マンガは五官をだめにする! (東海戯言)

気ままに読んだマンガのことを。タイトルは『チョコレート工場の秘密』の「テレビは五官をダメにする」から

宮代忠童 『マンガ 零戦の撃墜王』

2005年03月10日 | ないてしまう
「大空のサムライ」への入門編



太平洋戦争期の軍用機数ある中でもっとも有名なのは零戦(れいせん:零式艦上戦闘機。ゼロ戦とは呼ばないで!)でしょう。
そして数ある撃墜王(エース)の中でもっとも有名なのがこのマンガの主人公、坂井三郎氏です。
エースとは5機以上撃墜したものにのみ与えられる称号です。
わずか5機、とは言わないでください。敵味方文字通り必死になって撃ち合う戦場で、撃墜数(スコア)を伸ばしてゆくのがどれほど大変か。私にもまったく想像できません。が、並大抵のことではないでしょう。
坂井さんは200回以上出撃して大小64機を撃墜。これは決してトップの記録ではありません。
しかし坂井さんは列機(一緒に出撃した部下の飛行機。坂井さんは3機編成の小隊長を務めることが多かった。)を一度も失ったことがないというとんでもないこともやってのけたのです。
そして
「もとより生還を期せず」
「生きて捕囚の辱めを受けず」
と失敗すれば死ぬことが当たり前、人の命のものすごく軽き当時、
「生還してこそ真の勝利者である」
との信念を持ち、自身もガダルカナル上空で瀕死の重傷(銃弾が頭をかすめ、左半身不随.
後に右目を失明)を負いながら「不撓不屈」の精神で1000キロ以上の道のりを耐え、見事帰還したのです。

戦後、戦犯になることを覚悟で回想録を出版。これが後に世界に認められ、『大空のサムライ』として今なおたくさんの人に読まれています。
彼の文筆活動がなければ、日本は、日本人は、敗戦のショック、劣等感から立ち直ることが遅れたでしょう。

その後も坂井さんは精力的に文筆活動、講演を続け、あの戦争を語り継いだのでした。

このマンガは1995年に講談社ミスターマガジンKCから出た『撃墜王(エース)坂井』を再録、新たに坂井さんの死までのエピソードを加えたマンガです。
その多くは『大空のサムライ』によっていますが、平成の世になって坂井さんの口から語られた多くの新事実をも交えています。
『大空のサムライ』を読んでいない方も、読んだ方も気軽に楽しめる1冊です。

講談社+α文庫 680円税別

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