どちらもまだ死んではいないが、あの日のあの意識から比べれば、
ある意味、すでに死んでいるのかもしれないので、このタイトル。
(別に意地の悪い意味ではありません=パラドックスの話です)
この絵は私の「自画像」です。
大きなジグソーパスルに3色のペンキで
思いの丈を、静かに(テクニックの問題もあり)
ぶつけてみました。ちょっと昔の絵。
*今夜、Macでモノクロにしてみました。
requiemには(誰も見たことのない)
黒が似合うと思ったので…。
あなたのことを考えている。だからLennonも聴いている。
兄と弟(あなた)と私(Nもいるかもしれない…)。
おもむろに深夜また起き出して、MacをON。
ブログは、自己満足なので(どうせ誰も読んでくれない)
思っていることを書いても、実は、この文章はどこにも
存在しないのです(私のややイカレタ頭の中にあるだけ)。
恥さらしで愚かな私の半生は、今も健在です。
こんな私からのメールは届きましたか?
返信がなければ、私のややイカレタ頭の中の記憶回路には、
あの日から約30年後の、グランドホテルのカフェで語らった
(私にはすでに)懐かしい、ふたりの(時間の残酷さを見た)
姿があるだけ。残るだけ。これは・ある意味・ハッピーかも。
それでもいいのです。requiemなんですから…。
ひょっとしたら、どちらも何か変で間違ってしまった人生?
でも、それではあなたの家族や私のNに申し訳ない。裏切りです。
これもジレンマ。間違ってはいないが、正解でもない?
対外的な顔を持つあなたの影から、あの日の健康的なあなたの
シニカルさが(私には)垣間見えます。あなたらしい、あなた。
何を言いたい私なのか? 存在の●●です。
そして歩きながらだったか、あなたの兄に話したのですが、
dropoutしたあなたが、いつか私の見る夢に出てくるでしょう。
さようなら。
でも、また逢えれば、それはパラドックス。