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耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

葬儀に想う

2017年11月14日 09時33分11秒 | この頃思うこと
 親しい友人が亡くなった。
先日の通夜では多くの参列者が、別れを惜しんだと言う。

 46歳の働き盛りだったから、仕事の関係者は多かった
だろう。フランクな人柄で地域活動に積極的だったし、
遊び友達も沢山居たから、別れを惜しむ人は多かったと
思う。

 昨年は、私も二人の母を見送ったがいずれも家族葬で、
参列者は数人だったから、対照的である。



 思うに、通夜を含む葬儀の行事は、一体何なんだろうか?
誰のために行われるんだろうか?

 大切な家族を失った身内は、故人との思い出の中で
悲しみに打ちひしがれて居るはずなのに、それを忍て
多くの参列者の相手を強制される。

 葬祭のために隣近所の人手が必要で、その為に日頃の
付き合いを欠かしてはならなかった時代とは異なり、
今は何もしなくても、自動的に機械的に葬儀は終わる。

 多くの参列者は、故人の遺徳の象徴であるかも知れ
ないが、遺族にとって迷惑では無いだろうか?
 参列者は、別れを惜しむことより、自分と故人との
深い関係を誇示するために来て居ないか?

 故人を偲び、故人との関係を自慢したい人達は、
遺族達の悲しみの場とは別に、送る会を持てば良い。
 私が現役の頃の上司が亡くなった時には、そうした。
家族葬に参列するのは遠慮して、自分達だけで飲んだ。

 と言いつつも、故人とツーショットの写真に弔句を
添えて参列者に託した私は、遺族に負担を強いたことに
なっていないか、心配になっている。



                    合掌


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