goo blog サービス終了のお知らせ 

フタコトミコト

人との”逢い"と大きな愛を歌いますSoul Singer、爆走の日々!!!

縁紡ぎ 第24話「紡ぎ紡がれ」

2014-05-22 00:29:00 | 縁紡ぎ
縁紡ぎ 最終回

最終回の縁紡ぎ。最後に書こうと決めていたのは、私の家族の事。この世に生を受けての最初の「エニシ」だと思います、親子の縁。パパとママがいなければ、私はここに居ない。父は、空に旅立って来月で17年になる。大人しい人で、取り柄といえば唯一車に明るかった事。高校卒業してから、離れて住んでいた父とようやく話すようになったのを思い出す。そのきっかけは、夜な夜な車の運転を教えてもらったことから。お陰で今はゴールド免許を守り抜いている。母の実家の前に私たち夫婦は住んでいた。昭和の長屋で、趣のあるその家に私たち夫婦は気に入って暮らしていたが、地震で地区の給湯の配管が駄目になり、敢え無く家を取り壊す事にした。毎日のように顔を突き合わせていた母から、離れることになった寂しさと云ったら...母は、東京でのライヴ、いわきでのライヴには必ず駆けつける。実は彼女は、私のゴスペルレッスンにも通っている。温厚な彼女は、私の音楽仲間やレッスンメンバーに好かれている。気がつけばいつも一緒の私たち。学生の時も、私が働いてからもそうだった。いつまでも若く美しい母は私の自慢である。高校生の時に、友達を通じて学校の違う、変わった男の子に逢った。その彼と結婚して今に至る。もう22年の付き合いで私の一番の理解者。私の人生において、最高の縁は、彼とのものだと信じている。今やこの旅烏のシンガーを支えてくれているのは彼。本当に感謝している。彼と結婚したことで、繋がった家族とも、私の実の妹や妹の旦那様、大好きなその子供達、甥や姪も、父方の家族だって、母方の家族だって、みな「生きてこそ」繋がっているエニシ。全てに愛情がある。家族の繋がりは、私の核。こうして、縁をテーマに書く事で、繋がった縁を年月を掛けて「育てていく」の大事さも知り、数々の出逢いに改めて感謝出来ました。日々の移ろいに縁は生きる。皆様、読んで下さり有り難うございました。今度は歌で繋がりましょう。結び。

縁紡ぎ第23話「大阪のしのちゃん」

2014-05-06 23:06:34 | 縁紡ぎ
縁紡ぎ 第23話

「すがみんとの仲ももう6年やで」と、しのちゃん。以前も少し登場したが、彼女とはゴスペルワークショップで知り合った。明るく良く笑う彼女を射止めたのは会社の同僚で、2011年秋に結婚。しのちゃんは、震災すぐ、私のCDを大阪の有名ラジオDJ、ヒロ寺平さんに送り、繋げてくれた張本人なのだ。大阪でのライブは皆勤賞。今月の大阪では1日だけオフがあり、彼女と天王寺から発車する阪堺線、チンチン電車での旅をキメた。最終駅の浜寺駅前は彼女の生まれ故郷だという。途中下車は、パワースポットで有名な住吉大社に。平日で薄曇りの夕方前、人影は疎らでのんびりと社内を回った。最終の浜寺駅前は堺市。昭和で時が止まったような素朴な所。しのちゃんは嬉しそうに、小学校の校門に駆け寄り、私の母校!ちぃさぃなぁ~、と高い声を上げた。細い道の商店街で、まず彼女が立ち寄ったのはお菓子屋。「ここのスィートポテトがうまいねん」子供の頃からの懐かしの味、と鼻息を荒くした。次に、昆布佃煮屋。数種類の味の昆布佃煮の桶が並ぶ。人あたりの良い店主が穏やかな関西弁で対応する。「お母ちゃんが好きやねん。あ、おばちゃん、甘くないのはどれやっけ?」ここは変わらんね~としのちゃんは早口で話した。「こうして町に戻る人にそう言われるのが嬉しくてやってるんよ」揚げたてのコロッケを買って、近くのスーパー内のベンチで缶ビールで乾杯。今まで離さなかった家庭の事をお互い話した。同じ町で育ち、成長して会った友に息せき話すような感覚で。少し歩くと海だという。堺泉北臨海工業地帯のその湾に並ぶ煙突の煙を見て、小名浜を思った。大阪人のあたしでも未知な新世界を案内してよ、と言うので、取っておきの串カツ屋とスマートボール、のこされ島のフルコースで閉めさせて頂いた。縁は育っていくのだとじんわり実感した素朴で温かな1日に、結び。

