1999

~外れた予言~

八甲田山(5)

2007-02-03 22:49:49 | Weblog

私は映画「八甲田山」のDVDを観ながら、
いろいろと考えていた。

210人中199人が死亡した青森連隊や、
少人数編成で踏破に成功した弘前連隊に相当する、
それに似たような人たちが、
1995年頃に裏の世界で実際にいたのではないのか?

かの寝たきり中年女性のいう、
仲間のほとんどが死ぬか廃人になってしまったという、
「最後の難関」というのが、
映画における冬の八甲田山のようなものではなかったのか?


そして、
仲間の多くの命を呑み込んだ「最後の難関」は、
最終的には見事にクリアーされたはずなのだ。

なぜなら、
私がいまこの文章を書いている21世紀初めの現在に至るまで、
地球の人類はとりあえずは壊滅的な破局など経験せずに、
なんとか存続しているからだ。


環境問題、人口問題、食糧問題、エネルギー問題・・・
地域間の激しい貧富の差により餓死する子供は毎日いるし、
新種の疫病はいつ世界中に蔓延するかわからないし、
中東各地での紛争は絶える兆しがないし、
宗教間ないし宗派間の対立や抗争は解決するようには見えないし、
そしていま私が暮らしているこの東京は、
いつ大地震で瓦解するかわからない。

問題山積のままではある。

しかし、しかしそれでも敢えていえば、
私たち地球の住人たちは、まだまだ滅ばずに済んでいる。

数多くの、生きる意志を持った人たちの暮らしは、
現在進行形で保たれたまま、
その生活の場となる「舞台」をいまだ取り上げられてはいない。

この世でもっと生きたいと強く願う人たちには、
そのチャンスは今後も残されている。


「最後の難関」をクリアーした人たちとは、
一体どんな人たちだったのだろう?

中年女性の印象的なセリフ、
「200人以上で8年がかりで破局を食い止めた」
もしこの言葉が本当だったとするなら、
食い止めた人たちは、
どんな気持ちで、どんな顔をしながら、
そのようなことを成し遂げたのだろうか?


私は最近、
子供の頃にワクワク胸をときめかせたある予言を、
しきりに思い出してしまうのだ。

大予言者といわれるかのノストラダムスの、
訳のわからない例の終末予言である。

1999年7の月・・・

実際にこの年のこの月には何も起こらなかったし、
どうせ何もないだろうと私は普通に生活していたのだが、
すべてが当たり前のように何の変化もなく、
1999年は平然と過ぎていった。

だが、
こういうことは考えられないだろうか。
何も起こらなかったのではなく、
何も起こらずに済むように陰で尽力した人たちがいて、
多くの人たちが何もなかったようにその後も生活できているのは、
その尽力した人たちの御陰なのかもしれない。

寝たきり中年女性やその仲間たちが、
1980年代終わりから1990年代半ばまで成し遂げた仕事とは、
ひょっとしたら、
ノストラダムスによって予言されていた、
1999年に起こるはずだった人類全体の破局を、
その前の段階で阻止するということだったのかもしれない。


「最後の難関」について、
私はもうインスピレーションを得ていた。

他人を納得させられる根拠は何もないのだが、
なんと、
たった一人の女子高生だったのではないだろうか。

驚くべきポテンシャルを秘めた最終兵器のような女子高生。
もしも完全に能力を開花させていたなら、
独力でこの世を破壊することすらできたかもしれない、
そんな女子高生。


踏破困難な八甲田山の如き「最後の難関」を克服した、
人類を破局から救った人物についても、
私の脳内ではやはりインスピレーションが浮かんでいた。

これも物的証拠などまったくないのだが、
悔しいことに、
小太りで背も高くなく二枚目でもなんでもない、
女好きでお金好きで酒好きで遊び好きの、
たった一人の中年男だったのではないだろうか。

しかし、その人物の御陰で、
日本の中年男を代表するかのようなその中年男の御陰で、
1999年に起こるはずだった人類の破局は、
見事に回避されたのではないか。そんな気がする。