調教時計も何とか取れるようになり一年。弥富トレセンへ引越し。車の少ない
時間帯とはいえ、片道20分。朝2時半前に起きての調教へ行く日が月に20日余り。
寝起きはよい方でしたが、名古屋を離れるまで(金沢転居)13年間続きました。
私が新米記者になった当時は前述の通り、坂本全盛時代。名白楽・安達小八調教
師とのコンビで地方競馬をリードしていました。安達調教師の手がけた名馬は数知
れず、有名な処ではアラブのシナノリンボー(種牡馬)、トキテンリュウ(種牡馬)
サラではジュサブロー(オールカマー①着)の3頭でしょうか。
シナノリンボーは種牡馬になって、それも晩年になってからトチノミネフジ、レ
オグリングリン(残念ながらいずれも他地区・東海地区ではカヅミネオンのみ?)
の怪物を輩出しましたが、私はむしろ競走成績、種牡馬成績等でひと周りスケール
の見劣るトキテンリュウが印象に残ります。
当時のアラブの最高峰のレースと言えば暮れの大井・アラブ大賞典であります。
その頃は会社から交通費が支給されていたので、競馬の日程さえ合えば毎年のよう
に観戦に行けました。たしか二度目の挑戦だったと思うのですが、クビか頭の小差
で差し切りました。丁度、その時来賓席へ上がるエレベーターの中で草野さん(タ
レンント・司会業)や記者席で中本工事さん(ドリフターズ)に合い、『さすがに
東京の競馬場だがや』と思ったのもでした。その後、種牡馬になったトキテンリュ
ウはシナノリンボーとは比べものになりません。ただ、自身のレースぶり同様にス
ピードこそないながらも、息の長い脚を使う産駒を多く輩出しました。
ジュサブローは安達調教師の名を中央に知らしめた名馬であります。馬主・角田
氏の娘さんが人形師・辻村じゅさぶろーのファンだった事から命名したようで、た
しか坂本騎手が落馬した後で、鈴木騎手が主戦を務めていました。たしかにオール
カマーはそんなに強敵は居なかった記憶がありますが、ジャパンカップ挑戦など、
名古屋のファンに夢を見せてくれた一頭であります。
安達調教師は調教にも乗る(当時、名古屋では調教助手や騎手が主に担当)人で
そのせいか、いつも鼻をグシュグシュしていたのを思いだします。弥富トレセンで
はニワトリを放し飼いにしており、時おり調教監視塔まで持ってきてくれました。
その卵を焼いて何度か朝食に…。放し飼いの卵はおいしかった。その安達調教師は
大変、馬を大事にする調教師で、『今はソエが出たらすぐ焼いてしまう。もう一度
リセットする面倒な事は誰もやらなくなった』と嘆いていた事を思いだします。
また、ある時デビューから期待していた3歳馬(今は2歳馬)に『この馬のいい処
は何処ですか?』とおそるおそる聞いたことがあります。てっきり母系がどうのこ
うの、近親には何々…。と返ってくると思っていたのですが(安達調教師は血統も
かなり詳しかった)『クビさしの美しさだよ』とひと言。その当時は何の事やらさ
っぱり解りませんでした。経験を積んでようやく解ったのですが、頭から肩にかけ
てのラインは、馬の体型の特徴を表す部分だったのです。このラインが美しければ
理想的な馬体になる(むしろ理想的な馬体でないとクビさしが美しくないと言った
方が正解かも…) 記者歴1、2年の新米のアンちゃんには難しすぎたようです。
※次回は週末の予定です(水谷文平調教師の思い出) 佐々木
時間帯とはいえ、片道20分。朝2時半前に起きての調教へ行く日が月に20日余り。
寝起きはよい方でしたが、名古屋を離れるまで(金沢転居)13年間続きました。
私が新米記者になった当時は前述の通り、坂本全盛時代。名白楽・安達小八調教
師とのコンビで地方競馬をリードしていました。安達調教師の手がけた名馬は数知
れず、有名な処ではアラブのシナノリンボー(種牡馬)、トキテンリュウ(種牡馬)
サラではジュサブロー(オールカマー①着)の3頭でしょうか。
シナノリンボーは種牡馬になって、それも晩年になってからトチノミネフジ、レ
オグリングリン(残念ながらいずれも他地区・東海地区ではカヅミネオンのみ?)
の怪物を輩出しましたが、私はむしろ競走成績、種牡馬成績等でひと周りスケール
の見劣るトキテンリュウが印象に残ります。
当時のアラブの最高峰のレースと言えば暮れの大井・アラブ大賞典であります。
その頃は会社から交通費が支給されていたので、競馬の日程さえ合えば毎年のよう
に観戦に行けました。たしか二度目の挑戦だったと思うのですが、クビか頭の小差
で差し切りました。丁度、その時来賓席へ上がるエレベーターの中で草野さん(タ
レンント・司会業)や記者席で中本工事さん(ドリフターズ)に合い、『さすがに
東京の競馬場だがや』と思ったのもでした。その後、種牡馬になったトキテンリュ
ウはシナノリンボーとは比べものになりません。ただ、自身のレースぶり同様にス
ピードこそないながらも、息の長い脚を使う産駒を多く輩出しました。
ジュサブローは安達調教師の名を中央に知らしめた名馬であります。馬主・角田
氏の娘さんが人形師・辻村じゅさぶろーのファンだった事から命名したようで、た
しか坂本騎手が落馬した後で、鈴木騎手が主戦を務めていました。たしかにオール
カマーはそんなに強敵は居なかった記憶がありますが、ジャパンカップ挑戦など、
名古屋のファンに夢を見せてくれた一頭であります。
安達調教師は調教にも乗る(当時、名古屋では調教助手や騎手が主に担当)人で
そのせいか、いつも鼻をグシュグシュしていたのを思いだします。弥富トレセンで
はニワトリを放し飼いにしており、時おり調教監視塔まで持ってきてくれました。
その卵を焼いて何度か朝食に…。放し飼いの卵はおいしかった。その安達調教師は
大変、馬を大事にする調教師で、『今はソエが出たらすぐ焼いてしまう。もう一度
リセットする面倒な事は誰もやらなくなった』と嘆いていた事を思いだします。
また、ある時デビューから期待していた3歳馬(今は2歳馬)に『この馬のいい処
は何処ですか?』とおそるおそる聞いたことがあります。てっきり母系がどうのこ
うの、近親には何々…。と返ってくると思っていたのですが(安達調教師は血統も
かなり詳しかった)『クビさしの美しさだよ』とひと言。その当時は何の事やらさ
っぱり解りませんでした。経験を積んでようやく解ったのですが、頭から肩にかけ
てのラインは、馬の体型の特徴を表す部分だったのです。このラインが美しければ
理想的な馬体になる(むしろ理想的な馬体でないとクビさしが美しくないと言った
方が正解かも…) 記者歴1、2年の新米のアンちゃんには難しすぎたようです。
※次回は週末の予定です(水谷文平調教師の思い出) 佐々木