『フィジーうるるん紀行』-南太平洋の楽園フィジーへ行こう-
フィジーへ行こうと決めたのは平成14年の冬でした、妹の農園に農業研修のため来日していた二人のフィジアンと知り合ったのが始まりでした。彼らの純粋さ・素朴さ、一生懸命に自分自身のこと故郷(国)のことを話す姿に心打たれたからでした。そんな彼らに比べ若い頃の私は、全ての貧しさから逃げ出すように故郷を捨て夢を求めて都会へ行き、夢破れ何も掴め無いまま故郷に戻っていながら「此処は私の住む場所じゃない」と何度も家を飛び出したり、親と喧嘩しては飛び出す、そんな情けない暮らしを送っていたことを思い出させてくれたからでしょう。また、今でも何となく居心地の悪いこの国やこの町から逃げ出したいとの思いもあったような気がします。私の心の中に未だ見つけることの出来ない『ふるさと』探しでもあったのかも知れませんね・・・。
フィジーへ行こうと決めたのは平成14年の冬でした、妹の農園に農業研修のため来日していた二人のフィジアンと知り合ったのが始まりでした。彼らの純粋さ・素朴さ、一生懸命に自分自身のこと故郷(国)のことを話す姿に心打たれたからでした。そんな彼らに比べ若い頃の私は、全ての貧しさから逃げ出すように故郷を捨て夢を求めて都会へ行き、夢破れ何も掴め無いまま故郷に戻っていながら「此処は私の住む場所じゃない」と何度も家を飛び出したり、親と喧嘩しては飛び出す、そんな情けない暮らしを送っていたことを思い出させてくれたからでしょう。また、今でも何となく居心地の悪いこの国やこの町から逃げ出したいとの思いもあったような気がします。私の心の中に未だ見つけることの出来ない『ふるさと』探しでもあったのかも知れませんね・・・。