縁紡ぎ 22話「KAORUと悠歩」

2014-04-23 22:01:21 | 縁紡ぎ
東京での活動当初、周りは父親位の年齢ばかりだった。諸先輩方の経験からの有り難いアドヴァイスを頂き切磋琢磨の日々。「姉さん」「ひろみさん」と呼ばれる事が多い10年後の今。各地方でのオープニングアクトでの20代の若いミュージシャンの繋がりも多い、 10歳以上差なんてざらだ。シンガー、ミュージシャン共に、20代の新鋭達の卓越した技術に驚愕。自分が苦労して得たブラックフィーリングは、もう探求せずとも備わっている感じ。歳の差を感じずに仲の良い若手シンガー達が何人かいる。中でもKAORUと悠歩は特別だ。彼らとの出逢いは2011年。震災が大きく係っている。その年の1月にある深夜セッションで悠歩に逢った。歌い始めた彼の歌声に射抜かれた。群を抜いて卓越した歌唱力だったのだが、彼の内側に繋がるものを感じ即座に仲良くなった。関西弁の彼は新たな再活動のスタートにいた。地震後すぐに彼はマッサージのボランティアで来市。逢えずだったが、その日の彼とのやり取りで彼の人柄の良さを再認識。震災後移動の手段を断たれ、3月23,24日に入っていた大阪名古屋ツアーに行けるのかどうかの瀬戸際だった。バンド仲間は考慮して電話をくれた。「ひろみちゃんの代打をいれようと思う」「いや、私は絶対に歌う!」そう決めて、何とか向かった大阪のライヴで、背の高い、スパイラルパーマのエラくカッコいい女の子を紹介された。代打を相談されていた、KAORUだった。その年8月、彼らは私の大事なステージにて素晴らしい歌声で支えてくれた。ここには大阪在住のTOMOMIも。彼女ともやはり震災後のチャリティーソング企画で逢った。KAORUはこの年の5月に上京、瞬く間にソロシンガーとしてその実力を知らしめた。悠歩はコーラスとしてメジャーシーンからもひっぱりだこ。ソロとしても人気だ。2011年がくれた最高の縁。誇るべき友人であり同志であり、いちファンである自分。公私共に仲の良い奴らなのだ大好きだ。結び。

縁紡ぎ21話 光南高校シンセ部との共演

2014-04-23 22:00:13 | 縁紡ぎ
「第20回•全国生涯学習フェスティバル•まなびピアふくしま2008」でのステージでのご縁。公務員らしからぬ芸能関係風なノリの県庁からの担当コンビから突然のコンタクト。福島各地での様々な文化の学びの集大成にしたい!との彼らの熱い提案は、福島県立光南高等学校のシンセサイザー部とゴスペルコーラスの共演と、総合閉会式で出演者全員で歌うフィナーレでの歌唱を先導せよとの大役抜擢。矢吹町の光南高校に、全国でも稀なシンセサイザーを使った音楽部がある。30台ものディスクトップが並ぶ圧巻の部室、ステージでは、旧式の音源内蔵のハコが接続されたシンセ鍵盤が10台近く並び、電子ドラム、ギター数本、ベース、コーラス10名程、その中央にコンピューターを置いたミキサーシステムが位置し、エンジニア役で3名程じっと着席する何とも不思議な構図。顧問の渡辺泉先生は、生徒の信頼も厚い、穏やかで音楽をこよなく愛するベテランの紳士。先生自らの編曲を全員で演奏したり、生徒達に率先して作曲編曲をさせ自由に表現させたり、音楽は皆それぞれの役割を担って一つになるんだ!という指導スタイルに共感。フィナーレでの「翼を下さい」を、まなびピア用に編曲する大役に任命された先生。福島県合唱連盟の団体や、私達ゴスペル、県知事をも交えたステージ上の出演関係者、観客まで大合唱にまで持っていきたいという強引な担当コンビ!各自の音楽特性や主張を生かしつつ、泉先生は見事アレンジを仕上げた。ゴスペルコーラスパートのアレンジは私が担当、シンセ部とのコラボの為に、何度か光南高校へ足を運んで部員達に指導。「Joyful,Joyful」を共演、フィナーレでも歌で皆一つになった感動の閉幕となった。生徒達のピュアな取り組み、泉先生の存在を今でも大切に思っている。先生は来年定年退職。子供達の可能性を引き出してやるのはまだまだ大人なんだ!そうですよね?泉先生。続けたい縁がここにある。結び。

