<利根川を渡り茨城県へ>
歩いて巡る日光道中二十一宿(第4回):第2日目(1):栗橋宿・中田宿
(小田急トラベル)
2009年9月27日(日)
<JR小山駅から栗橋駅へ>
■朝食
小山駅前のエクセルイン小山で,2日目の朝を迎える.
6時30分,エクセルイン小山1階の食堂で,朝食.バイキング形式.私は和食を主体にしてメニューを選ぶ.
■JR宇都宮線で栗橋へ
8時20分,ホテル前に集合.JR小山駅へ向かう.小山8時35分発宇都宮線上り電車に乗車.8時57分にJR栗橋駅に到着する.
<JR小山駅>
<JR栗橋駅から歩きだし>
<栗橋宿>
■栗橋宿に入る
9時10分,例の「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに,第1日目の続きを歩き出す. 静御前墓の前を通過して,東の方向に数分歩いて,中山道に出る.
9時26分,栗橋宿本陣跡に到着する.栗橋宿は,江戸日本橋から数えて,7番目の宿である.
旅行社の資料によると,栗橋宿には,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠25軒,宿内戸数404戸があり,宿内人口は1741人であった.かなり大きな宿場町だったようである.
■栗橋関所跡
本陣跡を通過してから,右へ鋭角に曲がり,9時28分,栗橋関所跡に到着.
八坂神社付近で,鋭角に右折して,9時35分,利根川橋の袂に到着する.
<中田宿>
■利根川を渡って栃木県へ
9時35分,利根川橋を渡り始める.長くて立派な橋である.
橋の中央付近に,栃木県と茨城県の県境がある.9時37分,私たちは県境を越えて茨城県から栃木県に入る.
9時43分,橋を渡り終える.橋を渡り終えるのに8分掛かった.
<利根川の土手を歩く>
<県境を越えて茨城県古河市へ>
■中田関所跡
9時46分,中田関所跡を通過する.
中田宿は,江戸日本橋から8番目の宿場である.旅行会社の資料によると,中田宿の規模は,本陣1軒,旅籠6軒,宿内戸数69戸,宿内人口403人,やや規模が小さな宿場町だったようである.
<中田関所跡>
<中田宿説明板>
■茶屋新田松並木
北北東の方向に真っ直ぐ伸びる道を,ひたすら歩き続ける.
JR宇都宮線を横切ってから,進路が北に変わる.そして,また,長い一本道になる.
10時14分,茶屋新田松並木に到着する.しかし,松並木といえるほどの松は見当たらない.ただ若い松の木が1本,案内板の側に生えている.
<茶屋新田松並木>
■原町KASUMIで休憩
日光街道は,茶屋新田松並木から先,JR宇都宮線の線路とほぼ並行に続く.
10時42分,原町のKASUMIという食品マーケットに到着する.
ここで,20分ほど休憩を取る.
(つづく)
「日光道中二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/44233092e57dcef2f1a632bb2f8f9409
「日光道中二十一宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0db290c386020da700531d708419fac0
[編集後記]
2009年10月30日(金)
今日の私は嬉しくて仕方がない.何といっても,ブログの記事を書く気になったからだ.
急性胃炎が発症してから10日余り.3日ほど前に急性胃炎は快癒.現在,投薬によるピロリ菌滅菌の治療を受けている.
数日前から,自分でも十分快癒していると思っていた.
しかし,リハビリのために長距離歩行を開始してから,日ごとに気分が昂揚してきて,随分とやる気が出てきた.とても爽快である.
今回は,身体に負担にならないように,記事の量を少な目にして,まずは投稿に踏み切った.
記事を作るのが楽しくて仕方がない.まだ,記事にすべき材料が沢山残っている.つまり沢山の仕掛残がある.これが嬉しくて仕方がない.どのイベントから料理して記事にしようかと考えるだけで,楽しくて仕方がないのである.
どこも痛くない状態って,実に良いなと実感している.
とはいえ,発病前に66キログラムあった体重が.闘病中に瞬く間に減少して,今日現在,61キログラムになってしまった.わずか10日余りの間に,5キログラムも体重が減少した.
鏡に自分の身体を映してみると,ヘソ廻りにまとわりついていたブヨブヨは綺麗に取れたものの,手足の筋肉が細めになっている.筋肉だけでも,早く発症前に戻したいなと強く思っている.
