賢く・明るく・強く・別室

ボストン郊外の町から始まる二度目の海外生活

Concord紀行

2011-06-13 20:26:49 | 日記
一泊の予定で、Concordに行ってきました。
Concordは、Concord・Lexingtonの戦いという独立戦争の最初の戦いの場所として有名ですが、他に「若草物語」を書いたオルコットの住んでいた家があるところとしても有名です。


プリマスに行ったときとうって変わってとても寒い日。
娘の友達のバースデーパーティが終わってから出発したので、着いたのは夜でした。

1716年だっけからあるという建物を使った「コロニアル・イン」というホテルに泊まりました。

中はこんな感じ。




木組みがドイツの民家を思わせてなんとなく懐かしいです。
ちなみに、いろんなところが傾いていて、床はぎしぎし言ってました。
地震がない所だからこんなのでも建ってられるようなものです。

夕食も朝食もとてもおいしゅうございました。


翌日は、ものすごく少ない市街地(Concordはすごいお屋敷町なのですが、商店街はほとんどありません。みんなスーパーはどこにいくんですか?という感じ)に言ってみると、ああ今日は日曜日…どこも午後にならないと開きません。

しかたないので、「オルコットの家」に行こうかと思ったら、ここも日曜日は午後1時開館…そうですみなさん教会に行ってらっしゃるんです。忘れてました。

仕方がないので、イギリス軍とここの農民が戦ったという「オールド・ノースブリッジ」へ。


天気悪いです。



お土産も見ることができず、帰ってきました(汗)

参考:コンコード

夫の、海外にて中国人に間違われること

2011-04-20 21:34:14 | 日記
夫は現在は行きつけの中国人の店で髪を切ってもらっている。
そのせいか、いや元々の顔立ちのせいが大きいと思うのだが、よく中国人に間違われる。
まだ30そこそこでドイツに住んでいたときも、よく中国人に間違われた。
ここアメリカに来てからもそうである。

・ディズニーワールドで、中国人旅行者に「この近所においしい中華料理やはあるか」と聞かれた。
・カリフォルニア旅行中(授業)に、中国人に「お前はいつ中国に帰るのか」と話しかけられた。
・先日、アウトレットにて中国人店員に「ニーハオ」と言われた。

正直枚挙にいとまがない。

私はといえば、夫と一緒にいても、アメリカ人に
「このTシャツの字は日本語ですか?」と
日本語で聞かれるほど、真っ当な日本人である。

夫は来月、授業でベトナムに行くのだけれど、そこでどれだけ華僑に間違えられるのか楽しみ不安である。

大震災によせて

2011-03-13 20:43:35 | 日記
こっちのブログではアメリカ生活について書こうと思っているので、地震についての記事は、「賢く・明るく・強く」内記事「東北関東大震災」に書きました。

こちらでの動きは速く、翌日の日本語学校ではすでに義援金を募っていました。
私もできることは何でもしたいと思っています。

CNNでは、現在は原発の爆発の恐れについてばかり報道しています。
私はドイツが大好き(住んでいたことがあるため)ですが、CNNで、ドイツにおいて「原発反対デモ」を行っていたのを見たときにはさすがに腹が立ちました。そんなことをしている場合じゃないでしょうが。

被災者のみなさん、そして節電に協力している東電の地域のみなさん、とにかく不便な生活が続くと思います。頑張ってください!!
一刻も早い救助と支援、そして復興を祈っています。

純和風な年越し

2011-01-01 21:12:01 | 日記
みなさん、明けましておめでとうございます。
本年も(このブログはアメリカ生活について書くものなので、帰国と同時に放置となりますが)よろしくお願い致します。

さて、という挨拶ももう日本では2日のお昼ってなわけで、だいぶ間の抜けたことになっているかと思います。

実は私達、どうしても紅白が見たくて、日本語放送の見られるプチホテルTおばさんの家に泊まっていました!

こちらでは紅白は東部時間の午前9時(情緒ない…)と午後9時(終わりが遅すぎる)の二回放映されました。

Tおばさんの作ってくださったお刺身(うう、久しぶり…)やら煮物(左に同じ)やらを食べながら、紅白を見ました。

ボストンのカウントダウンでも観に行こうかと言っていたのですが、紅白をみているうちにいつの間にか年越し。

次の日はプチおせちとお雑煮をいただきました。満足です。(ちなみに普段からそんな豪華なわけではありません。念のため)

せっかくアメリカにいるのですから、花火うちあげーの、カウントダウンしーの、っていうど派手な年越しを体験してみたかったような気もしますが、そんなわけで純和風ですみません。

あとアメリカ生活も約半分。頑張ります。

そうそう、天気ですが、その後気温がぐんぐん上がり、東京と同じくらいになりました。ゆきは、除雪車がどけたものはどうしようもありませんが、それ以外はまったく支障のない状態です。

アメリカのクリスマス…だって!

2010-12-23 18:59:59 | 日記
先に「アメリカのケーキ」について書きました。
チェシャ猫さんからいい記事を紹介してもらったので、引用します。
ちなみにこの記事を書いている人はアメリカ在住で、アメリカ人と結婚している方のようです。

クリスマスにケーキは食べません!
----------------------以下引用
クリスマスにケーキは食べません!
2010年12月23日

もうすぐクリスマス。日本でも最近はカップルで過ごすより、グループで過ごす方が人気のようですが、いわゆるカップルが盛り上がるというのは日本だけ。アメリカやヨーロッパではクリスマスは家族で祝うイベントであり、カップルで過ごすと聞くと「かわいそう」とまで思われる可能性が。

ほかにも私たち日本人が知らない、クリスマスの過ごし方(アメリカ)をいくつかご紹介。

■祝うのは24日ではなく、25日である

いつからか日本人はクリスマスイブである24日をお祝いすることになったのでしょう? お祝いをするのは25日で、もちろん子供たちにプレゼントが渡されるのも25日です。25日の朝、ツリーの下に置かれたクリスマスプレゼントを家族で開け、豪華なランチ、もしくはディナーもその後に行われます。

■クリスマスにチキンは食べない

日本に住むアメリカ人が驚くことのひとつが、クリスマスイブのケンタッキー・フライドチキンの前の行列。クリスマスにファースト・フードのケンタッキーでチキンを買っている姿は不憫にさえ思う人もいるようです。アメリカでは感謝祭のターキーほど決まりきったメニューはないものの、ローストしたチキンを日常的に食べているのでクリスマスにチキンを食べることは典型ではありません。丸太のような大きなハムか、グース(雁)、プライムリブ、または、あまりいつも食べないローストポークを食べるのです。

■クリスマスケーキは食べない

生クリームたっぷりのおいしそうなケーキも日本ならでは。フランスでは雪が積もった丸太をイメージした「ビュッシュ・ド・ノエル」、アメリカはケーキではなく、パイやプディングが供されます。

■サンタ・クロースはいくつもプレゼントをくれる

日本の子供たちは欲しいものを考えに考えて、ひとつに絞ってサンタさんにお願いしますが、アメリカの子供は複数のプレゼントをお願いします。そして、そのほかにもパパから、ママから、弟から、お姉ちゃんからと家族、親類からプレゼントをもらう(プレゼントし合う)のです。なんだか感謝する心が薄れそうなこの風習。クリスマスに一気に物が増えるので困ると言う声も。

■サンタ・クロースにクッキーをあげる

アメリカの家庭では24日の夜、子供たちがお皿にクッキーをのせ、暖炉の上や窓際に置いておきます。サンタさんへのお礼の気持ちです。翌朝にはそのクッキーはなくなっていて、子供たちは「サンタさんが食べていった~!」と喜ぶのです。日本の家庭でも真似したい楽しい習わしです。

■チャリティーが増える

クリスマス精神のひとつが「Giving」であることから、このシーズンはチャリティが増えます。お店に行っても店員に「○○小児病院への寄付はなさいますか?」などと聞かれることも増え、「結構です。」と答えつつ(私ってケチ?)という罪悪感に苛まれるシーズンでもあります。ホームレスの収入が増えるのもこの時期だそう。

(記者/ mayuchico)

--------------------------------引用終わり
えっと、まず言いたいのが、「アンタはアメリカの何を知っているのか?」ってことです。
ドイツに住んでいたときも思いました。ドイツをしたり顔で語って、「ドイツでは~それにひきかえ日本では~」だからなんだというのでしょうか?

