中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る日光道中(第4回目):第2日目(2):古河宿・野木宿

2009年11月01日 16時44分01秒 | 日光街道二十一宿

                     <友沼八幡神社で一休み>

   歩いて巡る日光道中二十一宿(第4回):第2日目(2):古河宿・野木宿
              (小田急トラベル)
         2009年9月27日(日)
つづき

<原町から野木古河線沿いに歩く>

■原町一里塚跡

 休憩を終えた私たちは,10時42分,KASUMIを出発する.
 野木古河線に沿って,北西に真っ直ぐ伸びている自動車道を進む.
11時04分,古河第二高等学校の敷地内にある原町一里塚を,フェンスの編み目から覗きながら通過する.原町一里塚は,江戸日本橋から16番目の一里塚である.
 一里塚跡を示す石柱は,かなり風化していて,文字が刻まれているかどうかも分からない.


■お茶屋口と御成道
 11時27分,「御茶屋口と御成道」と書いた説明板の前を通過する.


<古河宿>

■古河宿脇本陣跡
 自動車道路の野木古河線に沿って,北西の方向にひたすら歩き続ける.進行方向左手から,自動車道がY型に合流する.そして,進路が真北に変わる.
 11時25分,古河脇本陣跡を通過する.


■古河宿の概要
 旅行社の資料によると,古河宿は江戸から9番目の宿場である.本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠31軒,宿内戸数1105戸,宿内人口は3856人のようである.もっとも,これらの数字が何時の年のものかは不明なので,何となく中途半端な印象を受ける.

                   <野木宿松並木の説明文> 

■立派な道標
 交差点を左折する.そして,11時30分,直ぐに,また右折する.ここに石造りの立派な道標がある.道標の直ぐ側に,詳しい説明板がある.
 この辺りに脇本陣があったらしいが,それらしい案内板や指導標は見当たらない.


<松並で昼食>

■アウトレットモールKASUMI

 歩き進むに連れて,周囲の雰囲気が,何となく静かになる.私たちは古河宿を通過して,野木宿を目指して,住宅地の中を歩き続ける.暫くの間,単調な郊外の道を歩き続ける.
 11時51分,松並のアウトレットモールYAOKOに到着する.市場前のだだっ広い駐車場を歩いていると,ガードマンが,
 「ここからではなく,あちら側の入口から入って貰いたかったな・・・んじゃ,まあ~,ここの隅っこを注意して渡ってください・・・」
と横柄な言いぐさである.私は,
 「始めてきた客だよ・・そんなこと言ったって,入口がハッキリ明示されていないじゃないか・・」
と声には出さずに,心の中だけで怒鳴る.そんなこともあって,ここの印象はすこぶる悪い.

          <アウトレットモールの広場で弁当の支給を待つ>

■広場で昼食
 係員が,このモールで仕入れたと思われる昼食弁当を配り始める.
 私たちは市場前の広場で,三々五々集まって,昼食を摂る.

                     <支給された弁当>

■巨大な建物が並ぶ
 日頃,広い平野が殆どない鎌倉に住んでいる私は,これほど巨大な商業施設を見たことがない.とにかく,規模の大きさに仰天する.
 昼食後,アウトレットモールと,隣接する薬屋に入ってみる.薬屋の規模も,また,巨大である.広い売り場を中に進むと,突き当たりに大きな100円ショップの店舗がある.その脇に十数台の自動販売機が並んでいる.
 

<野木宿>

■野木神社

 昼食を終えた私たちは,12時42分,「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに,KASUMIから歩き出す.
 12時48分,野木神社参道の入口を通過する.
 参道入口には,「日光道中野木宿周辺の松並木」という案内板がある.説明文を読んでいる暇がないので,写真を撮って通過する.
 旅行社の資料によると,仁徳天皇の時代,蝦夷征伐を終えた坂上田村麻呂が,帰途,ここに植えたといわれるイチョウの木があるという.また,この神社には,母乳のでない母親の信仰を集めていたという.
 ちょっと立ち寄ってみたい気がするが,そのまま通過する.
 12時52分頃,私たちは野木宿に到着する.

                     <野木神社参道入口>

■野木宿本陣跡
 12時55分,本陣が有ったと思われる場所を通過する.しかし,本陣跡を示すものは何もない.まあ,この辺りだろうと,適当に考えて,通過する.
 旅行社の資料によれば,野木宿の規模は,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠25軒,宿内戸数126戸,宿内人口527人だったらしい(調査年代不明).

                    <野木宿入口の木戸跡>

■野木一里塚
 13時00分,江戸日本橋から17番目の野木一里塚跡を通過する.一里塚跡には,小さな案内板が立っている.

             <江戸日本橋から17番目の野木一里塚跡>



■友沼八幡神社
 暫くの間,史蹟がほとんどない日光街道を北に淡々と歩き続ける.至って単調.
 13時46分,漸く休憩場所の友沼八幡神社に到着する.広い境内を持つ神社である.境内の片隅に,質素だが立派な本殿が建っている.辺りには人気が全くない.
 ここで休憩.
 ここは将軍ご休憩所跡でもある.旅行社の資料によると,将軍の日光参廟行列は,古河宿を朝出発して,この友沼八幡神社で,最初の休憩を取ったという.
 ここで,私たちもしばらく休憩である.

                                (つづく)
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[編集後記]

 2009年11月1日(日).晴後曇
 昨夜から我が家に宿泊していた北鎌倉に住む長女の家まで,旦那を伴って,ブラブラ歩きをした.
 鎌倉中央公園を抜けて,山道に入る.急坂を登り詰めて尾根道に出る.ここから尾根の反対側斜面の急坂を降りる.山崎小学校の学童が実習する畑を抜けて,魯山人釜跡に出る.そこから山崎小学校沿いの道を辿って山崎切り通しを抜け,台の住宅地に入る.
 台の住宅地を抜けて,北鎌倉の長女の家に到着する.
 ここからは,私一人で,小袋谷を経由して,大船までブラブラ歩きを楽しむ.途中,北鎌倉の某コンビニに立ち寄る.この店の店主とは10年来の顔なじみである.ヒョッとしたらお会いできるかなと期待したが不在.奥さんに私の長女の旦那を紹介する.ここで娘の旦那と別れる.
 久々に大船駅ルミネの中をウインドウショッピングする.ユニクロに立ち寄る.着心地が良さそうなフリースが並んでいる.1着欲しいなと思ったが,あえて購入する必要もないなと思いとどまる.
 本来ならば,この辺りで,コーヒーショップに入って一休みしたいところだが,今はピロリ菌滅菌治療中.コーヒーは自粛する.
 大船駅からバスに乗って帰宅する.
 歩きながら,自分の体調がとても良いことを実感する.嬉しい.とにかく気分良く散歩ができるのが嬉しい.初秋のような陽光を浴びながら散歩をしていると,気分がますます昂揚してくる.
 リハビリの途中経過は,予想以上に好調である.
 気分の良い一日であった.
 明日から,あと2日で,第1ステップのピロリ菌滅菌治療が終わる.気のせいかもしれないが,胃の調子はすこぶる良好.
 一般システム論の理屈に従えば,治療が順調ならば,滅菌目標値の70パーセントぐらいはクリアしているはずである.3日後の検診の結果が楽しみである.

[加除修正]
2009/11/2    転換ミス訂正



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