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ネット長屋の内弁慶

当ブログへようこそ。実生活では小心者の私ですが、ネットの上では少しだけ強気にコメントしています。どうぞよろしく。

問題点は他にもある

2005-12-06 22:01:32 | 世間の話題
※今日の一枚:JR富山駅8番のりば。富山港線の列車が発着するホームに、かつての国鉄急行色に塗り替えられた475系電車が停車中。富山港線は午前10時から午後4時までの時間帯は単行のワンマンカーが走り、電車は富山駅でラッシュをひたすら待つ。国鉄時代の姿に戻された電車は、来年3月に路面電車化される同線への餞(はなむけ)なのか。この型の車両が同線で活躍を始めたのは二十年前。八十年を超える同線の歴史の四分の一を走ってきたことになる。
 
 人間である以上、どんな偉人や英雄にも欠点や弱点は付き物です(稀に「完全無欠な聖人君子」も存在するかもしれないが)。そんな人間が作る機械や道具に欠陥や弱点があっても、何ら不思議ではありません。むしろ完全無欠な機械・道具こそ「有り得ない」。それらの欠陥なり弱点なりは、時として人間に不利益をもたらすことさえあります。それでも人間は機械を求め、使いたがることが多い。それは、その機械を持つことで欠陥や弱点を補って余りある利益を享受できるからに他ならないと思います。

 今や生活必需品となりつつある感じの携帯電話ですが、それとても欠陥や弱点と無縁ではいられません。「携帯を持つ上での不安」を認識するユーザーも少なくないようです。定額制や各種割引制度の普及で、ひと頃ほど騒がれなくなったとはいえ、子供の通話料請求に苦慮する親御さんの話を今も耳にすることがあります。また列車内での使用ルールも「遵守されている」とは言いがたいようです。優先座席に堂々と腰掛けた若者が携帯をチェックしている姿を時々見かけます。一昨年あたりから各鉄道会社では「優先座席付近では携帯の電源を切る」ことを周知しているはずなのですが。

 私の携帯はメール交換が主たる目的になっており、インターネットに若干使用、カメラとして若干使用(デジカメがバッテリー切れを起こした時などは結構助かる)、通話は緊急時以外殆ど使いません(というより、殆ど誰も掛けてこない?)。それでも稀に、運転中に電話が掛かってきて、近くに駐車スペースがないかと慌てることもあります。一番良いのは電源を切ることですが、これでは何のための携帯か。
 あと迷惑メールも厄介です。驚いたのは新機種を契約して間もなく、得体の知れないメールが立て続けに送られてきたこと。メール送信業者?は一体どこからアドレスを仕入れるのでしょうか。「まさか電話会社が・・・」と根拠もなく疑ってしまいそうです。アドレスは限られた範囲にしか教えないのに。

 確かに使用ルール違反や得体の知れないメールも不安ですが、もっと大きな不安というか欠陥が以前から問題になっているはずです。携帯電話から発せられる電磁波の人体への影響です。これなどは電話会社がCMで「あなたの健康を害する恐れがあります。携帯の使いすぎに注意しましょう」と呼びかけても良さそうなものですが、変に不安を煽るようなことは言いたくないのでしょう。
 もっとも、今でこそ「健康増進法」などで公共施設からは目の敵にされているタバコだって、少し前までは「タバコと肺がんの因果関係が証明されたのか」と、タバコ害悪説に反発する声が少なくなかったようです。携帯電話が普及したといっても、たかだか十数年。携帯の電磁波が人体に及ぼす影響についての研究は途上であり「携帯の人体への害悪が完全に実証される」のは、まだ当分先のことでしょう。

 七、八年ぐらい前になりますが、私の先輩で携帯用のイヤホンを買った人がいました。「運転時の着信に備える」という目的だったようですが、他に「電磁波対策」も考慮していたかもしれません。同じ頃、勤め先で後輩が「携帯使うと脳みそがチーン状態(=加熱されて茹で上がる?)になるんだってね」と話したこともありました。チーンといえば電子レンジの電磁波も「危険だ」と言われて久しいようです。 
 私自身は、携帯での通話をなるべく避けています(携帯を持つ意味ないだろ、と言われそうだが)。着信は数えるほどだし、外から電話を掛ける時はまず公衆電話を使います。もっとも最近は公衆電話自体が少なくなっており、やむを得ず携帯で通話することもありますが。
 
 携帯の電磁波についてまとめたサイト(ケータイ電磁波レポート)の中で「イギリス政府は16歳以下の子供への携帯電話使用を控えるように指導しているそうではないか」とありましたが、わが国では高校生の携帯所持は当たり前、小中学生の携帯所持も珍しくなくなりつつあるようです。彼らにしてみれば、体を壊すことより「仲間外れになること」が怖いのでしょうか。しかし昨今のように子供が狙われる事件が多発すれば、むしろ親が子に「万一に備え」携帯を持たせる風潮が顕著になるかもしれません。

葬り去れない史実

2005-08-20 23:44:05 | 世間の話題
※今日の一枚:日本旅行協会(現JTB)発行の「時間表昭和15年10月号」に掲載された南満州鉄道(満鉄)鉄道総局の広告。昭和初期、軍部の謀略により中国東北部に「建国」された「満州国」は「五族協和」「王道楽土」の理想郷として大いに喧伝され、日本からの開拓者を募った。美辞麗句に踊らされた開拓者を待っていたのは、厳しい風土と野蛮な匪賊だった。そして戦争末期、ソビエト軍の侵攻によって多くの人が犠牲となり、または抑留され、孤児が残された。
 
 今週16日(火)からNHK総合で連続放映された特番「アウシュヴィッツ」。ナチスドイツが「最終的解決」と称してヨーロッパのユダヤ人を大量に収容・殺戮した施設の記録を追ったドキュメンタリーです(イギリス・アメリカ共同制作)。第二次世界大戦中、ヨーロッパ全体ではおよそ六百万人のユダヤ人が、ナチスとその手先によって死に追いやられたと言われており、このうち百万人余りが現在のポーランドに建設されたアウシュヴィッツ強制(絶滅)収容所(隣接するビルケナウ収容所を含む)で命を奪われたとされています。
 この「最終的解決」という言葉自体、その意味するところに諸説が入り乱れているようです。「ユダヤ人をヨーロッパから追放する」という解釈もあれば「ユダヤ人根絶」という解釈もあります。しかし結果的に、親衛隊長ヒムラーや親衛隊将校アイヒマンらは、この「最終的解決」を「ユダヤ人根絶」と解して、アウシュヴィッツ・ビルケナウ建設や同所へのユダヤ人移送を指示した、というのが一般的な説となっているようです。

