旅の番組で、滋賀県、琵琶湖の東岸地方を紹介していた。
なつかしく見ていた。昔、真夏から真冬の季節にかけて、
出稼ぎで7ヶ月間ほど私もそこにいたのだ。ガラス工場
で働いていた。寮には全国から流れてきた、見るからに
うさん臭い男たちがあふれていた。タバコの火の不始末
によるボヤ騒ぎや、飲酒でのトラブルは頻繁に。仕事が
終わったあと風呂に入る順番でもめる彼らを見たことも
たびたびあった。工場は365日24時間フル稼働で、勤務
は3交代制。お金を稼ぎたかったら連続勤務~16時間~
も可能。強烈につらい肉体労働だった。本当に虚弱な私
は死ぬかと思った。それでも真面目?な勤務態度が評価
されたのか4ヶ月目をむかえる頃には、検査部門に配属
された。これは本来は、地元の若い正社員のための仕事。
人員不足で運良く私が指名されたのかもしれない。勤務
時間中はずっと忙しくはあったが、はるかに楽な部門だ。
ただ目は酷使した。ベルトコンベアーから休む間もなく
吐き出されてくる、つるつるに磨き上げられたばかりの
テレビのブラウン管の傷をチェックする~検査する仕事。
1分間に何十個も流れてくるので、検査は瞬時に行なう。
気がゆるめば、ブラウン管を落としてしまう。もちろん
大きな音を立てて割れる。でも誰も気にしない。通常の
ことなのだ。半年契約だったが、工場長?からの依頼で
1ヶ月間のみ勤務を延長した。さらに関東の工場で主任
として働かないかとの誘いもあったが、断わった:実話。
何故、断わったのか。Nがいたからだ。彼女と15年ぶり
に再会した頃。私は彼女を、近くで見守っていたかった。
そういえば滋賀県に向かう夜行バスを、彼女は見送りに
きてくれた。15,16の少女だった。私も今より若かった。
寮費や食費などが大幅に給料から引かれ、結局、貯金は
できなかった。この家に当時すんでいた母親に毎月送金
していた。家賃や光熱費や彼女の生活費などに使うため。
出稼ぎの後半。心身がようやく慣れて、適度に連続勤務
もこなしながら、休日には会社の自転車に乗って琵琶湖
の東岸地域を走っていた。古い町なみ。古いお寺。私は
感動しきりだった観音その他の仏像のりりしい姿。白州
正子が描く、まさに隠れ里のような村々もめぐった。
写真は滋賀県指定文化財「木造十一面観音立像」の頭部。
平安時代末期~12世紀の作。800年ほど前。像高約40cm。
………
別のこと~怒りを、つづけて書きたかったが、思い出話
が長くなってしまった。格差社会の拡大とともに派遣や
下請けの仕事~その搾取などの実態については、昨日も
テレビで特番が放送された。私自身も経験した~被害を
受けた~ことなので、ひとこといいたかった…。いつか、
あらためて書くことにしよう。とにかく書くということ。
滋賀県でのことは、いい経験、いい体験をしたものだと
思っている。今も若いが、もっとういういしかったNの
記憶も関連することなので、私はたまにひとり思い出す。