ぼくがこの映画をDVDレンタルで観てみようかと思ったのは、秀島史香さんがウェブ日記に「良かった。お母さんが子供を抱き締めるシーンとか特に」というような感想を書いてたのを読んだからとか、建設中の東京タワーの映像などが皆の注目を集めてるといった話題であるとか、おまけに一国の総理大臣までが褒めてたというニュースなどを聞いたりしたというあたりからだろうか。
セリフの多い映画だったので、音を聞いているだけでも大体の話の内容は把握できた。
そこで感じたものは、「今の若者はコミュニケーション能力不足だとかよく語られるけれども、昔から日本人は“コミュニケーション下手”という部分があったんじゃないだろうか?」ということなどだった。
この映画のような時代と庶民の暮らしを描いたドラマ(20年前くらいにNHKの連ドラで観た『たけしくん、ハイ!』とか)や、落語の長屋生活でよく喧嘩のシーンが出てくるが、ああいうのって「まぁまぁまぁ」とかって止めに入ってくれる人達や仲裁人の存在を当てにして行われるコミュニケーションの方法論なんじゃないかと思ったりするのである。
そしてまた、この映画の特徴だと思った‘コミュニケーションの婉曲表現’と呼べるものも、当人同士が伝えきれない本当の‘思い’や‘気持ち’を橋渡ししてくれるフォロー人達が存在しなければなかなかうまく回っていかない部分が多いんじゃないかと思った。
現代のように個々人がばらばらになってしまった関係性の中では、外国の人のように自分の本当の思いや気持ち、あるいは互いを親密にするための直接的表現(「愛してる」「あなたと居られてうれしい」「あなたのことが心配だ」「あなたがいなくなると寂しい)等々などを表したり受け止めたりすることにもっと慣れたり、そうでなければ‘コミュニケーション下手’を互いに補い合うような二重、三重の人同士の関係性の厚みを復活させるかしないといけないように思えるのだが、概して今の日本人にはどちらもできていないような気がする。
DVDを借りたのが1年前だったのか、半年前だったのか忘れてしまったが、先日TVでもオンエアされてたのをたまたま観かけたのでそれも含めての感想になるのだが、この時代というのは‘過去の失敗への悔恨(敗戦)への反省や悲しみ’と、テレビなどの新しい家電や自動車といったテクノロジーに象徴されるような‘未来への明るい希望’がちょうどいいバランスで人々の心の中に同居していた時代だったから、皆が「昭和30年代は良かった」と思えるのかなと思ったりもした。
この映画を観た上でこの映画自体に文句をつけようという気は全然ないのだが、ぼくは昨今流行ってる「復古主義」とか「懐古趣味」とか「ナショナリズム」とかは基本的に好きじゃないので、昭和30年代を矢鱈フィーチュアするのっていかがなものかって思ってる人間なのだったが、10月5日だったか、NHKラジオの午前中の番組にこの映画を撮った山崎貴監督が続編のプロモーションを兼ねてインタビューを受けていたのをたまたま聞いて、監督自身はそういう人ではなかったという印象を受けたのでぼくにはそれが快く思えたのだった。