新古今和歌集の中の「見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ」が、枕草子の中の「春はあけぼの」「秋は夕暮れ」に対する反論で、実はこの歌が春の歌であることを理解できるのはまさに日本人ならではですね。
中高生の内から現代国語文法のみならず、古典にも接する日本人の文章理解力は、OECD加盟24カ国の中で実施した調査 (Programme for the International Assessment of Adult Competences: PIAAC)でトップだと聞きます。それにしても日本語はなんと美しい響きをもった言語なのでしょうか。日本の夕暮れの風景というのは四季を通してそれぞれに趣がありますよね。
中高生の内から現代国語文法のみならず、古典にも接する日本人の文章理解力は、OECD加盟24カ国の中で実施した調査 (Programme for the International Assessment of Adult Competences: PIAAC)でトップだと聞きます。それにしても日本語はなんと美しい響きをもった言語なのでしょうか。日本の夕暮れの風景というのは四季を通してそれぞれに趣がありますよね。
コメント
こんばんは kamakuraboyさん
『新古今和歌集』に次の後鳥羽院の歌ですね。
「見渡すと、山のふもとに霞がかかり、水無瀬川が流れている。夕暮れは秋だとどうして思ったのだろう。春の夕べはこんなにすばらしいのに。」と感慨深く想ったのだろうと思います。四季がある日本ならでは歌ですね。
本居宣長の派生歌では「水無瀬川山本かすむおもかげの昔もとほき春の夕暮」とずばり「春の夕暮」と歌っています。本歌と枕草子を意識しすぎてやや面白みに欠けるでしょうか。
でも、きっと本居宣長も後鳥羽院の本歌が好きなのですね。
2019/1/10(木) 午後 10:26 泉城
> 泉城さん
コメントをありがとうございます。「夕べは秋となに思ひけむ」に枕草子の元歌の他に派生歌まであるということは知りませんでした。泉城さんは和歌にお詳しいのですね。
美しい四季があるからこそこのような文化が根付いている日本は恵まれた気候風土だと思います。ただ、昨今は春が短く梅雨の雨の豪雨化や、秋の台風の大型化など気候変動の影響も感じます。未来も和歌の文化が相応しい日本の四季が続きますように、と願っております。
2019/1/11(金) 午前 0:01 kamakuraboy
> kamakuraboyさん
私は和歌に詳しくないのですが、何と言っても古代史では本居宣長が外せません。
本居宣長は国学者で医者であり『古事記伝』を著して有名ですが、『玉勝間』などで和歌についても述べているので関心があります。
いつまでも美しい日本、美しい日本語であってほしいです。
2019/1/11(金) 午前 0:25 泉城
> 泉城さん
枕草子ではありませんが、遠くの山の上に浮かぶ春の明けの空のバラ色の雲は美しい。陽が沈む間際の秋の夕暮れの茜色の空もしみじみと美しい。そして、様々な花鳥風月の風物の名前と色を表す言葉が大変多い日本語という言語は本当に美しいことばですね。
2019/1/11(金) 午前 1:00 kamakuraboy
まさにkamakuraboyさんがここに掲げられた写真のようです。
私も朝焼けや夕暮れの景色は好きですし、その様々な色の変化がある景色を微妙に表現できる日本語も素敵だと思います。
2019/1/11(金) 午前 1:11 泉城
2018年1月18日にヤフーブログに投稿した記事より
> 見渡すと、山のふもとはかすみ、水無瀬川が流れている。夕暮れの趣は秋に限ると、どうして今まで思っていたのであろう。(春の夕暮れもそれに劣らぬ趣があってすばらしいのに。)
(枕草子1段「春はあけぼの」「秋は夕暮れ」を念頭に置いて春の夕暮れの美しさを詠んだ歌。藤原定家の「見渡せば花も紅葉も~」などの秋の夕暮れを詠んだ「三夕の歌」に対して反発したものと言われている。)
と出てきました。
この歌は、清少納言の「枕草子」と藤原定家の「新古今和歌集」の間で何百年も解釈で対立してきているというのに、kamakuraboyさんときたら、さりげなく
> 日本の夕暮れの風景というのは四季を通してそれぞれに趣がありますよね。
って裁定しちゃうあたりは2人の遥か上をいくっていった感じですね。