昭和30年代の初期だろうか、映画館全盛の時代。娯楽の王様。
写真は私の父親の仕事(看板を描いた)。生きていたら80歳代か。
この夏、父親の親族に依頼していた「写真」が届いた。
昨年、私は彼の死を知り、あらためて彼(父親)という存在を感じ
てみたいと願ったのだ。私は幼い頃から(一時期を除いて)父親と
暮らしたことはない。どんな人間だったのかよくわからないのだ。
私と父親の最初の出会いは、幼稚園のシーソーからの眺め。
若い彼がこっそり私を訪ねてきた記憶。私はうれしかったと思う。
その後、動物園やデパートへ行ったかも知れない。思い出せない。
会ったことを母親には内緒にして欲しい。といったニュアンスの彼
の言葉が、私の幼い良心に重い空気を残した。
「お母さんには内緒なの?」
私が成人した後、半年間ほど彼の仕事を手伝ったことがある。
看板制作業。時代の流れには逆らえずに、地方で細々と病院や商店
などの看板制作を請け負っていた。私の担当は、彼が仕上げた看板
を壁面に据えつける作業。腹違いの私の弟もそこにいた。
(弟にも会いたい。私同様に、もう中年。気弱さがあった弟)
何故か私は父親のそばで彼の「仕事」に接していた。
ささいな喧嘩(父親とその友人)の、とばっちりを受けて、以来、
私は彼には会っていない。30年近く後、彼の死を聞かされた。
あの時、父親は私に言った「お前に俺の気持ちが、わかるか!」
この言葉には、どんな意味や苦悩が隠されていたのか?
これらの記憶が、私が幼いNに会いにゆくことを妨げていた。
彼女が私と同じような、つらい空気を感じてはいけない。
そう考えていた。今思えば、それは大きな間違いだったのだが…。
いつかきちんと、父親のことも書こう。
私とNが幸福になれるように、死んだ私の父親が手助けをしてくれる
かもしれないから…。親子の関係を深く考えさせてくれるかも…。