縁紡ぎ 20話「10年間のエニシぎっしり」

2014-03-19 00:34:16 | 縁紡ぎ
ようやくCDの最終行程が先週終り、後は出来上がりの1000枚の到着を来週に待つばかり。10月にバンドで収録、12月に歌録り、明けて一月、一曲の為に20人でのコーラス録り、2月末マスタリング作業で完成。全行程を請け負ってくれた総合エンジニア、友人でもある壮ちゃんには頭が上がらない。次いでバンドマスターであるベースのえぐっちゃんに感謝。家族に感謝。自主制作出版自作自演の極み!さあさあ勝負だ自分。今年に掛ける意気込みこそ大きい。そう、このCDは、東京でプロ活動して10周年の記念となるものなのだ。あっと云う間の10年、振り返ると本当に沢山のエニシで織り成されたものだ。上京して伝手もなく、自分のやりたい音楽とは的外れなスタートこそ切ったが、そこで出逢うハウスのオーナーの温かさや、同じように模索するシンガー達との交流も、思い返せば良き思い出である。そして、恩人である荻窪ルースターのマスターが、次々と紹介して下さった素晴らしい音楽家の面々が思い浮かぶ。マスターのお陰で、熟練の達人勢と肩を並べてステージに立たせて頂く事が出来た。会場で挨拶を交わしたお客様の顔が次々と浮かぶ。ほぼ10年間、今もなおライヴに足を運んで下さるファンの方もいらっしゃる。ツアー各地で逢った地元ミュージシャンや、お客様方との繋がりも本当に掛け替えの無いものだ。各ライヴハウスでのオーナー•スタッフ、東京での生徒さん方、ゴスペルを通じて出逢った方々、荻窪の飲み仲間達、あらゆる出逢いは大きな励みとなった。5月18日には、目黒ブルースアレイジャパンで発売記念ライヴを行う。2009年からあらゆる節目で一緒にライヴをしてくれているバンドメンバーと、伸びしろ広い次世代の先鋭シンガー達と送る。今、目の前に広がる風景は沢山の繋がりがあってこそなのだ。Thanks to 係って下さった皆様へ。今があるのは数々の縁のお陰。ライナーノーツ的に、感謝完結の巻。

縁紡ぎ 19話 『中毒性BEEゴスペルマジック』

2014-03-19 00:31:53 | 縁紡ぎ
2008年に単身大阪へ、の諸々のエピソードは以前に綴った。その年8月の3ヶ月後に再び大阪へ。この2回目の滞在ではアメリカのグラミーノミニードゴスペルグループ、ザ•サウンズオブブラックネスのリーダー、ゲイリーハインズのワークショップ&ミニライヴへの参加、大阪初のライヴブッキングを併せた強攻。豊中の会館でワークショップ初日、ゲイリーの指導の前に、海坊主頭のガタイの良い、ヨレヨレジャージ姿のプロレス関係者か、はたまた吉本の芸人か?奇妙な男が仕切り始めた!BEE芦原...日本ゴスペル界を代表するディレクターの一人。ゴスペルブーム全盛期に業界震撼の「ゴスペル塾」を立ち上げた彼。「各自、課題曲を死ぬ程聞いて研究して、自分なりに歌詞に向き合ってモノにせえや!」やる気があるやつだけついて来い、スポ根精神を掲げた正にゴスペル界の異端児。打ち上げで「福島から来ました!」とだけ伝えただけなのに、その数日後に彼から「今展開しているSMSゴスペルクワイアの東京校を作りたいねん。その講師になってくれへんか?」と突然の電話!見ず知らずの私に何故そんな大役を?と驚きながらも、2009年4月から、SMSゴスペル東京校の講師着任。正直その1年は、BEE芦原というブランドを背負うようで気重だった。彼のその指導スタイルと私は違うし、彼のスタイルを求めて門を叩く人を満足させてあげれないと嘆いたことがあった。「違う。菅波ちゃん、俺は、あんただから選んだんやで。自分のスタイルを貫いてくれればそれで良いんや。生徒らに同じ課題投げてもそれぞれ取り方が違うんやから、先生も色んなスタイルを持って、彼らと接してくれればそれで良いんや」自分なりにそれをミックスして吸収する事で個性になってくんや...それは彼の究極の愛情なんだ。その渦に巻き込まれて早5年。中毒性BEEマジックは、全国数百人の生徒達の個々の魂の輝かせる。”This Little Light Of Mine”の説得力。個々に輝いているんやでえ、と。結び。

☆4/13日曜、大阪ビルボードで、BEE芦原氏率いる Everlasting Joyにゲスト出演致します、私。
 チェックしてね!

