ヘロヘロ登山隊のアレやらコレやら♪

あんなこと こんなこと そんなこと いろんなこと
書いたり   ・・・書かなかったり~  ハハハ♪

ありがとう

2016-09-04 16:53:51 | ぃろぃろ
  3月に倒れてから約半年。  頑張ってくれていたお義母さんが8/30 87歳の生涯を閉じました。

   29日夕方のフェリーで病院へ。 肩を叩いて呼びかけると シンドイながらも応えてくれる  今夜はココに泊まりデス。

    繋がれている機械の数字と 浅い呼吸を続ける義母サマを行ったり来たりの時間が流れる。

      台風の影響で雨模様の肌寒い日   簡易ベッド一つにワタクシと奥様半分こ 寝たり起きたりの夜。

   30日 機械の数字は徐々に下がる  義母サマからの返事が無くなっていた。

   朝一のフェリーでアホ息が到着。  思えば女系だった義母サマにとっては彼が初の男孫 お互いにそれなりの思い入れはあったと思う。

   しばらく様子を見ていたけど それなりの安定だったのでアホと買い出しに出る。

      奥様からの戻れ電話。   午後4時前 機械が数字を出せなくなる。。


   しばらくぶりに帰る我が家にはそれ用の布団が敷かれていました。  通夜は明後日 葬儀は明々後日。
        

     見たことのない化粧した顔で眠っていました。 両膝を手術したり 糖尿病になっちゃったりで晩年は病気との格闘ばっかりだった気がします。

     高校生の時に奥様と付き合い始めて 義母サマとの初対面で頭を叩かれました。 とってもアホぉ~な感じに見えたのでしょうねぇ。。

     結婚して子供たちが生まれて 共稼ぎの我々のために東京まで子守に来てくれたり 米&野菜等を欠かすことないくらいに送ってくれたり

     子供達の長期休みには決まって佐渡へ島流し。  子供たちが小さかった頃は本当に助けていただきました。

     自分の思うように生きた人だと思います。 難しい一面もあったみたいですけど ワタクシ達には神様的な存在でしたねぇ。。

       ぉ嬢もダンナのユッキーとharuと一緒にお別れに駆けつけました。

          一ヶ月ちょっとのharuを抱えて動けないぉ嬢なりの思いをユッキーが受け止めてくれたみたいです。 ユッキーに感謝だな。。


            ただただ感謝しかありませんゎ   なんにも返すことができないままでゴメンです。


     真言宗は大日如来サマ。  ワタクシの父ちゃん 奥様の父ちゃん母ちゃんをヨロシクですよ!


       義母サマを送って戻った我が家はharuの姿も消えていました。

        ドタバタを期に“戻るべき家”へ移住を決めたようです。

         アレコレと不安だらけで戻れなかったぉ嬢だけど 「さっさと戻らにゃダメらっちゃ!」と これもまた義母サマの仕業かもしれないネ。


        ある程度の覚悟ができていた奥様は 傍目にはワリと落ち着いています。

          娘にその覚悟ができるまで頑張ってくれて義母サマ これまたすごいなと思います。

          明日からまた 日常が始まります。


                なんとなく ポッカリした感です


                                   まだまだ暑いね  秋じゃないのかね?  by ヘロヘロ~


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする