1999

~外れた予言~

忍者の少女封印(1)

2007-02-09 21:10:39 | Weblog

少女は登校前に朝食を食べていた。
自宅の台所。母親と二人で。

父親は去年から単身赴任のため遠方に別居中で、
少女は母親と二人で暮らしていた。
兄弟や姉妹はいない。


母親は食べながら左の胸、
正確にいうと左側胸部の一部を、右手で押さえていた。
辛そうに見える。

「お母さん、痛い?」

少女は母親を気遣って聞いてみた。
冷たそうだ、と同級生からいつも噂されてはいるが、
これくらいのことは口にすることはできる。

「ちょっと痛いけど、大丈夫」

母親は左胸を押さえながら答えた。
食事がなかなか進まない様子からは、
あまり大丈夫そうには見えない。

「この前、病院に行ったんだっけ?」

少女は母親に再び聞いた。
母親が左胸を押さえだしたのは先週からだった。
症状が気になった母親は病院で医師の診察を受けていた。

「心電図やレントゲン検査では異常はなかったし、
 症状からは肋間神経痛の可能性が高いって、
 循環器科の先生はいってた・・・」

母親は辛そうな表情のまま話した。

「一応は狭心症や不整脈がないか調べましょうって、
 それで外来検査をいくつか予約して来たんだけど・・・」

医師の説明によると、
心臓の発作ではなくて肋間神経痛ならば、
たとえ痛みは辛くても命に別状はないし心配ないそうだ。


少女は母親似だった。
外見が若い頃の母親にそっくりだとよくいわれる。
つまり、
母親も学生時代は周囲から敬遠されがちなタイプの、
冷たそうな雰囲気だったらしい。

朝の台所でテーブルをはさんで、
同級生の背筋をいつも凍らせている少女と、
同級生の背筋をかつて凍らせていたかもしれない母親とが、
暖かい朝食を前に二人向き合っている。


「胸の痛みって・・・大変?」

少女は食べながらさらに母親に質問した。

「そうね、頭やおなかが痛い時も辛いけど、
 胸が苦しい時も独特の辛さなのよね、
 息をするだけでもすごく響くし、
 なんかこう、胸を何かで刺されたみたいな・・・」

母親は少女に懸命に答えた。

「あ、いま私に話してるだけでも苦しい?」

少女はふいに気付いて母親に確かめた。

「うん、話してるだけでも大変・・・
 でも・・・そんな気にしないでいいからね」

母親はいつも少女の味方だった。
親でもあり仲良しの友だちのようでもあった。

「話しかけてごめんなさい、
 痛みが落ち着くまで静かに休んでて」

少女は母親に声を掛けるのをやめた。
そして、黙々と朝食を食べることに専念した。


少女は母親の胸の辛さを目の当たりにしながら、
つい先日の、
身の毛のよだつような不気味な男を思い出した。

自分が高校から帰る途中の道で、
自分を狙って待ち伏せしていた恐ろしい男だ。

あの日少女は学校を出た直後に、
誰かに待ち伏せされてる、となぜか分かった。
ピンッと閃くような感じだった。

閃いた時、
待ち伏せの相手が生身の人間だとは思わなかった。
この世の者ではない「地獄の使者」だと思った。
自分の命を奪いに地獄からやって来た、
恐ろしい死刑執行人のような化け物だと感じた。

だから、
生身の人間が道に立っているのを見た瞬間、
少女は驚愕した。

嘘だろうと最初は心の中で否定したし、
信じたくもなかった。

しかし自分の中で強い直感が湧き上がり、
自分を殺しに来た「地獄の使者」は、
目の前に立っている現実の人間なのだと確信した。


ものすごく強烈な目をした、
震えるくらいに支配的な視線を発する、
いままで一度も会ったことのないような、
怖い男だった。

幾度も殺し合いの修羅場をくぐり抜いたかのような、
あたり一面を圧倒するくらいの気を放っていた。


危ない! 殺される!

少女は男と対峙しながら身の危険を感じた。
必死だった。
とにかく気持ちで負けたら終わりだと、
必死で睨み返した。


待ち伏せられている場所を避けようと思えば、
できたはずだった。
違う方向に走って逃げようと思えば、
逃げることはできたのだ。

しかし少女は、
あえて待ち伏せを知りながら向かっていった。

いま逃げてもいつか捕まる、
だから逃げることにきっと意味はない、
それよりも危険に立ち向かおう、戦ってみよう、
少女はそう決心した。

それでもいざ危険に身を晒してみると、
自分は無謀だったのではないかと後悔したくなる。
死ぬのかもしれない・・・
自分は今日この場で殺されて死んでしまうかもしれない・・・


私はまだ死にたくない!

天にも祈らんばかりの気持ちで、
不安や恐怖を振り払うかのように男と向き合った。


すると信じられない光景が。
なんと、殺し屋のようなその男は、
自分の目の前で、突如胸を押さえながら呻き出した。
低くこもるような、ぞっとする呻き声だった。

やがて男は、
ヨロヨロと力なく電信柱に抱きついて、
顔面が蒼白になった。

少女は慌ててその場から、
逃げるような早歩きで立ち去った。
恐ろしくてそこにとどまっていられなかった。


助かった、死ななくて済んだ、
自分はまだ生きていられるんだ、
少女は遠くに離れてから実感して脱力した。

負けなかった。
あの「地獄の使者」に負けなかった。


しかし、その日から、
少女の心の中では、
待ち伏せていたその男が消えなくなってしまった。

あの、生身の男が、
苦しそうに胸を押さえて悶える姿が、
少女の目に焼きついてしまった。

あの男の、
低くこもった自分を呪うかのような呻き声が、
少女の耳にこびり付いてしまった。


母親が左胸を右手を押さえる姿を見て、
少女は、
道で出会った男を回想せずにはいられなかった。

邪霊でも悪魔でも地獄の使者でもない、
ひとりの人間の、胸を押さえて呻き苦しむ様を、
ありありと絶対的なリアリティーをもって、
まるで永遠にあの瞬間が続くかのように、
自分の中で再現してしまっていた。

ひょっとして、
自分が死ぬまでこれから一生の間、
あの男の苦しむ姿が延々と再現されるのだろうか・・・

少女は無意識に青ざめた。