前にも書きましたが、日本は「クリスマスを祝い、サンタは来るしバレンタインデーにチョコを渡すけれど、31日夜半から初詣に繰り出し、家には仏壇がある」国です。
そういう、まったく宗教的じゃないところが日本のいいところです

個人的には、こういう、したり顔で「私が教えてあげる」的な、アメリカについて語る(海外どこでも可。でも北朝鮮とかパキスタンとかについてしたり顔で語る人は少ない)人は大嫌いです。

さらにいえば、「シカゴからハワイまで」アメリカです。あ、アラスカもあった。そんな広大な国の、どこの話なんでしょう?

私は日本で生まれて日本で育ちましたが、関東地方のごく一部のことしか話せません。

今はアメリカに住んでいますが、私がブログで語っていることは、アメリカのニューイングランド地方のそれも片田舎の話だと思ってください。私はそれしか知りません。そして、自分が体験したことをびっくりして書いているだけで、ほんの数ヶ月住んだだけでしたり顔で語ろうなんて思ってはまったくいないことをご了承ください。

で、それを踏まえたうえで、上記記事を見ると
・(よくあるけど)アメリカとヨーロッパを一緒にすんな。ブッシュドノエルしか知らないくせに!
・25日に祝うのは本当。でもケーキは現にすでにスーパーに売っている。クリスマス&年末に食べないで、いつ食べるためのケーキだというのだ?
(ちなみにいつも売ってますけどね。そして今は「Happy Holidays!」と書いてあります。普段売っているケーキには書いてないので、やはりこの時期ならではでしょう。)
・ついでにいえばイブにしか祝わないのが「日本だけ」なんて、本当なのか?世界中知ってるのか?っていうか、日本でもプレゼントを開けるのは基本的に25日朝(24日夜中に置いておく)だけど?(親の都合で天皇誕生日にお祝いする可能性はあり)
・パイも残念ながらいつでも売っている。
・チキンはローストチキンがスペシャルサイズで売っています。ハムも売っていましたので両方ともこの時期のものと思われます。
・今日スーパーに行ったら、「ハイチにサッカーボールを!」という箱があったので、チャリティはあると思いますがよくわかりません。

ちなみに上にも書きましたが、ニューイングランド地方というのは、アメリカの中でもかなり伝統的な地域です。なので、どちらかといえば古くからの伝統を大切にしている地域なんだろうと思います。

KFCに並ぶ日本人をみて在日米人が不憫に思う、とありましたが、その姿勢は間違っています。日本にいるなら日本の習慣にならえ。できないのなら笑うな。
本館に書いたことですが、こういうことを私達日本人が「恥ずかしい」なんて思うのは間違っています。日本には日本の習慣があって、それが他国と異なっていようと、異人に笑われる筋合いはありません。アメリカに住んでいる日本人が、サンクスギビングにターキーを食べるのを笑ったりしますか?逆にいえば、笑った異人が悪いのであって、それを以てアメリカ人とは…と思わせるような書き方をするこの記事はどうかと思います。

他のことは家庭内のことなのでわかりません。ツリーも1月すぎに片付けるようですが、私の一番近い現地の知り合いの方は他教徒なので、ツリーのことは訊いたことがありません。


我が家が今回アメリカに倣ったのは、
・生ツリーを買った
・プレゼントはツリーの根元に置く予定
これだけです。
あとは日本のクリスマスと同じように過ごします。なぜなら、ちょうど学校が休みに入ったことで、情報交換をしないだろう娘が、急に25日にどうこうしはじめると驚くだろうからです。



この記事が載っていたPOUCHというところは何かと調べたら、素人ライターをたくさん雇って記事を書かせているところのようです。そんなんだったら私も応募してみよっかなー?、というのは嘘ですが、こういう記事を書くのに、確実な根拠を持たずにっていうか、自分の感覚だけで書くっていうのは、私には信じられませんね。







ドイツ旅行記・4

2010-11-30 17:34:20 | 日記
旅行記、あれもこれも書こうとすると長いですね。ごめんなさい。

さて三日目。
夫がどうしても、というので、私達がドイツ滞在二年目に住んでいた、チュービンゲンにいくことになりました。
娘なんざ、チュービンゲンを見てもしょーがないと思うんだけどなあ…

