Fiji nakanishi

小城フォーク村夢楽人・勝手に海外協力隊
らいふステージ中西隆二のブログ  
シンガーソングライターFiji中西です

フィジーうるるん紀行・・・⑦-Ⅰ

2010-08-31 08:47:18 | 日記
 トイレがない風呂がないバイの家には電気がない Ⅰ
薄暗いぬかるんだ道を少し下って隣の家へ行き、何となくモゾモゾする毛布を腹に乗せ、決して寝心地が良いとは言えない手製のベットの上で朝を迎えた。
「おはようございます」バイが迎えに来ていた。「トイレは?」「そこいらに良いです」日本では有ると言ってたはずなのに。小便は近場で大便は林の中でするのが彼らのルールらしい。私は小川に入って水洗便所、さすがに妻は大便だけはホテルへ戻るまで我慢していたようである。朝食を頂きに昨夜の家に行く、夜は真っ暗で見えなかったが今にも壊れそうな家であった。手焼きのパンケーキとジャムをはさんだクラッカー、飲み物はミルクティーである。口に入れるとモゾモゾとし口の中の水分を奪ってしまう、なかなか飲み込めないのでミルクティーで流し込むように食べる。

フィジーうるるん紀行・・・6-②

2010-08-30 09:47:42 | 日記
 カヴの儀式 Ⅱ
家族の紹介の後カヴの儀式をしてもらう。(カヴとは胡椒科の植物の根を乾燥させ粉状にし布に入れ水と一緒に絞り出した物で、鎮静作用がある飲み物で入村の儀式や祝祭の時に飲むそうです。現在はいつも飲んでいるようです。)長老の人が感謝の言葉や歓迎の挨拶のようなことを言い、(私達には呪文のように聞こえるが)カヴを作る人がまた何か言い椰子の実で作った盃で頂く。3回手を叩きブラと言い飲み干し、盃を返し3回手を叩く、黙っていると何回も盃が回ってくる。ホテルなどでもショウアップされたカヴの儀式が行われているが、村のフィジアンが行っているカヴの儀式とは異なっているように思える。私達は、隣の家のカーテンで仕切った木で作られた硬いベットで眠った。彼らは私が起きるまでカヴを飲んでいた。 

フィジーうるるん紀行・・・⑥-1

2010-08-28 08:42:34 | 日記
 カヴの儀式
高床式の12畳程の家の中に深夜に着いたにもかかわらず、家族みん起きて待っていてくれた。また食事も準備されていた。タロイモと魚を茹でた物で、味付けは殆ど無いトマトケチャップを付けて食べるようで添えてある。妻と私が食事に手を付けるまで他の人達は食べないで待っている。何となく遠い昔の日本の習慣をみるよで懐かしく感じた。ふと前を見ると子供達の額や腕に入れ墨のような模様がある、不思議そうな顔で一人の女の子に尋ねると泣き出してしまう(マライヤである)シールを貼るのが子供達の間で流行っているらしい。シールといっても現在の綺麗な物ではなく写し絵のようなシールである。食事の後は彼らの大好きなカバを飲むことになるになる。   

多郎浦和子と共に

2010-08-27 08:33:49 | 日記
クリスマスライブの写真が出てきました。チョボラというパン屋さんでのライブでしたが、50人以上来て頂きありがとうございました。終了後の古くからの友人で多郎浦和子と一緒のスナップです。彼女とはもう30年の付き合いになるんだよね長い付き合いだな・・・。
あの頃は障がいを持った仲間たちにも自立してほしいが為、厳しいことを言っていたよね自分のことは顧みず。今も同じようだけど・・・。
彼女は北方でお父さん・お母さんと一緒に暮らしていますが、しっかり自分自身の事を考え行動しています。自宅には彼女の作品(絵画など)のアトリエもあるので一度出かけてみてください。

フィジーうるるん紀行⑤・・・2

2010-08-26 10:20:12 | 日記
 ワイニブカへ Ⅱ
ナンディからラウトカ・バを抜けワイニブカへ走るが、なかなか着かない3時間で村へ着くと話てたのになぁ・・・。道路は途中から舗装されてない上に雨期のためドロドロの泥濘で、車がスリップして何度も押さなければならないことになる。また、運転手がもう行きたくないと運転を止めると言い出す。それをバイがなだめたり、みんなで「君はフィジーナンバーワンのドライバーだ」と大合唱し褒めちぎりながら進む。村の近くではとうとう進めなくなり、真っ暗闇の中を家まで応援を頼みに行くなど悲惨な道のりだった。(それにしても良く暗闇の中を歩けるものだと感心する)およそ10時間掛け午前1時半やっとの思いでバイの家に着いた。オイルランプのぼんやりとした灯りの中、家族・親戚大人や子供あわせて36名の歓迎であった。  写真はマライヤと悪ガキ