人は犯罪人の一人に数えられた 「それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった(イザ53:12)」。
※彼らをお赦しください 彼らとはイエスを刑に定めたユダヤの宗教指導者、ユダヤ人のことだろう。 なおキリストの弟子の最初の殉教者、ステファノも同じように祈った。
「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ(使徒7:59-60)。
Pワンポイント トレント公会議
「聖書のみ」という主張を退け、聖書と聖伝が教えのよりどころとした(聖書も教会の中で成立し、教会が範囲を定めた)。(→5月13日P)
ヴルガータ訳(ラテン語)が公式聖書。ルターが省いた第二正典は正典(旧約の後期、ギリシア語で書かれたもの)。
義化の問題。「救いは恩寵のみによる」の主張に対し、恩寵が義化の根本と認めつつも、人間の協働に意味を認めた。
7の秘跡の確認(洗礼、堅信、聖体、ゆるし、終油、叙階、婚姻)。(→1月27日W洗礼)
聖体に関し、聖変化によってパンとワインがキリストの体と血になる(実体変化)と確認。
(イエス自身がはっきりと、わたしの体、わたしの血と言っている。マタ26:26、Iコリ11:24)。
贖宥状の販売や金銭による取引を禁止しつつも、依然「免償(贖宥)」の意義は保たれる。
聖人、聖遺物の崇敬、煉獄や諸聖人の通効(交わり、執り成し)などの教義は有効。
今日の祈り
キリスト教歳時記339 12月5日
B今日の福音
ヨハ19:19-24 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
C今日の暦
1791年 アマデウス・モーツアルト没(1756年-)。 オーストリアの作曲家。ハイドン、ベートーヴェンと並ぶウィーン古典派三大巨匠。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷作曲家。リューマチ熱により死亡? 死の間際病者の塗油は拒んだ。フリーメーソンもパトロンだった。
宗教音楽としては『ミサ曲ハ短調』『「レクイエム(未完)』『アヴェ・ヴェルム・コルプス』など。
1955年 アメリカ・アラバマ州で、マーティン・ルーサー・キング牧師(1929-1968年;バプテスト派)の指導で黒人差別反対の非暴力バス・ボイコット運動開始。1年続く。(→1月15日C)。 白人に席を譲るのを拒否した黒人女性が逮捕されたことを機に。
1963年「I Have a Dream(私には夢がある)」と人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を演説(→8月28日C)。
1968年 暗殺される(4月4日C)。
その41年後、アメリカ人とケニア人の混血であるバラク・オバマが大統領に就任(夫人は黒人奴隷の子孫)
2013年 マンデラ帰天(1918年-) 「あまりにも長く続きすぎた異常な人災の経験からは、全人類が誇りに思うような社会が生まれるに違いない」(→6月12日C)
W今日の言葉 服を分け合った
死刑執行者は処刑された人が残したものを処分する権利を持っていた。
「骨が数えられる程になったわたしのからだを彼らはさらしものにして眺め わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く(詩編22:18-19)」。
Pワンポイント イエスの十字架こそ命の木
「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた(創世2:9)」。
「主なる神は言われた。『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。』主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこからとられた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた(創世3:22-24)」。
今日の祈り
キリスト教歳時記340 12月6日
B今日の福音
マタ27:35-36 彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。
マタ27:39-44 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
C今日の暦
○聖ニコラオ司教(-336年)。トルコの司教。ニカイア公会議に参加し、貧しい人に心を配り、ローマ帝国の迫害で投獄され、拷問を受けた。
まだ信者だった頃、身売りを決めた3人の娘の家の窓に、金袋を投げ込み、身売りをしなくてすんだ。
オランダで子どもに贈り物を送る日(オランダ語読みで、シンタ・クラース)。その習慣がアメリカに持ち込まれた時、なまってサンタクロースと呼ばれるように。 カトリックの典礼歴からは外されている。
1921年 大英帝国内の自治国としてアイルランド自由国の建国が決定。
W今日の言葉 神の子なら
「本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。敵の手から救い出されるはずだ(知恵2:18)」。
「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう(詩編22:9)」。
「わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る(詩編22:8)」。
神に創られたものでしかない人間が、神に対して、条件を満たせば、信じてやろうと、神の上に立って取引しようとする(→3月15日P)。
これはイエスが、(神になることを願って天使から悪魔に堕落したその)、悪魔から誘惑に際にかけられた言葉でもある。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ(ルカ4:3)」(→1月31日P)。
ここに原罪に汚された人間の姿がある。「蛇は女に言った。 『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。』女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた』(創世3:4-6)」。
Pワンポイント 原罪
人祖アダムとその妻エバは、蛇に姿を変えた悪魔によって、エデンの園で誘惑され、神によって食べることを禁じられた木の実を食べた。神のように善悪を知り、賢くなることを望んだからだ。その結果、神との緊密な関係、また人間同士の完全な信頼関係がくずれ、人間には死が入りこむようになった。この罪はその子孫である全人類に及んでいる。
こうしてアダムの神への背きの罪のために、死が人間に入った。
しかしイエスは、ゲツセマネの園で試練に打ち勝ち、神への従順(それも十字架に死に至るまでの従順;フィリ2:8)を貫いた。それによって永遠の命が再び人間に回復されることになる。「最初の人アダムは命のある生き物となったと書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです(Iコリ15:45)」。
今日の祈り
キリスト教歳時記341 12月7日
B今日の福音
ルカ23:39-43 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
C今日の暦
○聖アンブロジオ司教教会博士(340-397年)。 ドイツで生まれ、ローマで勉学に励み、北イタリアで執政官となる。347年ミラノ在住でまだ非信者だったとき、信者が「アンブロジウオを司教に」と叫びだした。逃げ回ったが、結局、受洗し、司教に選出された。
以後誠実に職務を果たし、教会の権利を皇帝に対し力強く擁護した(皇帝は教会の上ではなく、教会の中にいる)。
アリウス派(次の皇帝がアレイオス派でアンブロジオを逮捕しようとした)に対して、正当な信仰を守った。
1798年 スイスの教育者ペスタロッチ(1746-1827年)が孤児院を開設。
ルソーの自然主義思想の影響を受け、自発性、直感を重視しつつ、孤児、児童教育にささげた。宗教的、道徳的心情を中心とした諸能力の調和的発展を教育の目的とし、実践した。
1965年 カトリック教会、東方教会との対立解消(教皇パウロ6世とコンスタンディヌーポリ総主教が911年にわたる相互の破門を解消)。
(→1月5日P 東西教会が分かれた理由、4月12日C)
W今日の言葉
※楽園 パラディソス
楽しみの場所。永遠の平安と幸福に満ちた場所。
「勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう(黙示2:7)」。
ギリシア語旧約聖書ではエデンの「園(創世2、創世3)」でも使われる。
「この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた(ルカ16:22)」。
※「御国においでになるときには(新共同訳)」 「み国に入られるとき(フランシスコ会訳)」
「御国の権威をもっておいでになる時には(口語訳)」「御国の位にお着きになるときには(新改訳)」
Pワンポイント
十字架上の7つの言葉
父よ、彼らの罪を許してください。 ルカ23:34
あなたは今日私とともに楽園にいる ルカ23:43
女よ、これがあなたの子です。 ヨハ19:27
わが神わが神どうして私を見捨てられるのか マタ27:45 マコ15:34 詩編22:2
乾く ヨハ19:28
成し遂げられた。 ヨハ19:30 詩編22:31
父よ、あなたの手に私の霊をゆだねます。 ルカ23:46
今日の祈り
キリスト教歳時記342 12月8日
B今日の福音
ヨハ19:25-27 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
C今日の暦
○無原罪の聖マリア 1854年にピウス9世により宣言された。「人類の救い主キリスト・イエスの功績を考慮して、処女マリアは、全能の神の特別な恩恵と特典によって、その恩宿りの最初の瞬間において、原罪のすべての汚れから前もって保護されていた」。
マリアは恵みに満ちている(ルカ1:28)ので、神から特別に、存在の最初の瞬間から、あらゆる罪から守られた。マリアが神(=イエス)の母であることにももとづく。そしてこれはしみもしわも汚れもない聖なる教会(エフェ5:27)の前表とされる。
1869年 第1バチカン公会議開会。この中で教皇不可謬性を宣言
1941年 マレー作戦・真珠湾攻撃(日本時間)。日本が米英に宣戦布告。
1965年 第2バチカン公会議閉幕
1980年 ジョン・レノンが、ニューヨークの自宅前でファンに射殺される。
W今日の言葉 母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた
「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた(マタ27:56)」。「マグダラのマリア、小ヤコブとヨセフの母マリア、そしてサロメがいた(マコ15:40)」。
使徒小ヤコブとヨセフ(イエスの従兄弟にあたる)の母マリア。 ゼベダイの子ら(使徒ヨハネと使徒大ヤコブ)の母マリア・サロメ
マリアたちは、十字架のイエスの元でしっかり立って最期を見届ける。けっして泣き崩れて、しゃがみこんだりしない。
その姿(スターバト・マーテル Stabat Mater;母は立っていた)はさまざま作曲されている。
ジョスカン・デ・プレ(16世紀)、パレストリーナ(1590年)、ヴィヴァルディ(1715)、スカルラッティ(1724)、ペルゴレージ(1736)、ハイドン(1767)、シューベルト(1815-6)、ロッシーニ(1837)、グノー(1867)、ドヴォルザーク(1877)、ヴェルディ(1898)、シマノフスキ(1926)、プーランク(1950)、ペンデレツキ(1962)、アルヴォ・ペルト(1985年)
Pワンポイント
アダムとエヴァの罪以降、すべての人間は原罪を負うようになった。これを滅ぼしたのはイエスの十字架の贖いの業によってのみである。マリアの場合はこのイエスの贖いの業を、前もって受け、原罪からマリアを守ったのである。
古代教父(リヨンのエイレナイオス、4世紀エルサレムのキュリロス、、ヒッポのアウグスティヌスやアンティオキアのアタナシオス)が第二のエヴァとしてのマリア、至聖なるマリアについて触れていた。カトリック教会ではすでに7世紀からこの祝日が知られていた。
無原罪のマリアについて、これを認めるドン・スコトゥス(1264-1308年)らフランシスコ会とそれに反対するアクィナスらドミニコ会との間で、12,13世紀から長い論争が続いた。ピウス9世は教皇は、あらかじめ世界の司教から意見を聴取し、賛同を受けた上で、この長い論争に決着をつけ、信仰箇条として宣言した。
今日の祈り
キリスト教歳時記343 12月9日
B今日の福音
マタ27:45-47【イエスの死(マコ15:33ー41、ルカ23:44ー49、ヨハ19:28ー30)】さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
ヨハ19:28-30 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
C今日の暦
1531年 メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴの前に聖母が現れた。聖母は、司教に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えるよう求めた。病気の親類の助けを求めていこうとしていたディエゴがふりきって去ろうとすると、聖母は彼を制止し、親類の回復を告げ、実際癒されていた。聖母から「司教へしるしとして花を持っていくよう」いわれたディエゴは、花をマントに包み、司教館に運んだ。司教館に花を届けた際、マントには聖母の姿が映し出されていた。これを機に六百万の先住民をが洗礼を受けた。
フランスのルルド、ポルトガルのファティマと並ぶ公認された聖母の出現の出来事(→2月13日P 聖母の出現)。
1867年 ジラール神父帰天。パリ外国宣教会のフランス人宣教師。沖縄で日本語を学び、初代フランスの通訳を務めた。
1916年 夏目漱石(1867年-)。小説家。近代人の孤独や不安、エゴイズムを追及。晩年は則天去私の境地を求めた。
『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こころ』『明暗』
W今日の言葉
※三時 過越の祭りの前日の金曜午後三時は、神殿で、小羊が祭司によりほふられる時でもある
※わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか 「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉を聞いてくださらないのか(詩編22:2)」。
※暗くなり ニサンの月の満月だったから日食のような自然現象でなく、奇跡によるもの。
闇は苦悩の象徴(哀歌3:2)で、罪人に対する呪いと罰の意味が含まれる。
「災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない(アモ5:18)」。
※(酸い)ぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
「人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします(詩編69:22)」。
※成し遂げられた 請求書で完済されたときに使う商売用語
Pワンポイント 詩編22
「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。わたしの神よ、昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。 」(2-3)
「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。 わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら、助けてくださるだろう。』」(7-9)