チュービンゲンは小さな大学町ですが、大学ができたのは室町時代だったかな、とにかく夫の数ある「出身大学(なぜか数だけはある)予定」のなかで最も古い歴史を持ちます。

ミュンヘンからは三時間くらいだったでしょうか。ったってアウトバーンを170キロくらいですっとばすので一般のめやすにはなりませんが。

アウトバーンはさすがに雪がありませんでしたが、チュービンゲンはまたまた雪深い…そして坂の多い町。

夫は前に住んでいたマンションっていうかアパートを訪ねて「ここに住んでたんだよ」なんて娘に説明していましたが、私達が住んでいたのは超新しいエコ住宅で、ドイツにしては味もそっけもない。見てもつまらない。違う人が住んでいるわけで中を見られるわけでもないし、別に面白くありません。

というわけで、さくっと旧市街へ。まだクリスマス市は始まっていませんでしたが、かわいらしい色とりどりの町並みは健在。でも雪が…下が石畳で助かります。



この日はイタメシをお昼に食べました。考えてみればちゃんとしたイタメシを食べるのは本当に久しぶり。日本にある、カルボナーラとかペスカトーレとかあるようなお店ね。だってアメリカの「スパゲッティ」ってなんかしらないけどチキンが上にのってたり、トマトソースとミートボールがかかってたり(ポモドーロでは断じてない)するんだもん!

しかしよく見ると、土産物屋ができてたり(また寄ったんかいっ!)、H&Mができてたり(小さい町なのにねえ)、当時存在しなかった携帯ショップがあったり、建物は変わらないけど微妙に中身が変わっていました。

私はネッカー川のほとりにあるカフェでアプフェルストゥルーデル(ミットアイス=アイスクリーム添え)を食べるのが好きだったんですが、残念ながら改装中。う~む、残念。
そしてヘルダーリンの塔もクリーム色が雪化粧してしまってなんだかみんな真っ白。



考えてみたら、私はチュービンゲンで冬を越したことがなかったのでした。
当時(っていうかたぶん今も)アメリカと違って、ドイツは「留学生の家族」にはビザがおりなかったので、私は観光ということで3ヶ月以内に日本に帰らなければならない生活を送っていたのです。しかも自腹。しかも今と変わらず鬱病だったので、たぶん冬は日本で越したみたいです(もう一つの滞在都市、ブレーメンでは冬を越した記憶があったんですが…)。

帰りもアウトバーンをすっとばして帰りました。しかしドイツはちゃんとウィンカーだしてから車線変更するし、追い越し車線で追い越すし、すっとばしてもそんなにおそろしくありません。車間距離も取ってくれるし。

帰ってから、また娘と夫は市庁舎へ繰り出していきました。娘は市庁舎がとっても気に入って、ミュンヘン大好き!になってくれたようで、よかったよかったと思いました。(もしやおなかの中にいるときに日韓共催ワールドカップがあって、バイエルン・ミュンヘン所属のオリバー・カーンを私が死ぬほど応援していたから…ではないと思うのですが)

次の日は早くから空港に行くことになっていたので、荷造りです。
下着はいちいち洗って干したので洗濯物がすごく多いわけではないのですが、それでも帰った後のことを思うとうんざりしました。
しかもシンデレラとくま…結構ぎちぎちに詰めてきたのに、どうやって持って帰れと…
しかたなく、シンデレラもくま(証明書つき)も箱をばらしてスーツケースに敷き詰め、シンデレラは娘の手持ちに、くまは衣類で巻いてビアマグが壊れないようにしてスーツケースに入れました。

ホテルのおいしい朝食(ほんと、何気ないパンだとかバターだとかがいちいちおいしいんだもん!!!)を後にして、空港へ向かいました。レンタカーを返し(雪のためだいぶ汚くなってましたが)だらだらと空港ですごしてボストン行きのルフトハンザへ。

娘はまた「トイ・ストーリー3」を見てました(違うのも見ればいいのに…)
私はというとまたJpopのラジオを聞いてたんですが。
そしてまたしても一睡もできないまま、ボストンへついて、タクシーで駐車場まで戻り、家に戻って洗濯して寝ました。

私個人については、時差ぼけはまったく治らなかったらしく、こっちで普通に寝て朝目覚めました。(みんなそうだったからそうなのかな?)

