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お山に別荘を建てる

別荘地購入、別荘建築、別荘ライフの記録です。自分の思い出に
そして別荘建築を考えている方に少しでも参考になれば幸いです

別荘が欲しい

2015-02-27 19:29:32 | はじめに
 なぜ別荘が欲しくなったのかやはり原点は20代でのバブル時代を体験したことにあると
思います。 バブル時代、 バブル景気(バブルけいき) とは、景気動向指数(CI)上は、
1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった
資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。しかし実際は
その前後も、まあまあ景気よくて今では考えられない時代でした。ojisanは職場の先輩が毎週
買ってくる「ビッグコミックスピリッツ」の「気まぐれコンセプト」を毎週読みホイチョイプロダクションズ
の「見栄講座 ―ミーハーのための戦略と展開―」熟読し「私をスキーに連れってて」を見て感動、
田中康夫、前長野県知事の書いた「なんとなく、クリスタル」をまるでまるで教科書のように崇拝し、
そんな生活に憧れていました。クリスマスイブは苗場プリンスに泊まり、スキーをして夜はユーミンの
ライブを見る。軽井沢の別荘に彼女さんを連れて行きテニスして夜はワイン飲んで・・・そんな生活に
憧れていました。
それは異常な憧れではなく、その時代の同年代者としては普通の感情だったと思います。
でも実際は苗場プリンスの近くの民宿に泊まりスキーしたり(1回だけだったな)夏、苗場プリンスに宿泊
してゴルフしたり(夏の苗場プリンスは安かった)軽井沢の塩沢湖付近の民宿でテニス合宿したりでした。
社会人になって軽井沢・清里のペンションへ結婚前に彼女さん(現妻)とテニスしに行って将来は別荘
持ちたいと語っていました(妻は覚えていませんが)

また、その頃の男性は今とは違いojisanだからはっきり言うけど、とにかく女にモテたかった、桑田佳祐
なんて女にモテたい一心でバンド作ったとはっきり語ってるし、皆、助手席に彼女を乗せたい一心で72回
ローンで車買っていたし。まーojisanが別荘に憧れたのも不思議ではなかったと思う。
でもその頃は絶対に実現できない夢物語だったんだ

あーあれから20年(キミマロ風に)ojisanも脂肪貯蓄は貯まり、スリムで従順な妻は時代は変わり
デフレの時代に。ITは進歩し、今までは不動産屋さんに行かないと得られなかった情報が各社HPで氾濫
しよく見ると・・・  えもしかしてojisanでも買えるかも

なんとなくネット検索していました。2010年頃からだと思います。

次回は別荘地購入についてです。

                                       つづく

はじめまして

2015-02-26 12:20:12 | はじめに

                      A long time ago
                    in Japan far,far away
               Japan had the times called a bubble


 はじめまして!Fatty Ojisanです。スタートはスターウオーズ オープニング・クロール風に
してみたかったのですが・・・  英語力が・・・ 「むかし、むかし日本にバブルと呼ばれた時代
がありました」YAHOOの翻訳に頼りました

改めまして自己紹介させていただきます。196X年生まれ20代のころはバブル時代、それは華やかな時代
でした。学生時代そして社会人になり安い給料を無理して車はソアラに乗り軽井沢・清里のペンション
に泊まりテニス・ゴルフなど楽しんでました。親にパラサイトしていたので家賃・食費はゼロでしたの
で、なんとかなりました。あの頃の彼女(今の嫁)も157CM・43㌔それはそれは従順で可愛かったです
今は・・・飲み会は業者さんの接待、終電が無くなるから帰ると言えばこれで帰って下さい
とタクシーチケットが出たり・・・  その頃、別荘が欲しかった~  でも軽井沢に別荘を持つとすると
最低1億(上を見たらキリがない) 無理だ        20代半ばで結婚
2年後に長女が生まれました。その3年後に次女が生まれ子育てに手一杯、そして時代はバブルが弾け
暗黒の時代へ・・・ ダースベーダーの呼吸音が聞こえだし帝国の逆襲が始まりました。
私はまたその3年後、待望の長男を授かりすっかりマイホームパパに。脂肪貯蓄は確実に増えますが・・・
金銭貯蓄は雀の涙  別荘なんてすっかり頭から消え去っていました。

そうこうしているうちに子供もだんだん成長し長男の少年野球チームのコーチとしてどっぷり浸かり
テニス・ゴルフはすっかり遠ざかりましたが、それなりに楽しい時が流れていました。

子供は成長しましたが、それに伴い私の両親は着実に年老い病気がちに・・・

そしてまた暗黒の時代が

まず母が持病のC型肝炎から肝硬変そして肝細胞癌に最後は腹水のコントロールつかず入院6ヶ月で
他界してしまいました

母が入院する前から心房細動・前立腺癌を患っていた父も昼間1人になってしまうので介護マンションに
毎週末、洗濯物を取りに行ったり差し入れしたり。月2回、ガンセンター・循環器病センターへの通院
付き添い   そんな父も誤嚥性肺炎で母他界から3年後、旅立ってしまいました。母・父の一年忌
三年忌、母の七回忌など毎年仏事があり、結構大変でした。

母の七回忌が終わる頃から余裕も出てきて、気がついたら私も50歳を過ぎてしまい自分の老後を考え
出す年頃になっておりました。

関東平野の某駅近の自宅・・・夏は暑い暑い  通行量も多く窓も開けられずエアコンでの生活。
エアコン無しで寝たいそうだ別荘が欲しい  そんな気持ちがムクムクと  別荘欲しいな



                                   To be continued