blueな日々

( Art で逢いましょう)

blueな日々

2005年10月25日 | ■blueな日々1
b-37p
blueにもさまざまな色合いがある。
誰にも確信が持てない「blue」~単純で見えすいた「blue」
これは音楽雑誌を作っていた頃の、らしい写真。生々しい。
身体の不調で、事務所(室内)でもマフラーを巻いている。
  Kというユニークで気高い存在があったから
  その雑誌は生まれ、今でも生命を持っている。
私は自分が(It is not ..)the fish preserve... とも信じる。
犯罪者を見る目で、私は私を感じている(時も多い)。
その犯罪者は今日も、ボーダーラインをさまよっている。
何かを探しているようだ。飛び跳ねたり、しゃがんだり…。
Nは「お金じゃない」とも言うし、
SBは「自分の精神の方が絶対大事ですよ」とも書くし、
他の人たちとは(完全に)音信不通になってしまうし、
私は「ここから一歩も動かない」そんな絶望で生きてきた。
でも意外にも居心地のいい脳の中。世界の中心に私がいた。
誰にも見えない絵を描いて、書物と語らい、動物に話しかけ、
喪失の感覚をもて遊びながら、現実世界を遠巻きにしてきた。
いかにもnarcissist的で愚かな、さみしく尊大な存在だった。
  余命も長くはないし、どうせなら、このままでいたい。
  いや、このままで「進化」したい。より絶望的に。
昨夜、数少ない友人のひとり「詩を書く人」から電話が。
孤高に生きている彼(現代の理不尽な風が彼を襲っている)。
私と過ごす人はblueに戸惑い、沈黙の言葉に疲れいなくなる。
たえず"take me to the RIVER"と願っていた私。ある日私は
そこに立っていて、帰れなくなってしまった自分を発見した。
daydreamに目をぱちくり。"飛んでいた"私。
そこに(待っていた)Nからのメール。救いの天使。
私が100年前に生まれたのは、Nという「新たな個性」を
この(現実)世界に出現させるためだったのかもしれない。
Nにはblueを飛び越えて欲しい。ある意味、Nは私より…。
blueには、さまざまな顔がある。あなたと私の個性のように。

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