教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

「聴く」について考える

2021-10-20 | 生き方・働き方改革

聴くについて考えてみたいと思います。

こちらの記事をシリーズで読みました。

聴く極意

”サンリオエンターテイメント代表取締役の小巻亜矢さんは「対話の力」で組織を活性化し、サンリオピューロランドをV字回復に。篠田真貴子さんは、オンライン1on1サービス「YeLL」を運営するエールのリーダーとして活躍中。まさに、「聴く」のエキスパートといえる2人が、「なぜ聴くことが大切なのか?」「聴く力をどう身に付けたか?」などを全5回で語り尽くします。(本文より)”

コミュニケーションには、大きく分けて発信する行為と受信する行為があります。発信する行為はプレゼンテーションや意見表明などに代表され、それを鍛えるテクニカルなトレーニングを学校時代からやってきているわけです。しかし、受信する行為である、「聴く力」については、学校教育でも企業内教育でも、家庭教育でもあまり扱われてきませんでした。

しかし、グローバルにもローカルにも様々な人とのつながりを抜きにしては持続した生活も社会もつくれない世の中です。だからこそ、「聴く力」は今後さらに注目されていくでしょうし、積極的に学ばなくてはならいと私は思います。そんなときに、上記のシリーズはとても役に立つ記事だなと思いました。

いくつか上記リンク記事についてコメントしたいと思います。

①聴く=負け ではない について
例えば上司が部下のいうことを「うんうん」と聴いているところを想像してみます。上司の意見とは正反対な主張を部下がまさにしていて、上司はそれをじっと聴き耳をたて、時にうなずいているシーン。ここだけを切り取ってみると、即座に反論していかない上司は弱い上司であり、主張ができない上司なのでしょうか?

いえ、それは違います。この「黙って聴く=負け」という図式から解放されなくてはいけません。黙って聴くことは負けを認めたことではないのです。

②受け止めると賛同して受け入れることとの違いについて
そして、「受け止めること」と「賛同して受け入れること」は、全く違うことです。
例えば、「あいつをぶん殴ってやりたいよ」というAさんの発言に対して、受け止めるとは、「ああ、Aさんはそれほど怒りが今湧いているのだね」と寄り添うこと。でも、これからしちゃうかもしれない暴力行為について賛同しているわけではないわけです。

ここがよく誤解される部分です。
一旦は、相手の立場を受け止めるということ、寄り添って理解するということ。これがまずは第一にあるというのが、これからのものの見方のスタンダードになると思います。
そして、そのあとで、自分はこう思う。これが役に立つならこういう考えもあるかもしれないと相手に提案すること。その提案についても、押し付けではなく、それを活かすかどうかの選択権はあくまで相手にあるということ。

確かに、受け止めるということは、難しい側面があります。
自分の思想・信条に反することを相手が主張してきたら、自分の正義で正したくなるというのが人間の本性でもあるからです。

しかし、その正義によって、多くの命さえ失われてきました。戦争やテロなどによって。

③探究的に聴く
自分の主義・主張などが確立されるほど、人の話を聞き始めた時に、ジャッジが入りやすくなります。それを防ぐには、相手や相手の言動・話の内容に純粋に探究心を持って聴くことなんだと思いました。それにより、義務感での”聴かねば”のモードを手放すことができます。

 

人類全体が、もっと「聴く力」に注目し、理解し、実行することができるようになることなのだと思います。自重を含めて、自分も「聴く力」を意識していきたいと、この記事を読んで思いました。

 

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