 ナチスは結党以来、ユダヤ人蔑視・排除を主張しており、1933年1月に政権を掌握した後はドイツ国内のユダヤ人に対する迫害を公然と進めます。また同年3月にはダッハウに最初の強制収容所が開設され、ユダヤ人や反ナチス的とされた市民らが連行されました。1935年には「ニュルンベルク法」を制定し、同法により定義されたユダヤ人から公民権を奪います。そして1938年11月7日、フランスでユダヤ人青年によるドイツ外交官射殺事件が起きたことを口実として、同月9日から11日にかけてドイツ各地でユダヤ人経営の商店やユダヤ教会などが襲われ、一説には二万人のユダヤ人が捕らえられたといいます(いわゆる「水晶の夜」事件)。
 ナチス政権樹立直後から国外へ逃げ出すユダヤ人も少なくありませんでしたが、同事件の後はそれが加速されます。第二次世界大戦勃発までは、むしろナチスはユダヤ人脱出を好ましく受け止めていたようです。

 しかし第二次世界大戦が始まり、ドイツがポーランドなど隣国を瞬く間に占領すると、その占領地域に多くのユダヤ人が居住しているという事実に突き当たります。彼らの中には、戦前にドイツから逃げ出してきたのに戦争で再びドイツの支配下に置かれてしまうという、皮肉な運命に巡り合わせてしまった人もいました。
 ナチスは彼らを占領地域外へ移送(追放)しようとしますがうまく行かず、一方でポーランド占領地域内にユダヤ人居住区(ゲットー)を開設し、彼らをそこへ押し込めてしまいます。ゲットーの劣悪な環境下で、およそ50万のユダヤ人が命を落としたと言われています。ドイツのみならず、キリスト教を信奉するヨーロッパ各国では、ユダヤ人は「キリストを裏切ったユダの子孫」として蔑まれ、積極的に受け入れようとはしませんでした。
 1941年6月にドイツとソビエトが戦争状態に入ると、ドイツに占領されたソビエト領内に居住するユダヤ人までもナチスの標的となりました。このころから組織的なユダヤ人殺害が始まったとされています。

 アウシュヴィッツは1940年に開設され、翌年春にはビルケナウ収容所が増設されました。当初はドイツ本国の強制収容所同様「ナチスにとって好ましくない人間」を扱うこととされたようですが、同年秋に同じポーランド地域内のヘウムノに最初の「絶滅収容所」が建設され、占領地内のユダヤ人収容が本格化すると、アウシュヴィッツにも「絶滅収容所」としての機能を付加することが決まり、1942年春にはビルケナウに大規模なガス室が建設されました。同年1月、ナチス閣僚・官僚を招集した「ヴァンゼー会議」において「最終的解決」の方針が確認され、同年中にルブリン、ベウジェツ、ソビボール、トレブリンカにも絶滅収容所が開設されました。
 ゲットーに収容されていたユダヤ人や、占領地域内で捕らえられたユダヤ人、さらには敵国捕虜や少数民族、ジプシー(ロマ)などの不定住者なども絶滅収容所へと連行され、その多くがガス室へ送られたとされています。「アンネの日記」の著者、アンネ・フランクも1944年にアウシュヴィッツへ連行されたと言われています。

 連合国側は早くから、強制(絶滅)収容所の存在を知っていたとされていますが、それに対して具体的に行動した気配がないことを番組では取り上げていました。アイヒマンは1944年に「百万人のユダヤ人と一万台のトラックを交換してほしい」と、ユダヤ人指導者を通じて連合国側へ働きかけたと言われていますが、「ドイツを利するだけだ」と拒絶されてしまったそうです。また連合軍の爆撃機はアウシュヴィッツを上空から確認・撮影したにもかかわらず、同施設を爆撃しなかったそうです。「他の重要目標へ投下する爆弾しか持ち合わせていなかった」と反論されてしまいそうですが、その目標とアウシュヴィッツとは数キロしか離れていなかったとも言われ、もし収容所に爆弾が落とされていたら、同所での残虐行為はその時点で終了していたかもしれません。
 結局、アウシュヴィッツは1945年1月27日にソビエト軍によって解放されましたが、それ以前にガス室などの殺戮施設や一切の証拠書類は破壊、焼却され、歩くことのできた収容者たちは西へ移送されていました。収容所を管理していた親衛隊員らも脱出していました。ソビエト軍を迎えたのは、病気や衰弱で歩くこともままならなかった骨と皮だけの数千人の収容者、そして処理し切れなかった夥しい数の遺体と人骨だったそうです。

 アウシュヴィッツは現在、ナチスの蛮行を物語る施設として残されており、犠牲となった人たちが履いていた何万足もの靴や、彼らの脂肪から作った石鹸などが展示されているそうです。平和の希求と「過ちは二度と繰り返さない」という強い決意は、洋の東西を問わず共通の認識だと信じたいのですが・・・

 十年ほど前、当時文芸春秋が発行していた「マルコ・ポーロ」という雑誌に「ガス室はなかった」「ホロコースト(大量虐殺)は幻だ」と称する西岡某氏の記事が掲載されました。当然、この記事はユダヤ人団体をはじめとする各方面から非難・糾弾され、「マルコ・ポーロ」はこれがもとで廃刊に追い込まれます。
 文芸春秋という出版社は以前から「南京大虐殺はなかった」などの主張を繰り返しており(これは文春に限ったことではないのだが)、愚かにもその舌鋒がアウシュヴィッツに向けられたことで、文春は世界的に失笑を買う羽目となりました。幼稚園や小学校から英語を学ばせて「国際化」を促進しようとしたところで、海外で「ホロコーストをどう考えるか」と聞かれて「I don't know」としか答えられない人間が「国際人」と言えるのか。
 「新しい歴史教科書」の普及に熱心な出版社の系列マスコミが「韓国で放映された「731部隊」の記録映像が実は中国映画からの盗用だった」と、鬼の首でも取ったかのように非難していますが、映像が盗用されようがされまいが、「満州」に731部隊(関東軍防疫給水部)が存在したという事実を覆すことは出来ないのです。

※参考:学研「歴史群像シリーズ42 アドルフ・ヒトラー(権力編)」(1995年刊)ほか

酒は身を・・・

2005-07-19 23:06:59 | 世間の話題

※今日の一枚:青葉城址から仙台市街を見下ろす伊達政宗像。戦国時代の男子は十代後半で元服することが半ば当然だったようだが、現代の二十歳は昔の十五歳よりも幼いのかもしれない。それにしてもお膝元で未成年タレントが飲酒した挙句に大騒ぎしたことを、草葉の陰の政宗公はどんな気持ちで受け止めているだろうか。


