私は映画「八甲田山」のDVDを観ながら、
いろいろと考えていた。
210人中199人が死亡した青森連隊や、
少人数編成で踏破に成功した弘前連隊に相当する、
それに似たような人たちが、
1995年頃に裏の世界で実際にいたのではないのか?
かの寝たきり中年女性のいう、
仲間のほとんどが死ぬか廃人になってしまったという、
「最後の難関」というのが、
映画における冬の八甲田山のようなものではなかったのか?
そして、
仲間の多くの命を呑み込んだ「最後の難関」は、
最終的には見事にクリアーされたはずなのだ。
なぜなら、
私がいまこの文章を書いている21世紀初めの現在に至るまで、
地球の人類はとりあえずは壊滅的な破局など経験せずに、
なんとか存続しているからだ。
環境問題、人口問題、食糧問題、エネルギー問題・・・
地域間の激しい貧富の差により餓死する子供は毎日いるし、
新種の疫病はいつ世界中に蔓延するかわからないし、
中東各地での紛争は絶える兆しがないし、
宗教間ないし宗派間の対立や抗争は解決するようには見えないし、
そしていま私が暮らしているこの東京は、
いつ大地震で瓦解するかわからない。
問題山積のままではある。
しかし、しかしそれでも敢えていえば、
私たち地球の住人たちは、まだまだ滅ばずに済んでいる。
数多くの、生きる意志を持った人たちの暮らしは、
現在進行形で保たれたまま、
その生活の場となる「舞台」をいまだ取り上げられてはいない。
この世でもっと生きたいと強く願う人たちには、
そのチャンスは今後も残されている。
「最後の難関」をクリアーした人たちとは、
一体どんな人たちだったのだろう?
中年女性の印象的なセリフ、
「200人以上で8年がかりで破局を食い止めた」
もしこの言葉が本当だったとするなら、
食い止めた人たちは、
どんな気持ちで、どんな顔をしながら、
そのようなことを成し遂げたのだろうか?
私は最近、
子供の頃にワクワク胸をときめかせたある予言を、
しきりに思い出してしまうのだ。
大予言者といわれるかのノストラダムスの、
訳のわからない例の終末予言である。
1999年7の月・・・
実際にこの年のこの月には何も起こらなかったし、
どうせ何もないだろうと私は普通に生活していたのだが、
すべてが当たり前のように何の変化もなく、
1999年は平然と過ぎていった。
だが、
こういうことは考えられないだろうか。
何も起こらなかったのではなく、
何も起こらずに済むように陰で尽力した人たちがいて、
多くの人たちが何もなかったようにその後も生活できているのは、
その尽力した人たちの御陰なのかもしれない。
寝たきり中年女性やその仲間たちが、
1980年代終わりから1990年代半ばまで成し遂げた仕事とは、
ひょっとしたら、
ノストラダムスによって予言されていた、
1999年に起こるはずだった人類全体の破局を、
その前の段階で阻止するということだったのかもしれない。
「最後の難関」について、
私はもうインスピレーションを得ていた。
他人を納得させられる根拠は何もないのだが、
なんと、
たった一人の女子高生だったのではないだろうか。
驚くべきポテンシャルを秘めた最終兵器のような女子高生。
もしも完全に能力を開花させていたなら、
独力でこの世を破壊することすらできたかもしれない、
そんな女子高生。
踏破困難な八甲田山の如き「最後の難関」を克服した、
人類を破局から救った人物についても、
私の脳内ではやはりインスピレーションが浮かんでいた。
これも物的証拠などまったくないのだが、
悔しいことに、
小太りで背も高くなく二枚目でもなんでもない、
女好きでお金好きで酒好きで遊び好きの、
たった一人の中年男だったのではないだろうか。
しかし、その人物の御陰で、
日本の中年男を代表するかのようなその中年男の御陰で、
1999年に起こるはずだった人類の破局は、
見事に回避されたのではないか。そんな気がする。