教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

バランスということ

2007-01-22 | 雑感(教育関連)
バランスということについて考えたいと思います。

今、「ゆとり教育」が批判されています。「ゆとり教育」により学力が低下したのだという主張です。 私はこの批判が正しいか間違っているかと問われたら、ある部分は正しいがある部分は間違っていると答えたいと思います。 それよりも、「ゆとり」か「学力(この場合は詰め込み教育)」という天秤で、1か0かを決定しようというところに、議論の浅さを感じざるを得ません。

日本人の特徴として、これは意識した方がいいと思うのですが、1か0かという議論が非常に多い。なるべくどちらかに決着してほしい。どちらかに決めてしまえという論理です。議論をつくして結論を導くのなら納得もできるのですが、「増税か減税か」といったものも簡単には決められないはずで、経済のバランスシートをよく見て短期的に判断すべきもの、長期的に判断すべきものなどをきちんと評価していくべきなのです。

「ゆとり教育」をかつて求めたのは実はマスコミであり、国民であったことをここで思い起こさなくてはなりません。「ゆとり教育」が叫ばれた頃、日本では受験戦争と呼ばれ知識詰め込み型の教育による様々な社会問題が取り上げられていたのです。そこで政府・文部科学省が大きく舵を切った。
 ここで、私は「ゆとり教育」を弁護しているわけではありません。

 私が主張したいのは、知識や型を教えるいわば強制的な教育(集団生活のルールを覚える、漢字を読み書きできるようにする、九九が言えて簡単な計算が支障なくできる)といった教育と、じっくりと問題にあたり解決していったり協働で答えをみつけていったりする教育というのは車の両輪のように作用するということであります。どちらも重要であって、あとは児童・生徒の発達段階に応じて、何をどこまで、そしてどうやって効果的に行うかという具体的な議論です。

 教育を推進していくには、バランスを持った視点がぜひ必要だと思います。
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