 2月に女性社員(冬季五輪金メダリスト!)が泥酔して保護されたと思ったら、今度は現役女性アナが未成年と一緒に酒を飲んだとは・・・ジャニーズの若手グループNEWSの未成年メンバーが深夜の仙台市内で泥酔して補導された一件は、彼とフジテレビの菊間千乃アナらが酒席を共にしていたことが明らかになり、菊間アナは一週間程度の謹慎、未成年メンバーも当分謹慎という処分が科されました。
※7月20日追記:菊間アナは19日午後減給処分を言い渡された上、当分の間テレビ出演を自粛することになった。彼女への当初のペナルティに対しては視聴者などから抗議が相次いだ他、国家公安委員長が「処分が甘い」と発言し、フジとしても彼女を庇いきれなくなったのであろう。そして今回の処分を受けて、青木さやかが「だから女子アナは・・・」とネタでボルテージを上げそうな気がするのは私だけだろうか。

 それにしても、菊間アナは踏んだり蹴ったりですね。七年前に「めざましテレビ」の避難訓練体験の中継で、緩降機からすっぽ抜けて転落し重傷を負ったと思ったら、今度は未成年へ飲酒を勧めたとして謹慎処分とは。緩降機は腋をシッカリ締めていれば、すっぽ抜ける事はまず無いはずなのですが。十年ほど前、新潟県で避難訓練中に緩降機を使った男性が転落して命を落とした事故がありましたが、この時も男性が腋を締めずに、半ば「バンザイスタイル」で緩降機のベルトに身を委ねた為に悲劇が起こりました。もっとも、いくら腋を締めても緩降機自体に欠陥があれば、緩降機メーカーの責任を問われることになりますが。
※緩降機「オリロー」製造発売元・松本機工(株)

 未成年を飲酒の場に同席させること自体は、誰でも経験があるかと思います。家庭で夕食時、子供を前にお父さんが晩酌をするのは典型例。また飲食店などに行くと、孫や子供の横でビールを飲むお父さんやお祖父さんを見かけます。今回は「オトナの居場所」に未成年メンバーが同席した上、飲酒に及んだのです。彼がアルコールを欲したのか、周りのオトナがアルコールを勧めたのか、どちらにしても、アルコールを摂取した彼だけでなく周囲のオトナたちも「連帯責任」とばかりに責められてしまいます。
  
 かなり昔の話ですが、ポンジュースのテレビCMで、小学生くらいの男の子が「どうしてパパはビールが好きなんだろう。あんなに苦いのに」と呟き、母親が「どうしてそんなこと知っているの?」と尋ねると、奥から父親の咳払いが聞こえるという場面がありました。あと「魔女っ子メグちゃん」でも、メグちゃんが酒に酔うシーンがありました。この時は、妹のアポが密かに憧れているゴローが神崎家に遊びに来て、彼がメグちゃんとばかり話していることにヤキモチを焼いたアポがノンに唆され、酒入りの紅茶をメグちゃんに飲ませてしまったのです。酔って絡んできたメグちゃんに閉口したゴローは家を飛び出してしまいます。とそこへノンが現れ「私と友達になって」と彼を誘いますが、アポから全てを聞いたメグちゃんに阻止されます。彼女は「ノンが悪いのよ。ノンなんか好きにならないで」と弁明しますが、ゴローは「ケンカするなんてメグもノンも嫌いだ。僕が好きなのはアポちゃんみたいな子だ」と告白、照れるアポを羨ましそうに見ているメグちゃんでした。

 未成年飲酒をネタにした漫画の話をもう一つ。「陽あたり良好!」の「伸学期-クラス替え」というエピソードです。かすみと下宿のメンバーは二学年に進級しますが、美樹本伸は男子だけで編成されたクラスに入ってしまいます。ショックを受けた伸は下宿で管理人のおばさん相手に「三年への進級時はクラス替えなし、卒業までの二年間、男ばっかに囲まれて過ごすわけですネ」と自棄酒をあおります。翌朝は二日酔いと男子クラスへの絶望感から、なかなか起きようとしませんでしたが、勇作に「クラスに女子はいなくても学校には大勢いる」と言われ、それもそうだと気を取り直して登校します。ところが伸のクラスの担任・白坂先生は若い女教師。伸もクラスメートも呆気に取られます。彼が立ち直ったのは言うまでもありません。 

 その晩、伸は嬉しさのあまり再びおばさん相手に酒を飲みます。そして酔っ払って風呂場で寝込み風邪をひいてしまいます。翌朝、四十度の高熱を押して登校しようとする伸を、下宿メンバーはベッドに縛り付けて阻止します。しかしその日、かすみと勇作のクラスの担任が「オレは白坂先生と結婚することになった。彼女は仕事と両立させる自信がないというので学校をお辞めになる」と宣言、思わず顔を見合わせるかすみと勇作。翌日、だいぶ楽になったと言う伸に二人は「まだ熱がある。ちゃんと治したほうがいい」と休養を勧めます。でも白坂先生に会いたい伸は、二階の窓からロープを伝って脱出し、学校へ向かいます。そのころ男子クラスでは、ヒゲ面で凶暴そうな男教師が「わしの記念すべき担任第一日から遅刻するとはいい度胸だ」と伸を待ち構えていました。そうとも知らずルンルン気分で学校へ急ぐ伸のカットで物語は終わります。

未成年諸君、斯様にアルコールは恐ろしさを伴うものなのだよ。

参考:池原しげと「魔女っ子メグちゃん」2004年・イーストプレス刊
    あだち充「陽あたり良好!」第四巻・1981年・小学館フラワーコミックス

カラスの勝手

2005-05-31 22:37:43 | 世間の話題
※今日の一枚:大阪駅に停車中の新大阪行き特急なは号。終点まであと一駅。だが最後まで気を緩めることは出来ない。終点に時間どおりに着き、無事に乗客を降ろし、回送して車両基地に入るまで仕事は終わらない。旅路を笑顔で締めくくるべく、緊張の糸を張り詰めて列車を送り出す。



 昔流行ったギャグを借りるなら「♪風太 なぜ立つの 風太の勝手でしょ」というところでしょうか。背筋を伸ばした直立姿勢が話題となった千葉市動物園のレッサーパンダ風太君。その撮影写真を見る限り、確かに意表をつくポーズに見えますね。「風太に続け」というわけではないでしょうが、その後各地の動物園でレッサーパンダの立ち姿が目撃されたようです。しかし専門家によれば、彼らが二本足で「立つ」のは解剖学的には珍しくないことだそうです。それでも立ち姿目当ての入園者が増え、風太君にCM「出演」依頼も舞い込んだとか。