寒かったけれど、本当に楽しかったです!
ドイツに行ったことのない方、食事がまずいんじゃないかと思い込まれている方、ぜひ一度行ってみてください。

そうそう、夫の買った民族衣装の帽子、娘がかぶったらものすごく似合ってました。夫はサイズの小さいのを買いすぎたのです。いやルックスの関係で似合わry
娘がかぶるといつ「壁際に寝返りうって」もいいような感じでした。

ドイツ旅行記・3

2010-11-30 17:15:56 | 日記
ミュンヘンに帰ってくると、いよいよヴァイナマツマルクト(クリスマス市)が始まったというので、市庁舎前の広場まででかけました。すると、吹奏楽が鳴っていて、誰か(市長?)がしゃべっていて、大変な人だかり!!!



でも、イルミネーション(ドイツのそれはアメリカのそれのように、あるいは日本のそれのように、いろんな色を使っているわけではありませんが、外が暗いので非常に雰囲気がよくでていていいのです)も点灯し、お店も開いていていい雰囲気。これでグリューヴァインの屋台さえなければもっといいんですがw(アルコールアレルギーなので、臭いをかいだだけでもうだめ。しかも温かいから臭いがよく飛ぶんだ)





一通り見て回り、なぜここにある?のシュネーバルを買い、次はなんでも「前日に見ておいたものがある」というカウフホフ(デパート)のおもちゃ売り場へ。





クリスマス時期のデパートのショーウィンドウはこんな感じです。

一つは
・ディズニーのシンデレラの10分の一くらいの大きさのドール。ドイツ製らしく、関節がいろいろ曲がるようにできていて、顔がディズニーしてない
そして夫一押しのもう一つは
・シュタイフのテディ。今年のオクトーバーフェストの記念限定ベアで、ビアマグを持ち、ミュンヘンのマークである水色と白のチェックのリボンをつけている
でした。
シンデレラのほうは、結構安かったし、娘がはじめてほしがった「人形」(ぬいぐるみではなく)ということで購入決定。
しかし、テディ…。夫は私がテディ(それも限定)に目がないのを知っていての狼藉。そして日本の自宅にはもうくまのおけるスペースがない(実はドイツ時代に結構くまを蒐集していたので、一財産できている)というのも頭をよぎりましたが、目の前のくま、そして値段の(比較的)安さにつられて、つい…できごころでした。

戻ってもう一度市を回ると、娘の好みのねこのぬいぐるみを発見。これもお買い上げ…それとミュンヘンのアドベントカレンダーがあったのでこれもお買い上げ。
結構な荷物になりました。




夕食は「ニュルンベルガーが食べたい」という夫のリクエストでレストランへ。ドイツは本当になんでもおいしいのだけど、娘がソーセージを好きでないのがイマイチ残念。ニュルンベルガー、おいしいのに。
私は大好きなブレッツェル(シュバーベンのとは違うけど許してやる)を食べてご満悦。

さて、帰ろうとしたとき。
隣のおじいさんが私にコートを着せてくれるじゃありませんか!!
そう、ドイツはレディファーストの国。10数年前にドイツに住んでいたときは徹底して服を着せ、ドアを開けておいてくれた夫も、すっかりそんなこたぁ忘れきっています。なので隣のおじいさんが見かねて…ってことだったんでしょうか。
「ありがとうございます」とお礼をいうと、おじいさん
「あなたは東京に住んでいるんですか?」というようなことを。
(まあ東京に家があるんですけど今事情があってアメリカに)というようなことはめんどくさくて云えないので「はい」とだけいうとおじいさん
「まぢで!(こんな感じ)実は私のおじいさんが政府の×○※□でなんたら~(以下聞き取り不可能)」
「えっ!そうなんですか!!!」と言って、話が長くなりそうだったし私のドイツ語能力ではこれ以上聞き取れないし夫は知らんぷりしているしだったので、引き上げましたが、そのおじいさん、少なく見積もっても70は過ぎてたんですよね。80くらいだったかも。
その人のおじいさんとなると、100年以上前?もしや政府に招聘されて、大学で教鞭とってたとか軍の教授をしてたとか????
日本史には興味のある私、以前夫がドイツにいたときには、大学にベルツさんの親戚がいたし(教授で)、その隣のおじいさんのおじいさんがなんという人で、何をしてたか知りたかったけど、ドイツ語だとなあ…(いや、英語でも同じ結果に終わってますが)

