blueな日々

( Art で逢いましょう)

blue at time

2006年09月23日 | 2006~奇妙な

E81p

いろいろblueなことも、そうでないことも~躁状態では、
人類に希望を見いだす私~書いている。だが私にあって、
喪失感のほうがより深く深刻。blueの基調を成している。

ヘミングウェイの絶望という精神症状がある。ライフル
を持っていたら、私も口にくわえるかもしれない。似た
症例は太宰治にも見つけられる。というより幾多の状況、
多くの人間たちが、やむにやまれずに捕われてきた死へ
の誘惑と現実。不安に恐れに感情の揺れに自殺衝動にと、
人はボーダーラインをさまよってきた。向こうへ行って
しまった人は、ある意味では強い人だし~誰もほめたり
はしないが~ある意味では、最悪に虚弱な人か。

強い弱いといった概念では、間違った認識に陥るだろう。
では、どう表現するか。また、私の喪失感とは何なのか。

頭が痛くなってきたので~群発頭痛?に襲われている~
つづきは、また別の日に書こう。書きたい。書くべきか。
(痛み止めの座薬を、さっき使ったところ)

Nにメールをしたら「今夜、会いましょう」との返事だ。
会う前に、彼女の誕生日~もう過ぎた~のプレゼントを
買おうと思う。超大型のクロッキー用のスケッチブック
~Nのリクエスト~が安価にあったのを先日、見つけて
いた私。娘には真実?の創造のよろこびも知ってほしい。

またNから返事。スケッチブックは昨日、自分で買った。
クレヨンが欲しい~必要だと。街を今夜、ふたりで散歩
しながら、画材店にも。そして食事も酒も。ちょっとは
人生を親子を楽しもう。お金の苦労は、来月にでもまた。

ということで出かける前に、せめて自分の仕事を進めた。
blueを押さえて騙して気にしないふりをしてがんばって。

私は心理状態を大げさに書くことがあるが、それはそう
せずにはいられない何かの病状?かもしれないし、実際、
そのとおりなのかもしれない。嘘はほどほどにしている。
深刻ぶっているわけでもない~自分の認識としては。

写真はデフォルメしているので、Nに較べて、私の顔が
長く大きく見えるだけ。髪の毛は自分で切っておまけに
切りすぎたので、全体に薄く見えるだけ。顔がゆるんで、
にやけているのは間違いないが、それはNの感触や自分
の娘という不可思議な存在に、ただうろたえているから。

結局、はやく家を出た。Nにやる米5kgや小物を持って。
画材店にも。やはり大型のスケッチブックとクレヨンを
誕生日のプレゼントに買った。Nはその気になっている
ようなので、何枚もいっきに、考えることなしに大胆に、
絵を描けばいいのだ。私に較べれば、絵はまだまだなN。
こっそりと自分と娘の才能を較べることも。

E81p2

母が私のためにいろいろと、しょうもない世話を
焼いてくれていた頃のことを、突然に思い出した。
(私の父は現実的にも、まったくの不在だった)
(母と父の関係~私は今だに、よくわからない)
(どちらも向こうへ行ってしまった~病死です)

子は親の心を知らないままに、親は時に身勝手なことを
しながら想いながら、世代が移ってゆく。これは悲しみ
だろうか。余計な心配だろうか。ともにあるがままに?

以上、昨日、書いた、昨日のことであります。


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