 立ち姿ばかりが話題にされる風潮に、飼育のプロが「待った」をかけました。「レッサーパンダを『見せ物』にしないでね」と題し、旭川市の旭山動物園が緊急メッセージを同園サイトに掲載しました。一理あります。「立った立った、風太が立った!」と大騒ぎする一方で「立たねぇレッサーパンダは、ただのレッサーパンダ」と失望する人間たちを、レッサーパンダたちは「ふだん注目しないくせに二本足で立った途端に大騒ぎしやがって。立とうが立つまいが俺たちの勝手だろう。ほっといてくれよ」と冷ややかに見ているのかもしれません。
 メッセージにも取り上げられていた「エリマキトカゲブーム」みたいに、やがては風太君たちの直立ポーズも飽きられて見向きもされなくなるのかもしれません。その時、代わって注目を集める動物は何だろう。

 園山俊二さん(故人)原作の異色アニメ「はじめ人間ギャートルズ」の最終回は、主人公ゴンたちの集落に農耕文化が伝わるという話でした。何処からともなく現れたブンメー(=文明?)という男が、狩りで生計を立てていた住民たちに稲作を教えたのです。彼らはブンメーに言われるままに土地を耕し、稲を育てました。秋になり稲穂がたわわに実った頃、誰かが地鳴りを聞きつけ叫びました。「やつらが帰ってきたんだ!」。
 やつらって何?と聞いたゴンに誰かが答えます。「渡りマンモスの群れだ」と。男たちは農作業を放り出し、狩りに出かけます。ブンメーは彼らを止めようとしますが押さえられず、逆に暴走するマンモスたちに巻き込まれ命を落とします。刈入れを待つばかりだった黄金の波はマンモスに踏みにじられてしまいました。
 狩猟文化から農耕文化への推移。それは曲げることの出来ない史実でしょう。しかし「俺たちは狩りが性に合っている」と、嬉々としてマンモスの群れに突入していった原始人たちの奔放さを、何となく羨ましく思うこともあります。「狩猟民族の勝手でしょ」と文明を拒んだギャートルズたちはいわば「元祖抵抗勢力」かも?

 富山県氷見市と石川県七尾市のちょうど境目あたりの沖合に、仏島という小さな島があります。今は氷見市の一部となっていますが、かつては氷見と七尾の間で島の「領有権」を巡り揉め事が起こったという伝説もあるようです。その昔、氷見の住人と七尾の住人は沖合の島の帰属を互いに主張して譲らず、双方の対立が続きました。なかなか折り合いがつかないため、双方で「あの島のことは放っておけ」という結論になり、島はいつしか誰ともなく「放っておけ島=ほっとけ島」と呼ぶようになりました。ところがそれ以後、双方の間で揉め事はなくなり仲良く付き合うようになったので、住人が感謝を込め「仏島」と名付けたという話を聞きました。

※上記は二十年ほど前、氷見と七尾を結ぶ路線バスの案内放送で聞いたもの。仏島の名の由来には諸説あるようで、島に仏様があったので仏島と呼ばれたという説や、見る角度により島が仏様の形に見えるから仏島と呼ばれたとする説もある。ちなみに仏島は富山県内で三番目に大きい島だが、無人島である。

「竹島」や北方領土もこの際、敢えて「ほっとけ」ば、隣国の態度も軟化して事態が好転するかもね?

マユツバ

2005-05-30 23:46:22 | 世間の話題
※今日の一枚:年明け間もないUSJ園内。「大阪のハリウッド」は運河と工場に囲まれている。重厚な建物が並ぶ通りの向こうには貧弱な高層ビル。背後の天保山大橋までが映画のセットに見えてしまう。虚構の世界に隣接するOSAKAなのか、大阪の中で異彩を放つ亜米利加なのか。

 フィリピン・ミンダナオ島で元日本兵と思しき男性二人が見つかったとされるニュースは、地元フィリピンのメディアが以前から「でっちあげの可能性がる」と報じていました。日本大使館では日本人仲介人を仲立ちに二人との面会を試みましたが果たせず、「交渉が進まず具体的情報が確認できない」と、現地へ派遣した要員の撤収も検討していたところへ「二人のうち一人は日本人ではなかった」という仲介人の証言があり、捜索態勢の縮小に踏み切ったようです。この仲介人の情報というのが「信頼するに値しない」部分があるようです。

 実在した部隊名や所属していた兵士の名前まで明らかにされた(「・・・と見られる」という推定ではあったが)ものの、彼らの現在の写真など物的証拠に乏しく、また以前にも偽情報で報酬をだまし取られようとしたケースがあったことから、今回の情報の信憑性に疑問符が付くのもやむを得ないことかもしれません。 もっとも、ミンダナオ島南部が反政府ゲリラの支配地域ゆえ容易に近づけず、間接的交渉とならざるを得ないという特殊事情があります。いくら「元日本兵だとされる男に会いたい」と説明しても、疑心暗鬼なゲリラたちには通用しないのかもしれません。かといって「ランボー」みたいに現地へ強行突入、というわけにも行かないし。

 イギリスで4月上旬に保護された記憶喪失の「ピアノマン」についても、様々な情報が交錯しているようです。「フランス出身の大道芸人」という証言が出たり、最近になって「チェコのロックバンドのキーボード奏者らしい」という情報も飛び出しました。ピアノマンの正体が誰であろうと日本には直接関係ないと思うのですが、最近話題に乏しい?テレビニュースやワイドショーがこぞって彼を取り上げていました。そんなにネタがないのかよ。でも、一連のピアノマン騒ぎで最も得をしたのはマスコミではなくピリー・ジョエルだったりして。

 昨日(29日)「福知山線の運転再開は来月13日の見込み」と報道があり、今朝から不通区間の復旧工事に入ったようですが、直後にマンション住民から「事前説明が不十分」と抗議があり、作業を早々に中断したようです。いくら反対側のマンションとはいえ、告知文書の投函だけでは「十分な説明」とは言えないでしょう。
(ちなみに私の地元では、線路の夜間保守工事の前には必ず告知文書が沿線の住宅に配られる) 
 一方国交省は「JRから(運転再開の)話はなく、現時点では(復旧時期は)白紙の状態」と記者会見で発表したそうです。ところが国交大臣は29日のJR西日本本社査察で同社の「来月中旬運行再開」方針を了承したといい、事前説明を巡って復旧予定が二転三転しているようです。それとも査察時の意思疎通が不十分だったのか。沿線住民等の復旧要望があるにせよ、独断専行は却って反発を買いますよ、JR西日本さん。

 「人騒がせな隣人」北朝鮮は「朝鮮が七世紀に世界最初のロケット兵器を開発した」と主張しているそうです。だからといって、同国がミサイルを核弾頭を所持して良いという理屈にはならないし、ましてミサイルを日本海へ発射することを正当化できないと思いますが。だいいち、そのロケット兵器は十五世紀以降どうなったのか。安土桃山時代の朝鮮出兵では使われなかったのか。もし使われたなら記録に残っているはずでは。それはともかく、古代の武器開発を民族の優位性宣伝に使うなんて、戦前のナチスでさえ考えなかっただろうに。