それにしても私は日本でもアメリカでもドイツでも、よく話しかけられますorz
日本人以外に間違われたことないし(夫は日本人には見られないw)



ドイツ旅行記・2

2010-11-30 16:58:34 | 日記
(ここから、写真をアップしました。クリックすると大きくできます(大きすぎます))

さて次の日。早速ですが「ノイシュヴァンシュタイン城」へ。

書き忘れていましたが、ドイツ南部は数日前から雪が降っており、行った日も降っていました。この日も運転する前に雪を掻き落とさなくてはなりませんでした。

カーナビくんに従っていくと、なぜかアウトバーンから外れて山道へ。それどんな嫌がらせ?っていう…(地図をちゃんと買わなかった私達も悪いのですが)
まあ一応「ロマンチック街道」は通ったみたいです。

そして行ったことのある方はご存じだと思いますが、あそこは山です。当然雪深くなってます。降ってもいます。冬タイヤでよかった!!と思いました。(前日テレビで「ベルリンもこ~んな雪です!みなさん冬タイヤをはきましょう」的なお知らせをしてました)

以前初夏に行ったときは、城まで歩いたのですが、今回は駐車場から歩く気などにはとてもなれず、また娘に「馬車に乗れるのよ」と言ってしまった手前、馬車に乗ることにしました。

…娘は城が「ディズニーランドのシンデレラ城のモデル」と知り、なにを勘違いしたか「シンデレラの馬車のようなの」でお城に行くと思い込んでいて、最初は「ドレス着る!!(外は零下です、念のため)」と言い張っていたのでした…

やってきたのは、二頭立ての乗合馬車です。もちろん馬は足ががっしりしていて、シンデレラryとは大違い。雪が降っていたので、屋根(ビニール製w)がついていたのは予想外でしたが…



馬車から降りるとしばらく歩き(たぶん夏だと一瞬なのでしょうが、雪道を上るのはきついっす)入り口です。見てみれば、なぜか東洋人ばかり。それも日本人ではなくて、中国人や韓国人。ああこんなところにも中国の景気のよさが…とちょっとげんなり。
10年前はそれでもツアーを組んでガイドが説明をしてくれたのですが、今度はオーディオガイドを貸してくれるだけ。見所の一つである、ルートヴィヒ二世のベッドなどにはガラスが貼られています。10年前は綱だけでした。だれだよ触ったヤツは!!!

なんかぎゅうぎゅう東洋人ばっかり押し込まれて、あまり雰囲気も味わえずツアーが終わってしまいました。
でもカフェとお土産屋はなぜか前より充実w誰だ金を落としてるヤツはw

終わるとまた馬車のところまで少し下りるのですが、これが雪道ですから大変!一応私と娘はスキーでもできそうなパンツをはいていったのですが、それでも転んだらダメージでかい。出身地でも実はそんなに雪深くないので、スキーの要領で(ってほとんどできないんですが)しずしず下りていきました。

帰りは馬車も値段が安いですwでもって前の列(御者さんの隣)に座ることができたので、じっくり見られました、馬がうんちするところを…orz



麓に戻ってからも娘は雪遊びに夢中。アンタ、家(アメリカの家)もすぐ雪だらけになるんだよ…
麓の有名なホテル「ミュラー」でお昼を食べると土産物屋へ(娘が好きなんです)。夫はなぜか民族衣装の帽子を買い、私はさらになぜか若き日のルートヴィヒ二世の顔のついたキーホルダーを買い(裏に「命」と書け、と夫に言われたorz)、城をあとにしました。

全景を撮ったのですが、「シンデレラ城のモデル」の証拠である、「水色の屋根」が雪で覆われて真っ白になっているため、イマイチ「モデルである」とも主張できず、困りました。
でもまあ、娘は雪で遊べたからいっか~。




帰り道、一キロくらいの区間で対向車線での事故を二件目撃。うち一件は車が大破して救急車が呼ばれていました。みなさん、冬タイヤをはきましょう!!


ドイツ旅行記・1

2010-11-30 16:39:53 | 日記
サンクスギビングの休暇を利用し(単にターキーを焼くのがいやだったという噂有り)ドイツに行ってきました~!