縁紡ぎ「ファミリーツリーを辿る男、現れし」

2014-02-19 18:03:02 | 縁紡ぎ
突然フェイスブックに一通のメイル。遠藤寛治さんと仰る方。何と「縁紡ぎ」の連載を私のブログに移した所、彼の調べた幾つかのキーワードで、渡爺様を書いたその文に辿りついた様子。寛治さんの曾曾祖父の兄弟の息子が、渡爺様のお父様、以前にも出て来た私の曾爺様の寛さんだと云う。故あって寛治さんの祖父が母方の姓を継いで、遠藤であるとの話。先祖の墓参りの際に、墓標の隣の石碑の家系図に興味を持ち、検索を試みた、と。寛曾爺様のお父さんは「湯長谷藩士」そのキーワードも手掛かりとなる。いや、しかしながら文明の利器が呼び寄せた奇跡のえにし。去年の夏の目黒での私のライヴに足を運んで下さり初対面。遠い血縁ながら渡爺様の面影漂う紳士。今年一月のいわきでのライヴに、何とご夫婦で東京からわざわざお越し下さり、小名浜の渡爺さんに会いに寄って下さった。先日、浅草の名店「お好み焼き•つくし」で寛治さんと奥様のみちよさんと私で会食。こちらの神田ママさんとの出逢いも特筆すべく。私が去年の夏に熱海の会員制ホテルのオープニング期間でロビーで歌う仕事があったのだが、ショー後に客席で寛いでいた彼女達に私が話しかけたことから。「浅草でお店をやっているのよ」とその名前を後で検索すると、かのビートたけし氏も下積み時代に通った名店。その後目黒でのライヴにも足を運んで下さった。神田のママさん自身も、そのホテルで、過去に海外旅行時同じツアーグループだった女性と運命的な再会をする。良い縁は縁を呼ぶね、なんて会食時、神田のママさんに寛治さんご夫妻を紹介し、温かくなった。寛治さんは現在本職の他に、「ワセダクラブ」内のボクシング部の顧問でもある。最近スポーツ界に引き込まれつつある私の次なる挑戦は、遂にボクシング実技?さて、寛治さん、渡爺様に次なるミッションを与えられたとの事。寛さんの兄弟の「花島さん」を探せ!ファミリツリーは、今に紡がれし。

『ステージはリング』

2014-02-18 18:14:49 | 縁紡ぎ
先輩ミュージシャン達から「セッションステージでの起承転結は、プロレスに通ずるんだぞ」と、2年前に後楽園ホールデヴューを果たした。前に登場したベースの江口兄貴と、まるでブルースブラザーズのように仲の良い、ブルースハープのKOTEZ(コテツ)さん。今ではプロレス観戦や諸々で仲良くさせて頂いている大好きな先輩。実は、東京で活動を始めてから直ぐ、彼とライヴがしたくて、上京前に、西新宿まで観に行ってから程なく、知り合いのミュージシャンを頼って「一緒にライヴさせて下さい!」とアタックしたのだったなあ。上京仕立てで、ミュージシャンの掟など知らない無礼な私を、良く相手して下さった。ある時、コテツさんが「ステージはリングなんだよ。相手が例え、俺より大先輩で素晴らしくても俺は容赦しない。ぶつけるのみ」と言った事を今でも覚えている。「ひろみちゃんは、遠慮している。それじゃだめだ。真剣勝負の意味がわかるかい?」ー プロレスなんて見ないし、一歩引いてしまう性格だから仕方ない、と悩みの部分の指摘だった。それから6年経ち、コテツさんと江口兄貴が「お前のステージにはプロレス精神が足りない!」と大日本プロレスに連れて行ってくれた事を皮切りに、去年は信州で、グレートカブキ、タイガーマスク、長州力まで一同に拝み、2014年は東京ドーム、新日本プロレスで幕開け。その観戦後にコテツさんが言った。「自分までのレベルに満たない奴が対戦相手でも、良い試合をしなくちゃ。如何に面白くするかが核。それって、例えば、ライヴでも一緒だからね。どんな腕の奴とステージ立っても、自分が持ってくこと。相乗すること、わかる?だから、バックバンドが上手いから、イマイチだったからとか関係ないからね」まだ、あいつは気付いてないんだよな~、と、私の事を江口の兄貴と話していたらしい。はああ、プロレス道は未だ未だ深い。次回もスポーツ繋がりで、結び。

