blueな日々

( Art で逢いましょう)

ルビを打つという愚かな行為

2006年09月10日 | 2006~奇妙な

E56p

雨が降りつづいていた昨日。雨音以外は静かな土曜日だった。
ずっとパソコンに向かい、少し昼寝をして、頭の外では特に
何もなかった。そんな一日。夜は、はやめに横なって、ぼん
やりとテレビを見ていた。報道バラエティやニュースなどを。
深夜になって、NHKの『9・11テロ5年企画ドキュメント~
テロからイラク戦争へ』を見るつもりだった。いつの間にか
居眠りをしていて、気がつけばもう始まっていた。見るのを
やめた。再放送とはいえ、放送の開始時間が遅すぎる。

日曜日。6時に起床。横になったまま各局のニュース番組を。
過剰で無意味、あるいは不必要な報道も、相変わらず目立っ
ている。犯罪の解消や再犯防止、防犯などを目指したものや、
ある意味で、人々の社会生活の啓蒙に向けた番組が必要なの
にと思う。継続しつづけるべきだとも思うのだが。

漢字ばなれの現実。その報道は昨日もあった。教育の問題や、
携帯電話やコンピュータ機器の弊害が強いと。テレビの特集
に登場した~取材の一部かもしれないが、また報道に操作が
なければ~ティーンもサラリーマンもあきれるほどに漢字を
読めない。この時代、誰もが漢字を「書けない」傾向にある
ことは理解できるが「読めない」など、末恐ろしい。平仮名
や絵文字ばかりで出来あがった、平坦な脳の持ち主が、日本
の大勢を占めることになるのだろうか。そんな時代が、もう
始まっているのだろうか。漢字、それは、心のひだを形作る。
ある学者の言葉には賛成できる。微妙で機微なニュアンスを
感じたり、柔軟な思考などを、うながすもの~漢字、なのだ。

読書ばなれも深刻。出版社では、各種の本の改訂版などには、
わざわざルビを打って対応しているらしい。私は思う。易き
に流れてしまってもいいのか? 日本人の私は不機嫌になる。
本来は、難しいと思われる漢字~読めない漢字は、自ら調べ、
その意味なり語源なり活用法なりを会得するもの。この地道
な行為が、やがて人生に活きてくるのだ、別の報道~トイレ
掃除の実践、にも通じる。人間、その社会性の覚醒にも。

漢字を読めなければ、本を読もうとしても~実際、読み進め
ないだろうから~おもしろくはないだろう。なにが書かれて
いるのかわかりづらいだろう。悪循環が加速して、本は倉庫
で埃をかぶり、図書館は利用者がないままに静かに朽ち果て、
書店は開店休業、出版社は融合を押し進める。そして世界中
の墓の下では、多くの物書き~作家たちがすでに嘆いている。

くつろぎたい日曜日に、こんなことを書くつもりはなかった。

風が吹き込んで、私は寒い。衣装ケースから、薄めの長袖で
の上着を出した。Tシャツの上に羽織った。やや落ちついた。
衣替えの季節になったな。今日は掃除をして、愛犬を風呂場
で洗ってやるつもり。あとはまた、のんびりしていたい。


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