金沢競馬&佐々木(ホープ社)

東海公営(中部優駿)→金沢競馬(カナザワ→フォーカス→ホープ)と渡りあるいた競馬記者歴35数年のおっちゃんのブログです。

⑪見果てぬ夢を追いかけて

2008-02-17 07:07:46 | Weblog
坂本敏美さんの訃報をいただきました。残念。20年も闘病生活を強いられた坂本
さんを思うと、あらためて『人生て何だろう』と考えさせられます。 目を細めた
くったくのない笑顔が目に浮かびます。

 坂本騎手が活躍した名古屋競馬を離れ金沢競馬に移籍した私ですが、最大の理由
は < ナンバーワンになりたい > と言う思いが強かったからです。矢部編集長の元
で社員一丸となってコンピューター化もなり、順調に№1の階段を登りつつあった
中で大きな不満はなかったのですが……。何と言うか私にワガママで気が付けばフ
ォーカス社にとらばーゆしてました。

あれから7年、8年? 多くの人と出会い助けられ、また迷惑を掛けてきました
残念ながら < ナンバーワンになりたい > という私の夢は、まだ遥かかなた。たし
かに夢はそう簡単にかなえられるものではありません。 ある時、他地区の専門紙
の社長にこんな事を言われました。 『 佐々木さん。いい新聞が必ず売れるとは限
りませんよ 』 と…。それまでいい新聞を作ればファンの支持を受けられると考え
紙面等の改良を加えてきたにはかなりショックを受けました。 売店で新聞を販売
している時にも 『 昔からワシはあの新聞しか買わないから… 』 とか 『 見慣れ
た新聞だから… 』 など保守的な?ファンが多い事はたしかですが…。

それでも少しでもいい新聞をと、今年の冬もスタッフ一同で頭を悩ませています
春の競馬開催(3月23日)には一度手に取ってみてくれたらうれしいです。

               更新遅れて申し訳ありませんでした。  佐々木

⑩金沢競馬で出合った人々

2008-02-09 10:23:17 | Weblog
金沢に来た16、7年前はまだ活版印刷の時代。活字を一つ一つ拾って紙面を
構成して作るので、本命馬が休んだり、苦手な枠に入ったりすると文章を訂正した
り、総評の順番を入れ替えたりするので、活字を拾う係りの( 職人さん )は大変
でした。勿論、私にできる筈もなく『 原稿を変更しますのでお願いします 』と言
うだけでした。今はパソコンで活字を拾う?スピードはケタ違いなのですが、その
当時はどこの会社でも活字を拾う職人さんは重要、かなり存在感もあったようです

そんな力関係?の中にあって絶大な統率力を示していたのが矢部守編集長です。
エース社(名古屋)→ホープ社→カナザワ社と来て、カナザワ社で全権を任された
矢部編集長は数々の勝負を打ち出しました。何と言ってもマガジンスタイルにした
事が一番のヒット(満塁ホームランと言った方が正解か)これにより売り上げが急
上昇。それに刺激されて他社も追随。これにより金沢競馬場の専門紙は5社総てが
マガジンスタイルになりました。また矢部氏が紙面を充実する事により、切磋琢磨
された金沢競馬の専門紙は今やかなりのレベルになっています。その意味でも矢部
編集長の存在は金沢競馬専門紙にあってかなりの功労を残したと言えます。

※現在、矢部氏は新聞作成から一歩下がった形ですが、読売新聞の予想を担当し、
また当社のアドバイザー的存在です。 私も金沢競馬に来て矢部氏から馬の見方を
一から教わりました。先輩記者吹元さん同様にお世話になった人です。
                               佐々木

⑨金沢はええとこやのお~。

2008-02-06 20:00:22 | Weblog
   2、3日体調が悪く更新できませんでした。申し訳ありませんでおます。  
私が金沢競馬に来たのが8月の末。娘の二学期からの転校に合わせた格好になり
ました。当然、即戦力として期待されていたので、朝の調教も吹元さんの補助とし
て出勤しましたが、何せ7百頭もいる馬も初めて見る馬ばかり。これに30人以上の
騎手、厩舎も40以上あって完全に把握するにはかなりの時間を要しました。

さて、金沢に来て驚いた事がいくつかありました。まず一つは朝の涼しい事です。
丁度、夏の終わりに移ったのですが、名古屋では朝3時前の出勤時でも30℃近くあ
るのが当たり前。アパートのドアを開けるとムシッとするのが常でしたが、金沢だ
と暑いといっても25℃くらい。とにかく涼しいのです。これなら金沢の馬は夏負け
しないだろうなぁ、と思ったものでした(実際は違ってましたが…) もう一つは
朝3時前に競馬場の外に駐車場に着いて場内の記者席まで歩くのですが、天気のい
い日はまさに満天の星。名古屋の弥富もかなり田舎だけど、金沢に来てこの空には
驚きましたね。これなら宇宙の果てまで見えるかも…。

調教で違っていた事は金沢では調教助手が存在しないことです。その代わりに厩務
員(競馬新聞上では助手となっている)が簡単な申請だけで調教をしていることで
した。ちなみに名古屋では調教師、騎手、調教助手(免許制)だけに調教がゆるさ
れています。金沢の厩務員は馬にも乗れなくてはならないのです?

9月の新聞から予想を載せてもらえたのですが、ビギナーズラックと言うのか?
騎手の力量が解らないのがよかったのか?結構予想が当りました。まぁ、しばらく
すると( 翌年 ) 元の的中率にもどりましたが…。 

                               佐々木

⑧佐々木、北陸・金沢を目指す!

2008-02-03 07:46:46 | Weblog
競馬記者になって13年ほど経ちました(1988年頃)が、相変わらず当社(中部)は
4社の中でもシンガリの方でした。私の感触ですが、その頃にはエース社が4割、
東海社3割強、競新2割強、中部1割程度だったと思います。 競輪では断トツだ
ったのですが、こと競馬部門では……。東海テレビで〔ダッシュ公営〕を放映する
など社をあげて頑張ってはいたのですが、なかなか結果には繋がらなかったようで
す。私も、なぜ売れないのか解らずモンモンとした気分になっていたいました。

そんなおり、以前に一回だけ行ったことがある金沢競馬をふと思いだしたのです。
笠松開催中は2、3日休みが取れたので『 久しぶりに金沢競馬ツアー(と言って
も一人)にでも行くか! 』 と軽い気持ちで出かけたのです。名古屋からしらさぎ
に乗って3時間。あの当時はまだ工事中の金沢駅におり送迎バスに乗って金沢競馬
に向いました。 その頃金沢競馬に専門紙が何社あるかは知らなかったのですが、
10年程前に宗野さんと行った栗東トレーニングセンター見学?でその当時、競馬フ
ァンに在籍していた吹元さん(競馬カナザワ)の顔を知っていた事もあり、記者席
に顔を出したのです。

その頃は競馬人気も高く、ツアーの行ったその日の金沢競馬も結構な盛況ぶり。
いい感触を得た私は『 記者を募集している会社はないですかねえ? 』と吹元さん
に尋ねた処。『 それならうちの社長に話してやるよ 』と言ってくれたのです。
競馬が終了すると競馬場近くにある競馬カナザワの本社へ…。月田進社長も快く迎
えていただき、まさにトントン拍子。正直、金沢競馬に替わると腹に決めていた訳
ではなかったのですが、春の金沢競馬ツアーから数ヵ月後。8月の終わりには競馬
カナザワの記者になっていました。

                             佐々木