エトランゼ

2005-05-11 23:43:47 | 世間の話題
※今日の一枚:災害派遣で被災地の学校に展開する陸自車両群。頼もしく、また勇気づけられる光景であり、その一方で何となく先行きの不安と物々しさを想起させる光景でもある。

 イラクで武装勢力に襲われ行方不明となった斎藤昭彦さんは、かつて陸自空挺団を経てフランス軍外国人部隊に所属していたことが明らかになりました。しかも同部隊では現在も30~40人の日本人が所属しているようです。斎藤さんはボスニア紛争でも活動したらしいです。「戦争の放棄」を憲法に掲げる国の人間が、海外で軍人として働いていたという事実。しかしそれも「世界平和」を真に希求するゆえの行動だったのでしょうか。

 新谷かおる氏の代表作「エリア88」は、まさに外人部隊をテーマにした作品でした。親友の策略で、中東の小国で外人部隊「エリア88」のパイロットとして戦うことを余儀なくされた主人公・風間真。彼は生き延びて真相を確かめようと、必死で戦います。「殺(や)らなければ、自分が殺られる」。血生臭い戦場で生き残るには、敵機を墜とすことを躊躇ってはいられませんでした。彼はやがて部隊でも一、二を争う有能な戦士となります。
 偶然にも真の恋人に会い、彼が親友の策略に嵌められた経緯を知った司令官サキは、真を一度は部隊から除隊させます。しかし戦場を経験した身には、世間の空気は馴染みませんでした。パリで除隊手続きを受けたものの、翌日には郊外の空軍基地でトラブルに巻き込まれてしまいます。そこで面会した司令官ボッシュは「特殊部隊のリーダー」という裏の顔を持ち、自分は近々除隊してアフリカへ行くから君も一緒に来てほしいと、真を再び戦場に誘います。恋人・涼子への思いを断ち切るべく、真はアフリカ行きを決意したのです。

 アフリカ某新興国のクーデターから同国大統領一家を救い出そうとしますが、ボッシュの裏切りに遭い仲間は次々に殺され、大統領も命を落とします。大統領は絶命直前、真に一枚のカードを託します。ボッシュを倒した後、真は偶然再会したエリア88時代の武器商人マッコイと共にスイスへ渡ります。同国の老舗銀行が発行したカードの所有者が大統領だったのです。カード取得の経緯を副頭取に話し、大統領令嬢がカードの相続を放棄したことから、真がカードの新たな所有者となり、大統領が残した莫大な資産を引き継ぐことになります。
(話はその後も続くが、とりあえずはここで打ち切り。しかしこれが少年漫画のストーリーだとは・・・)

 斎藤さんはボスニアだけでなく、アフリカや南米、ポリネシアにも足跡を残していたようです。ムルロア環礁では核実験施設解体に携わり、地雷撤去の専門家育成や若い隊員の教育にも従事していたといわれています。誠実で規律正しい模範兵として上官や同僚の信頼も厚く、部隊では貴重な人材だったらしいです。
 しかしそんな彼も、戦地では武器を取って戦うこともあったのでしょうか。平和維持という大義名分があるにせよ、敵とはいえ相手も人間、刃や銃口を向けることに躊躇いや後悔はなかったと言えるでしょうか。

 話をエリア88に戻します。真はある日、同部隊に配属されたものの脱走を試みて銃殺刑の判決を受けた日本人に接見します。ショウイチロー・イトーと名乗ったその男は、外人部隊の任務を「辺地での見張り」程度にしか認識していなかったと言い、戦闘行為があると知って「人殺しは御免だ」と脱走を決意したことを打ち明けます。「任期明けまで辛抱できなかったのか」と説得する真に対し、ショウイチローは「人殺しをしながら任期切れを待つなんて耐えられない」「アンタは人を殺しすぎて頭がおかしくなったんじゃないのか」と真を責めます。彼の指摘に何も答えを返せなかった真。結局、ショウイチローは判決どおり処刑されてしまったのです。

 斎藤さんは今までどんな目的と使命感を抱いて各地を渡り歩いたのか、弟さんならずとも気になるところですが、ともかく今は、斎藤さんが一日も早く無事に帰ることを祈ります。イラクに真の平和は訪れるのか。

避けられないこと

2005-05-04 22:40:34 | 世間の話題
※今日の一枚:新大阪駅にて。外側線は新大阪から回送で向日町の車両基地(京都総合運転所)へ戻る寝台特急なは号。内側線は京都行きの201系電車。どちらも国鉄時代から走り続けているが、201系は登場から20年が経過し車体の手直しが始まっている。

 JR福知山(宝塚)線脱線事故関連の報道が続く中、事故車両が脱線直前に蛇行動を起こしていた可能性があるとの見方も出てきました。しかし事故車両に限らず、蛇行動は鉄道車両にとって宿命ともいうべき課題として、以前から存在しました。逆に言えば、常時激しい蛇行動を起こす線区は要注意かもしれません。

 鉄道車両の車輪は、レールから外れないよう内側に突起(フランジ)が付いており、さらにレールとの接触面(踏面)は外側に向かって傾斜が付いています。いわば車軸の両側に酒樽や味噌樽を付けた感じです。踏面が水平だと、カーブで車両に遠心力が働いた際に車輪が横に滑り、カーブ外側の車輪はフランジがレールに押し付けられレールやフランジの磨耗を促し、最悪の場合はフランジがレールに乗り上げ脱線に至ります。
 それを防ぐため、カーブでは外側の車輪が内側へ戻るよう踏面に傾斜が付けられています。またカーブでは、外側のレールを内側より高く設置したり(その高さの度合いをカントと呼ぶ)、さらに半径400m未満のカーブではレール間の幅(軌間)を最大25mm程度広げて(この拡大幅をスラックと呼ぶ。したがって在来線の場合、急カーブでは軌間が1067mm+αとなっている可能性大)、カーブでの走行の安定を図っています。

 ところが車輪踏面に傾斜が付くことで、車輪は直線区間でも左右に落ち着きなく動くことになります。この左右の揺れが蛇行動(だこうどう)と呼ばれる現象です。速度を上げれば蛇行動も激しくなり、仮にレールの継ぎ目が広がっていたなどの要因が重なれば、たとえ直線といえども脱線の危険がないとは言えません。
 新幹線は最初からカーブが緩やかに設計されており、在来線に比べカーブでの遠心力が少なく見込め、かつ高速で走るため蛇行動をできるだけ抑える必要から、踏面の傾斜を在来線車両より緩くしています。
(参考:誠文堂新光社刊・久保敏監修「最新鉄道小事典 国鉄の車両・線路・列車」1980年)
 
 鉄道車両の蛇行動は避けられないことかもしれませんが、人の「舌禍」も避けられないことでしょうか。「刑事コジャック」のコジャック(テリー・サバラス)や「紅の豚」のポルコ・ロッソでお馴染みの声優、森山周一郎氏が3日のNHKプロ野球中継にゲスト出演した際、不謹慎な発言をしたとしてNHKに抗議が寄せられたとか。
 タレント名鑑のプロフィールによれば、森山氏は野球を趣味・特技の一つに挙げており、野球中継に招かれてつい饒舌になってしまったのかもしれません。しかし森山氏って愛知県、それも名古屋出身だったはず。よりによって好調な地元チームに対して「不吉なことが起こる」だなんて。口に急ブレーキはかけられない?

