
毎週土曜日のNHK「おはよう日本」は、関東甲信越の場合は朝8時から約10分程度、エリア内の名所旧跡を紹介する番組(タイトルは失念。たしか「土曜ちょっといい旅」みたいな感じだったと思う)を流します。滝島雅子アナと女性レポーター(だいたい各局の女性アナが担当)が対談・問答する形式で、今朝は東京豊島区雑司が谷の鬼子母神界隈が紹介されました。
ここで気になったのが「鬼子母神」の読み。レポーターは「きしもじん」と読みましたが、番組に登場した都電の停留所「鬼子母神前」はローマ字で「Kishibojinmae」つまり「きしぼじんまえ」と書いてありました。「も」と「ぼ」、どちらが正しいのか。IMEでは「きしもじん」「きしぼじん」どちらも「鬼子母神」と変換します。
「電車男」の大ヒット?や、つくばエクスプレスの始発駅として何かと話題の秋葉原。最近の若者は「アキバ」と呼ぶことが多いようです。先月開店したヨドバシカメラも店舗名を「マルチメディアAkiba(アキバ)」と称しています。地名を略すのは珍しくないとして、秋葉原は「あきはばら」なのに何故「アキバ」?
秋葉原という地名の起こりは、明治時代に遡るようです。現在の秋葉原一帯は明治の初め、「火除け地」として、類焼を防ぐための空き地とされたそうです。そこへ1870(明治3)年、火除けの神様として「鎮火神社」が建てられたとのことです。それが後に「秋葉神社」と改名され、地元の人は誰ともなく「秋葉原(あきばがはらorあきばのはら)」と呼ぶようになったとのことです。「秋葉」と改名したのは、鎮火神社が静岡の秋葉大権現から勧請(かんじょう)されたことに由来すると思われます。
(「秋葉原(あきはばら)の由来」によれば「あきばはら」「あきばっぱら」とも呼ばれたらしい。ちなみに私の親もかつて秋葉原を「あきばはら」と読んだことがあるが、あながち間違いではない?)
ところが1890(明治23)年11月1日に当地に開業した佐久間町貨物駅が後に「秋葉原(あきはばら)貨物駅」と改名されました(小学館の「各駅停車シリーズ」では秋葉原改名の時期を不詳としている)。同駅を開業したのは日本鉄道という当時の大手民鉄でしたが、実態や地名の起こりを無視した役所的命名だとして地元の評判は良くなかったようです。もともと秋葉原一帯では「鉄道は危ない」と、上野からの日本鉄道線延伸に反対だったそうで、同社は「踏切に遮断機を付ける」などの条件を整えた上でようやく秋葉原への延伸にこぎつけたとか。そのような「歓迎されない誕生」だった上に「地元無視の命名」だったわけですが、当初は神田川の水運と連携した行き止まりの貨物専用駅として機能していました。
(なお日本鉄道は、1906(明治39)年公布の「鉄道国有法」により国有化された)
秋葉原駅が大躍進を遂げるきっかけとなったのが、大正末期の旅客営業開始でした。関東大震災から間もない1925(大正14)年11月1日、神田-上野間に旅客線が開通し、東京止まりだった京浜線電車が上野まで乗り入れました。また山手線電車の環状運転が始まったのも同日からで、秋葉原はこれらの電車の旅客を扱うこととなりました(ちなみに同日、御徒町駅も開業した)。
旅客線は高架で新設され、秋葉原駅の貨物設備も後に高架化されました。まだ珍しかったエレベーターなどが設置され、高架下にトラックや荷車が待機して貨物を受け渡すという近代的な光景が展開しました。貨物取り扱いは戦後もしばらく続き、廃止後は電車の留置線として活用されていました。
昭和に入ると、秋葉原は重要な乗換駅となります。1932(昭和7)年7月1日、総武線が両国から御茶ノ水へ延伸され、秋葉原に総武線ホームが増設されました。同ホームは東北線(山手・京浜東北)ホームをまたぐ形で架けられ、利用者のために国鉄としては初めてエスカレーターを設置したそうです。
同時に両国-市川間で電車運転が開始され、それは翌年には船橋へ、さらに1935(昭和10)年には千葉まで延伸されました。秋葉原は山手・京浜東北線と、千葉方面及び御茶ノ水乗換えで中央線方面との連絡を担う一大拠点となりました。神田川にかかる万世橋付近にあった万世橋駅が1943(昭和18)年に廃止されると、同駅に隣接していた交通博物館の新たな最寄り駅としての役割をも担うことになりました。
戦前から一部のラジオ取り扱い業者が店を構え「電気街」の下地が萌芽しつつあった秋葉原界隈は、敗戦後の短期間に多くの電器・無線取り扱い業者が進出し、現在の秋葉原の原型が整いました。そして日本の復興・高度成長と歩みを揃えるかのように、秋葉原電気街は年々発展しました。80年代に入るとマイコン・パソコンを扱う店も登場し、90年代半ばにはパソコン関連の売り上げが家電製品のそれを上回りました。秋葉原の名は海外にも知れ渡り、外人が電気製品を買い求める姿も珍しくありません。
秋葉原が発展した理由の一つに「交通至便」が挙げられるようです。総武線と東北線の乗換駅となって七十余年、今度は「つくばエクスプレス」が加わり、北関東への新たな玄関口となりました。
秋葉原の愛称?となった「アキバ」ですが、見方を変えればむしろ「当初の地名(=あきばがはらetc)に基づいた」呼び名とも言えそうです。だからといって、今さらJRが駅名を変えるとも思えません。何しろ国際的に「アキハバラ」が認知されているのですから、「元の呼び名」に戻しても混乱するだけでしょう。
しかし例外的に「元の呼び名に戻した」ケースもあります。日豊本線の苅田(かんだ)駅は戦時中「東京の神田と紛らわしい」という理由で「かりた」に変更されてしまいましたが、戦後十数年経って「かんだ」に戻りました。また函館本線の旭川(あさひかわ)駅は明治の後半から「あさひがわ」と呼ばれていましたが、1988(昭和63)年に「あさひかわ」に戻りました。もしかすると「あきはばら」も見直される?