Fiji nakanishi

小城フォーク村夢楽人・勝手に海外協力隊
らいふステージ中西隆二のブログ  
シンガーソングライターFiji中西です

フィジーうるるん紀行・・・③-2

2010-08-20 08:48:22 | 日記
 不安な誕生日 Ⅱ
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早速ジャックスへ出かけ手当たり次第店員さんに「メリー・バイを知りませんか?」と日本語と拙い英語混じりで話しかけていると、日本語が少し上手なロッキーという店員さんが現れ「彼は3時から仕事に来る」と教えてくれた。(実際には支店のシャラトンホテル内のショップで働いていた)携帯電話に入れていたバイの写真を見せ確認してもらうと、間違いないことがわかり少し安心する。ロッキーさんに宿泊先はアウトリガーラグーンホテルであることを告げ、必ずバイに電話を掛けてくるように依頼する。   写真は去年9月広島の向島で研修中の故ツイコロ(亡なる1年前)

フィジーうるるん紀行・・・③-1

2010-08-19 10:20:35 | 日記
       不安な誕生日
       

9時半過ぎになり、フィジーのオイスカセンターへ電話する「メリーさん(写真右側)はいらっしゃいますか?」の問いに「メリーさんはクリスマス休暇で家(セルア島)に帰ってます。連絡方法はありません。」と返事が返ってくる。1年前の約束を頼りにフィジーへ来てしまったこと、来る前に連絡を入れておくべきだったことなど、反省すると共に、あれ程必ず行くからねと言ってたのにと彼のせいにする。急に不安になりながらも話していると、会話の中でもう一人の友人バイ(写真左側)の近況が出てくる。「ナンディのジャックスというお土産屋さんで見かけました」とのこと。偶然にもその店の前に私達はいたのです。この時電話に出てくれた人が、宗像ジュイエさんという福島県出身のオイスカ職員で、友人ツイコロの嫁さんになる人だったのです。

携帯で読むと少し長すぎるようなので、次回から短めにしたいと思います

フィジーうるるん紀行・・・②-1

2010-08-18 10:44:22 | 日記
笑顔で「ブラ」

 佐賀を昼過ぎに出て、福岡空港から成田飛ぶ。14時頃到着から約5時間の待ち合わせをしてから19:00にパシフィックエアラインでフィジーへ飛ぶ(現在は飛行ルートが無い)。ナンディ国際空港到着03:30(現地時間06:30)旅行代理店の車で30分程走り、フィジー第3の都市ナンディ市街へ着いた。7泊8日フリープラン旅行日程の私達は、ホテルのチェックイン迄の時間を市内見物に出かけることにした、8時前の市内はクリスマス用の買い物客などであふれ、市場をのぞけば色とりどりの果物があり「ブラ」と声を掛けると笑顔で「ブラ」と返してくれた。また、行き交う人も気軽に「ブラ」と挨拶をしてくれる。市内には信号機は一つも無く(現在は1個出来ました)走っている車は日本車が多い、新車はほんのちょっぴりほとんどがヨレヨレの中古車ばかりです。タクシーでさへヨレヨレなんです。

フィジーうるるん紀行・・・①

2010-08-15 15:58:40 | 日記
  『フィジーうるるん紀行』-南太平洋の楽園フィジーへ行こう-
 
フィジーへ行こうと決めたのは平成14年の冬でした、妹の農園に農業研修のため来日していた二人のフィジアンと知り合ったのが始まりでした。彼らの純粋さ・素朴さ、一生懸命に自分自身のこと故郷(国)のことを話す姿に心打たれたからでした。そんな彼らに比べ若い頃の私は、全ての貧しさから逃げ出すように故郷を捨て夢を求めて都会へ行き、夢破れ何も掴め無いまま故郷に戻っていながら「此処は私の住む場所じゃない」と何度も家を飛び出したり、親と喧嘩しては飛び出す、そんな情けない暮らしを送っていたことを思い出させてくれたからでしょう。また、今でも何となく居心地の悪いこの国やこの町から逃げ出したいとの思いもあったような気がします。私の心の中に未だ見つけることの出来ない『ふるさと』探しでもあったのかも知れませんね・・・。