 かなり前になりますが、テレビ(TBSだったと思う)のナイター中継にビートたけしがゲスト出演したことがありました。彼も野球好きで、加えて元来の毒舌も手伝い、結構しゃべっていたようです。それに対する視聴者の反響は見事に分かれました。当時の新聞のテレビ番組投書欄には「しゃべりすぎでウルサイ」という否定派と「当を得た指摘が気持ち良かった。選手に敬称をつける姿勢に好感が持てる」という肯定派の両方の意見が載っていました。中には「(たけしが)うるさいから音量を消して画面を見ていた」という投書もありました。
 私は当時も現在も、あまり野球中継は見ないものですから、たけしが当時どんなことを話していたかは知る由もありません。ですが、野球に限らずスポーツ中継は概して「しゃべり」が多いような気がします。サッカーでも柔道でも箱根駅伝でも、何か強迫観念に駆られたかのように解説者やアナウンサーがしゃべり続けるのは如何なものかと思います。しゃべりが楽しみな視聴者もいるでしょうが、映像は意外と饒舌なものです。

野球中継視聴率が低いからといって、中居正広や明石家さんまをゲストに呼ばないでもらいたい。

血液SOS

2005-04-19 21:08:32 | 世間の話題
※今日の一枚:山手線電車に貼られた日本酒の広告に高見盛の笑顔。お茶漬けのCMでもお馴染みの力士。取り組み前に見せる仕草に愛嬌がある。最近は稽古で悩んだりしているようだが、苦労なくして大成なし。壁はいつか越えられる。夜明け前の闇が一番暗いともいう。

 輸血用血液・血液製剤の不足が深刻化しているようです。今朝の「おはよう日本」でも7時45分過ぎから、都内の献血ルームからの中継を交えて現状を伝えていました(レポーターは毎度お馴染み高橋徹アナ)。
 何とか一人でも多くの方から献血していただこうと、中継された献血ルームでは様々な工夫を凝らしているようでした。献血者が献血後に無料でいただける飲み物や食べ物、またそれらをゆっくり食べられるスペースなどが紹介されていました。これらの施策が直ちに血液不足解消につながるのかどうか。

 血液及び血液製剤の需要に対する供給不足は以前から問題視されてきました。特に、血友病患者に投与する血漿分画製剤の国産化を打ち出してからは血漿の安定確保が課題となり、1980年代後半から400cc献血、成分献血といった採血方法が併用されました。血漿分画製剤は80年代半ばまでは大部分を輸入に頼り、その輸入された製剤を服用した血友病患者がAIDSに感染するという悲劇も起こりました(薬害エイズ)。
 ここ数年は春先に輸血用血液が不足しがちでしたが(現に氷川きよしをイメージキャラに起用して「春の献血」を呼びかけているようだ)、今年は3月末時点で在庫が一時100%を下回り、さらに変異型クロイツフェルト・ヤコブ病感染者の発見を受けて来月以降「1980~96年の間にイギリスに滞在した人」からの献血を中止する公算が強まったため、厚生労働省が都道府県の担当者に血液確保を緊急に要請する事態となりました。

 日本赤十字社血液事業は1952(昭和27)年、赤十字社血液銀行東京業務所が開設されたのが始まりとされています。敗戦後、輸血による梅毒感染事故の発生などを受け、一部の篤志団体などに輸血を頼るという戦前以来の不安定な供給体制を脱し、輸血事業は赤十字社において扱うという方針が決定します。
 赤十字社の血液銀行は血液の無償提供、いわゆる「献血」により輸血用血液を確保しました。血液銀行はやがて全国に拡大しますが、これと前後して民間の血液銀行も設立されました。民間血液銀行へ行けば血液を買い上げてくれるというので、金目当ての「売血」行為に走る人も少なくなかったそうです。
 昔見たテレビドラマ「青春の門(小川真由美が妙を演じた)」にも売血のシーンがありました。東京で学生生活を送る信介(江藤潤)は金に困り、血液銀行で血を売って現金を得ると食堂に向かいます。定食が運ばれてきますが、向かいに座った幼い兄妹が卵焼きを見て「たまごやき、たまごやき」と口走ります。兄妹の母親が「うるさい」と叱りますが、居たたまれなくなった信介は定食を口にせずに店を出てしまいました。

 1960年代に入り、売血を根絶しようとする動きが起こります。折りしも64年、暴漢に襲われた駐日アメリカ大使が売血を輸血され肝炎にかかるという事故が起き、時の政府は世論を受けて「献血による輸血用血液確保の体制確立」を閣議で決めます。やがて69年、民間血液銀行は保存用血液の製造を中止し、さらに74年には民間血液銀行での預血自体が廃止され、ようやく献血による血液供給100%化を実現したのです。
 しかし医療技術の発達に伴う輸血機会の増加や、前述の血漿分画製剤国産化方針などで血液需要は高まる一方でした。かつて献血可能な年齢は16歳から64歳まで(400cc献血、成分献血は18歳以上から、また血小板成分献血は18歳から54歳まで)でしたが、現在は69歳まで拡大されています(一部を除く)。 

 生涯で百回以上の献血を誇る人もいれば、なかなか献血回数が伸びない人もいます。献血の意思はあっても、服薬や低比重が原因で外される人も少なくありません。私は高校生になったばかりの頃、町に来ていた献血車に近づき献血を申し込みましたが「16歳にならないと献血できない」と断られた思い出があります。
 献血は人の役に立つだけでなく自分自身の役にも立ちます。採血した血液の成分を調べ、献血者の健康状態や疾病のリスクなどを知ることができます。日本民間放送連盟では75年以来、毎年1~2月に若年層への献血事業啓発のため、人気タレントを起用して「二十歳の献血キャンペーン」を行っています。今年は氷川きよしが起用されましたが、来年は自身も二十歳になる上戸彩がイメージキャラに選ばれそうな気がします。

参考→東京都福祉保健局保健政策部疫病対策課「日本の輸血のはじまり」
     献血のお部屋「売血 若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか」