「雄牛が群がってわたしを囲み、バシャンの猛牛がわたしに迫る。餌食を前にした獅子のようにうなり、牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。」(13-14)
「わたしは水となって注ぎ出され、骨はことごとくはずれ、心は胸の中で蝋のように溶ける。…骨が数えられる程になったわたしのからだを、彼らはさらしものにして眺め、わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。」(15-19)
「主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ、今すぐにわたしを助けてください。 」(20)
「わたしは兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します。 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。」(23ー24節)
「主は貧しい人の苦しみを、決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく、助けを求める叫びを聞いてくださいます 」(25)
今日の祈り
キリスト教歳時記344 12月10日
B今日の福音
ルカ23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
マタ27:51-56 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
C今日の暦
1520年 ルターが、自説を撤回しなければ破門するとの教皇レオ10世による警告文書を焼く。
1901年 田中正造が足尾銅山の鉱毒事件について明治天皇に直訴。
1948年 国連総会で「世界人権宣言」を採択。これを記念し、1950年から世界人権デーと定められる。
1968年 カール・バルト(1886年-)。スイスの神学者。その思想は弁証法神学や危機神学、あるいは新正統主義と呼ばれ、20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えた(バルト自身は自らの神学を「神の言葉の神学」と呼んでいる)。1934年、ナチス・ドイツの政策に従うドイツ福音主義教会に対して、告白教会の理論的指導者となり、バルメン宣言を起草した(→4月30日P ヒトラーとキリスト教)。
W今日の言葉
※父よ、わたしの霊を御手にゆだねます
アダムはエデンの園で神に逆らい死をもたらした。イエスはゴルゴダで神に従いきって命をもたらした
「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください(詩編31:6)」。
※垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け
神殿には2つの垂れ幕があった。一つは至聖所の入り口、一つは聖所の入り口にあった。
すべての人間が、イエスの犠牲に、神と和解し、至聖所に近づくことができるようになったこと。あるいは大祭司しか入れなかった至聖所に、これからは誰もが入り神に近づくことができることを意味する(ヘブ9:6-14、ヘブ10:19-20)。
※多くの聖なる者たちの体が生き返った イザ26:19、ダニ12:2、エゼ37
※本当に、この人は神の子だった(→2月22日P イエスの正体)
ここは異邦人の告白あり、「神そのものだった」「人間以上のものだった」「正しい人だった」「イエスのほうが正しかった」。いずれに取ることも可能だろう。
「百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人だった』と言って、神を賛美した(ルカ23:47)」。
Pワンポイント 墓
世界は聖なる神の領域と俗なる人間の領域の緊張からなると思われた。そしてこの領域の中間である砂漠、川、山、荒野、墓場に悪霊が住むと考えられた。
今日の祈り
キリスト教歳時記345 12月11日
B今日の福音
ヨハ19:31-37【イエスのわき腹を槍で突く】その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉を実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。
C今日の暦
1637年 島原の乱始まる(-1638年) 原城陥落をもって終結(原城は元和の一国一城令で廃城となっていた)。
島原藩主は島原城建設による財政逼迫により苛政を敷いた。年貢を納められない農民や改宗を拒んだキリシタンを拷問・処刑。これに対し農民一揆が起こった。島原半島から天草に飛び火、島原城・富岡城を襲撃した。天草と合流約3万7千人が原城に立て籠もった。小西行長の家臣の子孫、天草四郎を総大将に、組織だった籠城戦を展開し、幕府軍と戦闘。3か月に及ぶ籠城は補給もなく、弾薬・兵糧が尽き壊滅。皆殺しにされ、原城は徹底的に破壊された(この際一揆軍はイエズス会と縁の深いカトリック国ポルトガルの援軍を期待したと考える研究者もいる)。 島原藩主も苛政により乱を引き起こした責任から、大名として前例ない斬首にされた。
単なる宗教弾圧に対する抵抗運動ではなく、また武器を持って戦っているので、これに加わったキリスト者は殉教者とはみなされない。
1946年 国際連合児童基金(ユニセフ)発足。児童への援助、食事提供、結核予防、栄養知識の普及など保健活動を行う。
