これまで意識することはなかったが。
昨夜、眠っている愛犬を見ていたら、誰かの話す声が聞こえる。
よーく聞けば、私自身が彼女にそっと話しかける声だった。
これまでの暮らしを振り返れば、そのとおり私は動物たちに
ずっと声をかけていたようだ。というか、ひんぱんに。ずっと。
意識してしまえば、恥ずかしい言葉たち。
「キャルちゃんキスは嫌よ」「momoはどこへ行ったのかな?」
「散歩いこか」「こらっ座れ!」「寝ようか」「キャルおいで」
歌うように話しかけていた…。赤ちゃんに声をかけるように…。
台所の棚からお気に入りのホーローの小さな片手鍋を出して、
牛乳を暖めた。ホットミルクを飲むなんて何年ぶりのことか。
キャルが飛んできた。彼女の敏感な鼻がいい匂いを嗅ぎつけた。
自分でお座りをして、そわそわしている。しっぽを振っている。
「まだ熱いから飲めないよ」ほんのり甘く美味しい。暖まるし。
「おいで。もう飲めるだろう」残り半分を彼女の皿に注いだ。
「そういえば、お前は風呂のお湯を飲むのも好きだもんな」
「たまには、あったかいものも飲んでみたいんだろ?」
「でも、風呂のお湯は汚いから、飲んじゃ駄目さぁ」
「おいでキャル。ジャンプ!(私の膝に飛び乗る)」
「○○は、momoと遊んでるかな? どう思う?」
「駄目だよ、ちゅーは止めてくれよ」
動物たちの素晴らしい写真を私は持っている。どういう訳か、
いい写真を私は撮影出来る。見事な瞬間を「時間」の中から
切り取ることが出来る。不条理な世界の中に生きて喜怒哀楽を
体現しているような私だが、この子たちは英雄的な存在。
弱音を吐かず裏切ることもなく、けなげな眼差しで、すべてを
見ている。私も見られている。「もっといいことも考えないと
生きていけないなぁ。そう思うだろ?」