わるのり

2005-04-18 23:20:10 | 世間の話題
※今日の一枚:お台場を象徴する建物の一つと言えるフジテレビ本社(青海側から撮影。隣は日商岩井ビル)。ライブドアとの提携は新たな歴史の一ページとなるのだろうか。

 結局、二ヶ月間の大騒ぎは何だったのか・・・ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送の争いごとは「オトナらしく」双方の「和解(痛み分け?)」という形で幕を引きそうです。「ホリエモンが折れた」とも「フジがライブドアに追い銭をあげたと見る向きもある」とも言われているようですが、真相は当事者のみぞ知る?
 ライブドアが取得したニッポン放送株をフジテレビが高値で購入することになり、さらに「ライブドア株の取得」という形でフジが資本参加、一方でライブドアがフジと業務提携を結ぶ模様です。フジとすれば当初の目論見どおりニッポン放送を子会社でき、ライブドアはニッポン放送株を高く売ることができ、そのうえ「フジテレビへの関与」という当初目的からは後退するものの、とりあえずフジと一緒に事業を展開できるようです。

 新株予約権発行に対する司法判断などをバックに強気だったホリエモンも、想定外の?騎士が登場したあたりから旗色が悪くなり、最近では某雑誌で「嫌いな男ワースト1」に選ばれるなど、フジ・ニッポン放送のみならず世論からもソッポを向かれる始末となって、さすがに強気一辺倒では話が進まないと悟ったのか、平和的解決へと舵を切り替えることになったようです。金は万能にあらずと、ホリエモンは認識を新たにしたのか。
 いきなり札束で遮二無二解決しようとせず、正攻法で当たれば案外スンナリと話はまとまったのかもしれません。素直に「一緒に仕事をしませんか」と提案すれば無駄な労力を使うこともなかったのかも。
 もっとも経済界は今回の出来事を「無駄ではなかった」と見ているようです。つまり結果オーライだと?

 ところで和解をきっかけに、フジの「ホリエモン外し」は終息に向かうのでしょうか。あるいは「平成教育委員会」にホリエモンが復帰する日も遠くないのかもしれません。「業務提携」の具体的方針は未定とはいうものの、ホリエモンの頭には既に「今後のメディアのあるべき姿」が描かれていることでしょう。彼の前には今後も幾多の障害が待ち受けているでしょうが、テレビとインターネットの「あいのり」に期待が高まりそうです。
 でも、いくら仲直りしたからって「きっかけは~」とハシャぐのは些か悪乗りの感がなきにしもあらず。

 「悪乗り」といえば最近の青木さやか。初の写真集が話題を呼び、写真集の第二弾に結構乗り気らしい
でもアンタ、目新しさは最初だけですから!残念!「柳の下にドジョウは何匹も泳いでいない」斬り!
 明日からはフジ系のドラマにも出演、さらには今週中にマルシアと共演のミュージカルも控えているそうで、「嫌いなタレントワースト2」の逆風すら味方に付けるかの勢いで活躍の場を広げています。
 フジ系ドラマ「曲がり角の女」は夜10時からの放映ですが、その裏番組、例えば火曜サスペンスの放映中に「どーこ見てんのよっ!」と番宣をけしかけたりしたら大いに受けるかもしれません。
 彼女は器用らしいから何でもこなせるのだろうけど、手を広げすぎて「二兎を追う者は一兎をも得ず」みたいになり結局どれも中途半端、タレントとしての曲がり角を迎えた、なんてことにならなければいいけれど。

 常盤貴子が出演するロト6のCMは思いっきり悪乗りしている、と感じるのは私だけでしょうか。小林幸子ばりの衣裳を着てオペラ座をバックに演歌を歌うなっての。今度は天安門広場でカラオケやるの?
 上戸彩のオロナミンCも最近結構悪乗りしつつあるように思う。ヨン様を追っかける韓流ギャル、タッキーの牛若丸(遮那王)を追っかける平安令嬢、ボビーと面接する女大統領、ときて次の企画は何ですか。どっかの国の王女様になって、ローマの休日よろしくベスパに乗せてくれるイケメン探し?それとも異星人相手に「地球のオトコに飽きたところよ♪」と、ピンクレディーの名曲「UFO」の歌詞みたいな展開を考えている?

大塚製薬さん、ここまで来たら思い切ってホリエモンと上戸彩を競演させてみてはいかが?

上戸彩「元気ハツラツぅ?」ホリエモン「まぁ想定の範囲内で」

こんなやりとりを見てみたい気もするんだなぁ。

売れたら勝ち

2005-04-17 13:20:48 | 世間の話題
※今日の一枚:渋谷駅埼京線ホームから見た205系。気が付けばデビューから20年、上戸彩と同世代か。車両自体は埼京線をはじめ東京周辺で今後も走り続ける。とはいえ明日から山手線という大舞台で走る姿は見られない。どんな名優でも「引退」という現実は避けられない。

 今日限りでJR山手線から「205系電車」が姿を消すそうです。国鉄の分割民営化論議かまびすしい1985(昭和60)年に登場し、四年かけて先代の103系を置き換え山手線の主役となりました。
 デビュー当初は「国鉄初の本格的ステンレス車体採用」と話題になりましたが、一方で「初期の製作コストを差し引いても塗装経費を節約するほうが経費削減につながるのだろう」と、国鉄の台所事情を反映して生まれた車両だと解説する向きもありました。確かに、それまで車体を黄色や朱色、青色、黄緑色、深緑色と線区ごとに色分けして走らせていた中で、銀の車体に黄緑色のラインというスタイルは違和感がありました。
 しかし205系は国鉄末期の厳しい状況にあっても増備が続けられました。交通公社の時刻表で、山手線のページにあった「みどり色の電車」の語句はやがて「ぎん色・みどり色の電車」に変わり、あのヨドバシカメラのCMソング「♪まあるい緑の山手(やまて)線」は「♪まあるいみんなの山手線」に変わりました。

 205系は1986年以降、少数が関西に投入されましたが大部分は首都圏=後のJR東日本東京圏に集中投入されました。JR発足後に山手線を制覇すると総武線・南武線・横浜線・埼京線・京浜東北線にも登場し、横浜線と埼京線は山手線同様に全車が205系に置き換わりました。90年以降はマイナーチェンジした車が相模線・京葉線・武蔵野線に入り、91年暮れには山手線に初の6扉車を組み入れた11両編成が登場しました。
 しかし90年代に入り、JRは新たな構想の下で次世代の通勤電車を開発し、その一番手が92年に「901系試作車」として京浜東北線に登場しました。試作車の使用実績を基に量産型の209系が93年ごろから登場し、98年までに京浜東北線は209系で統一されました。そして99年、車体幅を広げたE231系が総武線に登場し、2001年に総武線は新型車両に置き換えられます。E231系は02年から山手線に登場しました。

