とはいえ徐々に私は、読書をふたたび楽しみはじめている。
読書は傍観にもつながるのではないか。そんなことも感じている。
火曜日の午後、SF作品を探すため古書店へ。ブックオフを2店舗まわったが、
わずかしかなかった。需要が少ないので古書もない。たぶんそうなのだろう。
図書間へリクエストするしかないようだ。SFは『タイムスリップ釈迦如来』
のみ。他には『博士の愛した数式』『ユリイカ』『墨攻』『天使のナイフ』
を買った。みんな文庫本。街をさまよううちに雨が降ってきた。また濡れて
しまった。もどってきた寒気に身体はぎこちない。来ないバスを待っていた。
今週のはじめまでにSFのシリーズもの他を7冊読み終えた。次は図書館から
借りている他の、さまざまなジャンルの本を先に読むことに。ミステリィや
ホラーや文学やカメラの本などを。面白く読むことができそうだ。よかった。
今、本を読めなければ、どのように時間を過ごせばいいのか、私にはわから
ないのだ。せめて午後と夜だけでも本を手に。あれこれと不毛で苦しい考え
をめぐらせたくない。いらだちがつのって。何故ここに私はいるのかもわか
らなくなる。愛犬のゆく末も。里親との新たな暮らしにも、まだ不安がある。
いい状態ではない。何かよくないことが起きそうな予感も。不安に犯される。
頭の中。私の神経。現実逃避のための読書。だがこれは生きる処方でもある。
救いがたく無意味な人生を生きている。偽らざる自分の感覚だ。自分自身を、
そして世の中を、私は傍観してきた。その罰を今、受けている。その流れで
いえば、読書も傍観ではないか。そんなことも考えたのだ。なにもしない人。
それが私である。身動きが取れない自分。なんとか肯定的なものにとらえる
ことができないものか。そんな私でしかありえないことは、事実なのだから。
昨日『父』という小説を読み終えた。複雑な気分に。偶然古書を持っていた、
おなじ作家のホラーもつづけて読んだ。うまい作家だ。スタイルをかえ簡潔
な表現で異世界を表現している。今日はなにを読もうか。迷っている。SFを
読みたかったのに、こだわらなくなってしまった。家にある書棚で図書館で
ネットでも探す。目についた面白そうな作品があれば、どんなジャンルの本
でもいいのだ。しばらく読みつづけるだろう。傍観や逃避が必要なのだから。