(後記おわり)
歩いて巡る日光道中二十一宿(第4回):第2日目(1):栗橋宿・中田宿
(小田急トラベル)
2009年9月27日(日)
<JR小山駅から栗橋駅へ>
■朝食
小山駅前のエクセルイン小山で,2日目の朝を迎える.
6時30分,エクセルイン小山1階の食堂で,朝食.バイキング形式.私は和食を主体にしてメニューを選ぶ.
■JR宇都宮線で栗橋へ
8時20分,ホテル前に集合.JR小山駅へ向かう.小山8時35分発宇都宮線上り電車に乗車.8時57分にJR栗橋駅に到着する.
<JR小山駅>
<JR栗橋駅から歩きだし>
<栗橋宿>
■栗橋宿に入る
9時10分,例の「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに,第1日目の続きを歩き出す. 静御前墓の前を通過して,東の方向に数分歩いて,中山道に出る.
9時26分,栗橋宿本陣跡に到着する.栗橋宿は,江戸日本橋から数えて,7番目の宿である.
旅行社の資料によると,栗橋宿には,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠25軒,宿内戸数404戸があり,宿内人口は1741人であった.かなり大きな宿場町だったようである.
■栗橋関所跡
本陣跡を通過してから,右へ鋭角に曲がり,9時28分,栗橋関所跡に到着.
八坂神社付近で,鋭角に右折して,9時35分,利根川橋の袂に到着する.
<中田宿>
■利根川を渡って栃木県へ
9時35分,利根川橋を渡り始める.長くて立派な橋である.
橋の中央付近に,栃木県と茨城県の県境がある.9時37分,私たちは県境を越えて茨城県から栃木県に入る.
9時43分,橋を渡り終える.橋を渡り終えるのに8分掛かった.
<利根川の土手を歩く>
<県境を越えて茨城県古河市へ>
■中田関所跡
9時46分,中田関所跡を通過する.
中田宿は,江戸日本橋から8番目の宿場である.旅行会社の資料によると,中田宿の規模は,本陣1軒,旅籠6軒,宿内戸数69戸,宿内人口403人,やや規模が小さな宿場町だったようである.
<中田関所跡>
<中田宿説明板>
■茶屋新田松並木
北北東の方向に真っ直ぐ伸びる道を,ひたすら歩き続ける.
JR宇都宮線を横切ってから,進路が北に変わる.そして,また,長い一本道になる.
10時14分,茶屋新田松並木に到着する.しかし,松並木といえるほどの松は見当たらない.ただ若い松の木が1本,案内板の側に生えている.
<茶屋新田松並木>
■原町KASUMIで休憩
日光街道は,茶屋新田松並木から先,JR宇都宮線の線路とほぼ並行に続く.
10時42分,原町のKASUMIという食品マーケットに到着する.
ここで,20分ほど休憩を取る.
(つづく)
「日光道中二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/44233092e57dcef2f1a632bb2f8f9409
「日光道中二十一宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0db290c386020da700531d708419fac0
[編集後記]
2009年10月30日(金)
今日の私は嬉しくて仕方がない.何といっても,ブログの記事を書く気になったからだ.
急性胃炎が発症してから10日余り.3日ほど前に急性胃炎は快癒.現在,投薬によるピロリ菌滅菌の治療を受けている.
数日前から,自分でも十分快癒していると思っていた.
しかし,リハビリのために長距離歩行を開始してから,日ごとに気分が昂揚してきて,随分とやる気が出てきた.とても爽快である.
今回は,身体に負担にならないように,記事の量を少な目にして,まずは投稿に踏み切った.
記事を作るのが楽しくて仕方がない.まだ,記事にすべき材料が沢山残っている.つまり沢山の仕掛残がある.これが嬉しくて仕方がない.どのイベントから料理して記事にしようかと考えるだけで,楽しくて仕方がないのである.
どこも痛くない状態って,実に良いなと実感している.
とはいえ,発病前に66キログラムあった体重が.闘病中に瞬く間に減少して,今日現在,61キログラムになってしまった.わずか10日余りの間に,5キログラムも体重が減少した.
鏡に自分の身体を映してみると,ヘソ廻りにまとわりついていたブヨブヨは綺麗に取れたものの,手足の筋肉が細めになっている.筋肉だけでも,早く発症前に戻したいなと強く思っている.
(後記おわり)