金沢競馬&佐々木(ホープ社)

東海公営(中部優駿)→金沢競馬(カナザワ→フォーカス→ホープ)と渡りあるいた競馬記者歴35数年のおっちゃんのブログです。

⑤新米記者が出会った人々

2008-01-26 05:44:25 | Weblog
弥富トレセンでの調教が始まると、調教監視塔にはちょくちょく調教師が出入り
するようになりました。なにせこの調教監視塔の記者席はビルの5階立てくらいの
高さがあり、馬場が一望できるのです。また、前述の通り、当時は調教助手と騎手
が主に調教を担当。年輩の調教師はとくに調教を監視するいい場所だったようです

あの頃、調教監視塔によく登って来られたのが斉藤弘光調教師、調教が終わって
時々卵を持って来てくれた安達調教師などですが、追い切り日になると毎日によう
に登って来られたのが水谷文平調教師です。水谷文平師と言えばサンチャイナだそ
うですが、私が記者にななる前の馬で記憶にはありません。私が記者になってから
はアラブ大賞典(大井)を制したミヤノダービーが記憶に残っています。サラ並み
の切れ味が自慢の差し馬で、大賞典に向けてサラ挑戦を繰り返しスピードへの対応
も万全。案の定、本番では直線一気の脚で決めてくれました(当然、観戦に大井ま
で行きました) 水谷調教師は親分肌ではないのですが、記者連中には大変よくし
てくれました。調教監視塔ではしょっちゅう朝飯(騎手食堂からオニギリ&玉子焼
き)をゴチになりましたし、競馬開催が終わると記者4、5人を連れて焼肉屋によ
く連れて行ってくれました。大賞典の当日も表彰式の終わった後で、これで帰りに
メシでも喰っていけと、小遣いをもらった記憶もあります。とくに一人暮らしの私
は貧乏くさかったらしく、なにかと目を掛けてくれたようです。

その水谷先生も病に倒れ亡くなられて20年近くになります。弟子には塚田調教師
(ミヤノダービー騎手)、荒木調教師、児島騎手がいるように、その志は確実に受
け継がれているようです。いつの日にかこのファミリーから全国区の馬が出る事を
期待します。                        佐々木

※次回は杉本裕編集長(競新)の予定です。