1983年 教皇ヨハネ・パウロ2世、歴代教皇としてはじめてローマにあるルーテル教会を訪問。
W今日の言葉
※準備の日 安息日(土曜夜から始まる)の前で、安息日のためにすべての準備をしなければいけない日(→2月24日W 日が暮れると)。
※遺体を十字架の上に残しておかないため ローマの習慣では、十字架に架けられた罪人の体はそのままさらされていた。しかし請願があれば死体は引き渡された。またユダヤの律法では、十字架上にさらしておくことはできなかった。
「ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない(申命21:22-23)。」
※足を折って 死を早めるためにそうした
※死んでおられたので、その足は折らなかった
イエスは旧約の過越の小羊に代わる新約の過越の羊。「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです(Iコリ5:7)」。
それで「その(過越の犠牲の羊)骨を折ってはならない(出エジ12:46)」の規定が結果として守られた。
※血と水 洗礼と聖体を象徴する
※その者 著者とされるヨハネ
※彼らは、自分たちの突き刺した者を見る 「彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ(ゼカ12:10)」。
今日の祈り
キリスト教歳時記346 12月12日
B今日の福音
マコ15:42-45【墓に葬られる(マタ27:57ー61、ルカ23:50ー56、ヨハ19:38-42)】既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。
ヨハ19:39 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
マコ15:46 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。
ルカ23:55-56 イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。
C今日の暦
1901年 マルコーニがイギリス・カナダ間(3400キロ)の大西洋横断無線通信を成功させる。
1956年 日本の国連加盟が安保理の全会一致で決定。
1988年 岩波書店が絵本『ちびくろサンボ』を絶版とする。
W今日の言葉
※アリマタヤのヨセフ 身分が高く、金持ち(マタ27:57)で善良な正しい人(ルカ23:50-51)。ニコデモと共に、議員としてイエスの裁判にて「同僚の決議や行動に同意しなかった(ルカ23:50f)」。最期にあたり勇気を出して、公に信仰を言い表した。
※ニコデモ(→6月24日W)
※布でまき 通常死体は洗い清められ、没薬や香料を塗って、亜麻布に包んで葬られた(→8月25日W 布)。イエスの場合は日没には安息日が始まるので、ていねいに洗い清める暇がなかった。とりあえず没薬と香料と共に亜麻布に包んで葬った。トリノに保存された聖骸布はこの亜麻布と言われる。
※沈香 香料の一種
※百リトラ 30キログラム。
※墓 ヨセフが自分のため岩を掘って作った横穴式のもの。刑場に近かった(ヨハ19:42)。入口は大きな石一つでふさいだ。これは腐敗臭が漏れたり、動物によって遺体が荒らされないようにするためである。(→8月23日W 墓)
Pワンポイント トリノの聖骸布
縦4.36m、横1.1m。象牙色の布の上に、痩せた男性の全身像がネガ状に転写されているように見える。裏には当て布があてられ、はがすと人物の姿は見られず、血の染みのみが見られる。布上に残された全身像の痕跡から、頭を中心に縦に二つ折りにして遺骸を包んだと見られ、頭部、手首、足、脇腹部分には血痕が残っている。 真偽について決着はついていない。
今日の祈り
キリスト教歳時記347 12月13日
B今日の福音
マタ27:62-66【番兵、墓を見張る】明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
C今日の暦
○聖ルチアおとめ殉教者(4世紀)。ディオクレチアヌス帝のキリスト教迫害の時代に、シチリア島で殉教。
母と二人で裕福に暮らすが、病気の母のため聖アガサの墓に巡礼したところ、癒された。そこでルチアは自身を神にささげる決心をするが、婚約者にキリスト者と密告されとらわれた。拷問で目をえぐられた。 ナポリの港サンタルチアの名称はこの聖人に由来。
1294年 教皇ケレスティヌス5世が半年で自ら教皇を退位(以後自らの意志で退位したのは719年後のベネディクト16世のみ)。 2年間紛糾のため教皇座空位が続き、不本意ながら教皇に選出された。次期教皇を狙っていたカエターニが、部下に教皇の寝室に伝声管を引かせ、毎晩「ただちに教皇職を辞し、隠者の生活に戻れ」と言わせ、神経衰弱に陥れられたとされる。
1901年 中江兆民(1847年-)。思想家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)。フランス、ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介し自由民権運動の理論的指導者となった。
1937年 日本軍が南京を陥落させ、南京攻略戦が終結。
1545年 トリエント公会議開始
