blueな日々

( Art で逢いましょう)

歩いてゆく

2006年09月23日 | Nの世界

E82p

昨夜。健気な個性を見ていた。相変わらずに、疲れぎみのよう
ではあるが、その何気ない?あるいは意図した?自身の表情や
姿態に、彼女は成長の苦いよろこびも感じているかのような。

数日遅れの誕生パーティといったところ。彼女のリクエストで
焼き鳥屋へ。繁盛している店だ。ふたりで飲食店に行ったのは
ひさしぶりのこと。気分が変わってリフレッシュできた彼女?
ビールで乾杯を。いつもより品数を多めに注文したが、ともに
少食で、たくさんは食べられない。すぐに腹がふくらむ。

楽しめただろうか。酔えばおたがい口も軽くなるし、食がすす
めば穏やかな気持ちにもなるだろう。心も不思議と触れあえる
かもしれない。彼女Nは、私を完全には父親と感じていない~
彼女の成長期、その15年間、会えなかったのだから。私同様に
父親不在で生きてきた彼女。だからなのか、私たちは仲がよく、
おたがいを、さまざまな意味で頼りにしている。
(だからなのか、時おり、白々しい空気が立ちこめることも)

会話はあれこれと。仕事、学校、転職、恋愛、健康、友人など。
アートを生涯の友にしたい。お金持ちにはなりたくない~本来
の人間性が破壊されてしまう。悩みよろこび試行錯誤の途上に。
そんな彼女。そして私の病状や求職活動についても気になると。

私の目の前で今、彼女は世界でただひとつの楽器になっていた。
私は彼女を音楽のように見ていた。聞いていたのかもしれない。
そんな空想を楽しんでいた。彼女は私の気持ち私の内面を察し
たのか突然に「ジャズが好きになったのよ」なんてことを語る。
人の不思議な感覚、以心伝心の瞬間だ~テレパシーではないぞ。
楽器は、弾き手を待っているはず。私ではありえないが。

今夜は、見たいテレビがあるという。マンションに向かう途中
コンビニに。彼女は雑誌とお菓子を買った。私は缶コーヒーを。
彼女の部屋は片づけきれていない。雑然としていた。本人も気
になるようで、短時間で整理整頓をする。誕生日のプレゼント、
スケッチブックなどを、うれしそうに眺めている。

ドラマかお笑いか歌番組、彼女はそんなものを見たいのだろう
と思っていたら『輝く命~家族の愛』というドキュメンタリィ
を見はじめた…。難病に苦しむ子供たち家族たち。しかし希望
を失わずに生きようとする姿。おどろく私。自分の娘に、また
違う顔を発見したような。うれしいことなのか、不安な要素で
あるのか、私は判断できなかったが~彼女を社会の中のひとり
の人間として考えれば、知ることは極力少なく、もっと気楽に
生きたほうが、はるかに楽なのに、などと。

Nは彼女なりに、エチオピアの少女とは生い立ちも環境も思考
形態も違うはずだが、女性として同じように、何かを背負って、
長い途のりを、歩いてゆくのだろうか。


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