まずは24日。アーリーリリース(要するに早帰り)の娘をプレイデートに出し、帰ってきてから空港へ。
夫が大学で借りている駐車場があるので、そこから地下鉄にのり、さらにバスへ乗り継ぎ。
でもボストンは小さい町だし、空港がほぼボストン市内にあるので、家から行くのよりずっと楽でした。

さて機内は、狭いw
そりゃ、一日一便の「ボストン-ミュンヘン」なんて、マイナーだもんね。

ルフトハンザで行ったのですが、日本語のプログラム(ラジオ、映画など)があって助かりました。娘は「トイ・ストーリー3」を何度も見てました(なんか何度も見るのが好きなんですよね)。
私はというと「インセプション」があったので、見始めたのですが、キャスト欄に「ケン・ワタナービ」の名前がないし、すぐでてきたけど十二単の内側(要するに何枚も着物が重なってるっぽい)の上にジャケット着てるみたいなわけのわからない服装で、中国風の屋敷でご飯たべてたので即座に辞めました。
…この間NYの大使館パーティで「できるだけ現実に沿った役をやるようにしている」とか威張ってたじゃんかよ~。あんな日本人いねーよ!

ボストンからミュンヘンまでは8時間。時差は六時間。夜に出たけどつくのは朝。つまり頑張って寝ないと次の日使い物にならないというわけです。が、しかし…
前の列に赤ん坊がいて、ずっと絶叫しっぱなし。ここで日本の母なら必ず人の迷惑にならないように最後尾なりに連れて行ってあやすのですが、アラブ人ぽい容姿の夫婦、スルー。抱き上げることすらしない。カートゥーンかなんか見せてただけ。わかんねーよ、まだ!
というわけで、私は寝られませんでした。

着いたらすぐにレンタカーのオフィスへ。
冬タイヤをはかせ、保険にはいり、カーナビ(日本語対応)を借りたら結構な値段になってしまったけど(コンパクトカーで冬タイヤのはいたのがない、というよくわからない返答)仕方ない。そして車はヒュンダイ。一生乗らないだろうと思っていたのに、こんなところで遭遇するとは…

まだホテルにはチェックインできないので、まずはドイツ博物館へ。
昔ドイツに住んでいたときに夫と(娘はまだ生まれていなかった)行きましたが、夫が「フォッカーDR1」と連呼しながら同機種の飛行機ばかり撮影していたのでイヤになった思い出がありますw

娘は船や飛行機の中などが結構気に入ったようで「飛行機、面白い!」と飛び回っていました。実は理系なのか、あいつは…?

お昼は「インビスでっ!」という私のかねてよりの希望通り?ドイツ博物館内のカフェ兼インビスで。
こんなところですら、ソーセージがうまいんだよなあ~
パンがうまいんだよなあ~。
日頃の貧しい食生活を鑑み、本当に感動する私。

さて、いい加減疲れたので、ホテルへチェックイン。
狭いホテルだったけど、ドイツの他のホテルと違わず、水回りがきれいでした。
夫と娘はクリスマス市が始まったとか始まるとかを見に行くというので、出て行きました。

私は、かねてよりの念願「ドイツのテレビ局が今何の(日本の)アニメを放映しているか調べる」ためテレビ視聴。ちなみにこちらではテレビはほとんど見ませんです。
でも、残念ながら「ポケモン」とか「ナルト疾風伝」とかしかやっていませんでした。住んでたときは「ベルサイユのばら」とか「セーラームーン」とか「ハイジ」とかやってたんだけどなあ。プリキュアくらい放映しないかいっ!


娘への英才教育(笑)

2010-11-15 21:24:06 | 日記
今回は特にアメリカに関係していない。

まあ、ただ、娘は子供たちの日本語シャワーをあびず、家にも兄弟がいないことから、大人の日本語しか聞いていないわけで、そういう意味では日本語が退化しつつある。

音楽に対しても同じで、TVから新しい音楽が流れてこないので、彼女の知識は嵐のみ。

さて、その嵐の「A Day in Our Life」がそもそものきっかけだった。
この曲は少年隊「ABC」をサンプリングしてある曲なので、ようつべで少年隊の元ネタのほうを聞かせた。そしたら娘、すっかり少年隊のとりこ。
さらに、私が80年代CDをつくってみたところ、今度は「ルビーの指環、かっこいい」だって。

彼女の「半田健人化」も間近だ。着々と英才教育を勧めている今日この頃である。