1988年 日本司教協議会臨時総会で、典礼書および司教団文書の「イエス」表記を決議。それまでカトリックでは「イエズス」を使っていた。
W今日の言葉 封印
墓をふさぐ岩に綱を張って端にろうそくをたらし、そのロウの上に印を彫刻した。
Pワンポイント 番兵がいるはずだ
「番人がいるから(口語訳)」、「番兵を出してやるから(新改訳)」、「番兵を与える(フランシスコ会訳)」
ユダヤ人には下役たちがいた(→6月21日W)。さらにピラトがすでにユダヤ人のために貸し与えているローマ兵を、そのために使用してもいいと許可を与えたとも解釈できる。
今日の祈り
キリスト教歳時記348 12月14日
B今日の福音
マタ28:1-4【復活する(マコ16:1ー8、ルカ24:1ー12、ヨハ20:1ー10)】さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
C今日の暦
○聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士(1542-1591年)。スペインで生まれる。21歳でカルメル会入会。女子修道会の改革を始めていたアビラの聖テレジアと協力し、1568年男子カルメル会の改革に着手。改革に反対する人々により9ヶ月牢に入れられた。なお改革を進め、最後は意見の違いから役職を解かれ、一修道士として帰天した。
1799年 ジョージ・ワシントン没(1732年-)。アメリカの軍人、政治家、黒人奴隷農場主、初代大統領。対英国との独立革命を勝利に導き、連邦政府の基礎を確立した。
1987年 ハマース(イスラム抵抗運動)設立。イスラーム主義を掲げるパレスチナの政党。ムスリム同胞団のパレスチナ支部を母体として創設された。パレスチナ占領地で半イスラエル闘争を続けるイスラエル原理主義組織。 全パレスチナの解放を目指し、武装ゲリラ活動、爆弾テロ、砲撃を行う。中東和平交渉に反対、パレスチナ解放機構とも対立。2007年ガザ地区を武力制圧し、イスラム教に基づく福祉、教育、医療活動を行い、ガザ地区を初め、多くのパレスチナ人から支持を得ている。
1973年 豊川信用金庫事件(短期間に約26億円もの預貯金が引き出された)。そこに就職が決まった女子高生に友達が「(強盗が来る心配があるから)危ない」とからかったのが発端だった。
2006年 教皇ベネディクト16世、ギリシャ正教会の指導者クリストドゥロス・アテネ全ギリシャ大主教と完全な一致に向けて共同宣言。
W今日の言葉
※週の初めの日
ユダヤ人にとり、1週間は安息日である土曜日で終わった。 日曜日は週の初めの日と呼ばれた。
キリスト教はやがて、このイエスが復活した日曜日を「主の日(黙示1:10)」として大切にするようになり、土曜の安息日の代わりに守るようになった。
「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると(使徒20:7)」
※石をわきへ転がし 復活した栄光の体を持つイエスは、墓をふさぐ石によって妨げられることはない(ヨハ20:26)。むしろ女たちや弟子たちが、墓を確認できるようにした。
Pワンポイント 復活①
聖書は、イエスを葬った墓が空となったこと。天使が証言したこと。イエスが弟子たちに出現したことをもって、イエスの復活を描く。
今日の祈り
キリスト教歳時記349 12月15日
B今日の福音
マコ16:1-4 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。
ヨハ20:2,そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
C今日の暦
1898年 アトンメントのフランシスコ女子修道会、アメリカ(ニューヨーク)で聖公会修道会として創立
ハイチャーチ(カトリックに近い立場でローチャーチと区別される)の神学を信奉していた聖公会ワトソン神父による。聖公会とカトリック教会との一致を願って活動を始めた。当時の聖公会では受け入れられず、活動の場も段々と狭められていった。ついにワトソン神父はカトリックに帰属することを決意し、1909年にカトリック教会に受け入れられ、カトリックの修道会として再出発することになる。
1945年 GHQが神道指令を発令、神道と国家が分離され国家神道が廃止される。
1889年の勅令によって全ての学校での宗教教育が禁止され、「宗教ではない」とされた国家神道は宗教を超越した教育の基礎とされた。翌1890年教育勅語が発布され、国民道徳の基本が示され、国家神道は宗教・政治・教育を一体のものとした。
1989年 国連総会で死刑廃止条約が採択される。
W今日の言葉
※サロメ(→12月8日W)
※イエスが愛しておられたもう一人の弟子 ヨハネのこと(→11月19日W もう一人の弟子)
Pワンポイント 復活②
最初にイエス様の復活を確信できた人。それは弟子、側近の人にもまったくいなかった。
最初に復活したイエスが現れたとされるマグダラのマリア。彼女も墓から遺体がなくなっているのを見て、「遺体が盗まれた」としか考えられなかった。
弟子は「イエス様が復活した」と証言する婦人たちを嘲笑って、自分たちの目の前に現れるまで信じなかった。復活を初めから確信していた強い弟子などではなく、皆、復活のイエスに実際に会うまで、すっかり落胆し、絶望し、部屋に鍵を掛けて閉じこもるだけだった。弟子の一人トマスにいたっては、残りの使徒たちが「イエスは確かに復活した」といっても、自分に現れていなかったため、最後まで否定し続けていた。
今日の祈り