 205系は国鉄末期に産声をあげ、以後JR発足、昭和から平成への移り変わり、バブル景気と反動不況、そして21世紀の幕開けと、変化に満ちた20年に立ち会ってきました。6扉車を編成中に組み入れられたり、最近では女性専用車が設定されたりと、話題に事欠きませんでした。山手線から追われた車は埼京線や武蔵野線へ回されたり、工場で手を加えられて短い編成となって南武線・鶴見線や遠く仙台の仙石線へ送られたりと、文字通り「都落ち」状態です。それでも活躍の場を与えられるだけ幸せなのかもしれません。
 京浜東北線で走っている209系はバブル末期の設計だけに「自動車並みのモデルチェンジ感覚」を鉄道車両に採り入れる、という凡そ「エコロジーに逆行した」造りになっています。従来の車両に比べ「コスト半分・重さ半分・寿命半分」の謳い文句で、重量を軽減して消費電力を減らすメリットはあるものの、部品単価を切り下げて製作工程も減らし、短い周期のモデルチェンジを前提に造りが大雑把になったという感じは否定できません。最近の209系を見ると外板はデコボコ、扉開閉時のチャイムも音程が狂っています。デビュー当初の車両は皮肉にも、寿命とされた10年をとっくに過ぎていますが、今のところ廃車という声は聞こえません。

 今朝の朝日新聞に「電車男は実在するのか」という記事がありました。実は私「電車男」をまだ読んでおらず、舞台となった2ちゃんねるの当該スレッドも見ていません。記事によれば、酔客に絡まれた「エルメス」を電車男が助けたのが2004年3月14日の京浜東北線車内だとか。酔客は車掌が警官に引き渡したらしいのですが、JRによれば「当日(京浜東北線の乗務員から)そのような報告はなかった」そうな。
 記者は2ちゃん管理人の西村博之氏にも取材し、また新潮社の編集担当経由で電車男「本人」にメールで質問を送ったそうですが納得できる回答を得られず、実在人物か否かを結論づけていません。
 物語の真偽がどうあれ、電車男はベストセラーとなり漫画化や映画化舞台化まで企画されています。でも、これと似たような現象が以前もあったような。「一杯のかけそば」は作り話だったらしいが。

電車男はエルメスとの結婚を宣言したらしい。でも新潮社って今一つ信用できないんだよね。

パクりパクられ

2005-04-07 22:02:53 | 世間の話題
※今日の一枚:2003年の今日、東京は高田馬場の科学省庁舎内で鉄腕アトムは生まれた、という設定になっている。現実世界ではアイボやアシモは誕生しても、アトム誕生には至らなかった。しかし一昨年は「アトム誕生」を祝って様々なイベントや展示会が企画され、TVアニメも新たに制作された。左の消印は「アトム生誕の地」高田馬場で2003年4月7日だけ使われた特製印。右は同時期、JR東日本東京圏で行われたスタンプラリーの高田馬場駅スタンプ。


 今朝の某紙朝刊文化面に「オレンジレンジ(原文ママ)の作品は他人の曲を盗用したのではないかという指摘がある」との記事がありました。私は洋楽にもORANGE RANGEにも詳しくないので「何の曲の元ネタは誰々の何ではないかという指摘」と書かれてもサッパリです。でもヒット曲に対する「パクリ疑惑」って、今に始まったことではありませんよね。いつの時代にも「ケチをつけたがる人」は存在するものです。

 5年ほど前、当時大ヒットした大泉逸郎さんの「孫」が週刊誌などで「他人の作品をパクったのではないか」と書かれました。言われてみれば、歌い出しのメロディラインは門脇睦男の「祝い酒」に似ていなくもないかな、と思います。私としては「ソックリ」というレベルかどうかは疑問符が付きます。
(ちなみに「孫 盗作」で検索をかけると結構ヒットします。なぜかORANGE RANGEも引っかかるし)

 ある音楽を聴いていて「どこかで聞いたようなメロディだ」「前にも聞いたフレーズがある」と感じた経験は誰にでもあるかと思います。「孫」と同じころでいえば、モー娘。の「恋のダンスサイト」を初めて聴いたときは思わず「ジンギスカン」を連想しました。あの「ウッ!ハッ!」が強烈だったのです。モー娘。では他に「LOVEマシーン」が「ヴィーナス」との類似性を指摘されたこともあったようです(関係ないが、現在OA中の「プラチナライン」のCMを見るたび、LOVEマシーンも懐メロになったんだなと思う)。
 モー娘。といえば安倍なつみの盗作騒ぎも記憶に新しいところです。エッセイ集に載せた「自作の詩」が実は他人の詩などからフレーズを拝借していたことがファンの指摘で明らかになり、昨年暮れから今年2月初めまで活動を自粛。「後浦なつみ」として出場が決まっていた紅白も辞退、盗作の代償は小さくありませんでした。

 松田聖子はデビュー当初「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」とヒットを連発しましたが、三曲ともメロディが部分的に似ていると感じたものです。こちらはパクリというより「ワンパターン」というべきか。
 
 盗用を推奨するわけではありませんが、音楽だけでなくあらゆる表現・文化活動は模倣やパターンの踏襲が珍しくなかったのではないでしょうか。例えば黒澤映画の西部劇化(七人の侍→荒野の七人)、鉄腕アトム「細菌部隊」の実写化(ミクロの決死圏)など、日本のアニメ・特撮がアメリカでパクられたり、逆にアメリカのSF映画が日本のアニメ・特撮に様々な影響を及ぼすといったことが現実にあるのです。
(これらアニメ・特撮の日米パクリの実態は岡田斗司夫著「オタク学入門」に詳しい)
 メロディや物語のパターンは、そう簡単に多くのバリエーションを生み出せるものではありません。今あるものを自分なりに味付けし、作り変えてより良い作品へと仕上げる過程を「盗作だ」と言下に否定しては、あらゆる創作活動が否定されてしまう危険性がないともいえません。一年に何百、何千という膨大な数の歌や映画、テレビドラマが作られ、その中に似通った部分が一つ二つあること自体、不思議ではないと思います。

 私の文章だって、他の誰かと似た部分があるかもしれません。自分が好きな作家の文体や、過去に読んだ文章で心打たれた表現などが自分の意識の奥底に埋もれていて、それを無意識に真似ているのかもしれません。それもパクリだと言われてしまえばその通りかもしれないでしょう。パクリの謗りを免れるには自分の意識を全て白紙に戻すか、一切の表現を行わないかの、どちらかしか方法がないのかも。
 
 と思うまま書き連ねていたら、さっそく「資生堂アデノゲンのCMが横尾忠則氏の作品との類似性を指摘され放映を中止した」というニュース。真似をしたのか、たまたま似てしまったのか。