縁紡ぎ 『誇るべき縁、奈美ちゃん』

2014-02-11 01:04:02 | 縁紡ぎ
2007年頃のある日、女性から一本の電話。「Jビレッジでのパーティでゴスペルを歌って下さい」。待ち合わせの喫茶店に着くと、小柄で飾り気のない笑顔の彼女が居た。今泉(佐藤)奈美、誇るべき彼女との縁のお話。彼女は、2008年に国内4名の一人、FIFA承認の国際女子主審になり、同時期私は、当時JFAアカデミー福島での女子スクール内特別レッスンでのヴォイストレーングを担当。彼女は、2010年なでしこリーグ主審を務め、アジア中を目紛しく行き来するようになる。2011年、ロンドンオリンピック予選でヨルダン滞在中に、東日本は大きく揺れた。ヨルダンから戻った彼女は、いわきに即避難したアカデミーの生徒達と、楢葉町民が避難した先々へ行き、毎日炊き出しを手伝い、避難所で過ごした。宮城県東松島市の両親は無事だったが、実家が津波で流され、親戚を失った。楢葉の自分達の住まいを諦めた。同時に米国でのミッションの為のその3月の渡米をどうすべきか悩んだが、飛んだ。去年、米国でのレヴェルも克服し、更に強くなって帰国した彼女は、世界の頂点付近で景色を見回すまで昇り詰めていた。再会の杯を上げた後、来月皇后杯で笛を吹くので、観に来て下さいと云う。グラウンドでの彼女は、選手の倍走り続け、驚いた。凛々しかった。「来年は審判生命を掛けての勝負年。精一杯やって、”This is my life”といってピリオドを打ちたい。その後は、女性としての役割を大切に生きたい、家族と日々を紡ぎたい」と話してくれた。試合には田中陽子選手や澤選手の姿も。311後、アカデミーの卒業式に出席した時の、田中選手らの言葉が響く。「天を憎まず、運命に耐え、リスクタッカーで在り続ける」。今は最大の理解者である旦那様と御殿場で暮らす。地元の子供達の試合でも喜んで笛を吹くと笑った。「人の日常を知らなければ、人をジャッジなど出来ない」真摯なスポーツ魂は、生命力に満ち満ちている。結び。

縁紡ぎ 第12話『いわきにゴスペルを...後編』

2013-11-21 23:37:10 | 縁紡ぎ
ゴスペルの種を蒔き、育てていきなさい」あるゴスペルシンガーの言葉が残る。自身がゴスペルソングを教えることに不思議な使命感を覚えた。前編で書いた、わくわくいわきでのステージも大変印象深い思い出だが、2008年福島県生涯学習フェスティバル、まなびぴあふくしまでの光南高校のシンセサイザー部との共演も本当に楽しかった。具体的に夢を描き始める中高生と歌うのは、チカラ強い可能性を感じる瞬間だ。2007年より震災迄、Jビレッジ内JFAアカデミー福島の女子達にゴスペルを教えた。「チーム力を高める為、ゴスペルを取り入れたい」というコーチの思いは、サッカーへの興味だけだった子供達にとって連動しにくい時もあったが、いわきアリオスでの初公演時の集中力の高さと結束力には驚いた。(実は現在なでしこジャパンの田中陽子ちゃんはこの時歌っている。歌も上手でしたよ)愛しの我がチーム、コラヴォイスにもピュアで熱い、歴代のティーンエイジャー達が元気を添える。小学校から通い高校受験まで頑張った、のぞみちゃん•みさき君•かいちゃん。現在は高校生のあやのちゃん•りょう君がアイドル。彼らはお母さんがゴスペルを歌っていた影響で、幼少時代からゴスペルと生のステージがいつも傍にあった。りょう君がある日「僕は、思い出のオーハッピーディが歌いたい」とレッスンの終りに呟いた。彼の思い出の中に、ゴスペルの種蒔きに無我夢中だった私が見えた。スティービーワンダーの「ラヴズ•イン•ニード•オブ•ラヴ•トゥディ」を思い出す。”悪い事は直ぐに広まる。だからみんなでグットニュースを発信するんだ”...ゴスペルはグットニュースの意。ネット社会の世の中で、何が良くて悪いのかの判断は困難を極める。発信は、時間と場所と想いを共有してこそ伝わっていくものだと思う。次なる私の目標は明確。来年はいわきの元気なティーンエイジャーと歌うことで発信していきたい、今を、未来を。力になって下さる強力エニシ募集中!

JFAアカデミー福島のパフォーマンスはこちらに。