美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

自己推薦入試のこと

2006年02月24日 | 学校・教師考
1993年4月より私は高等部の入試委員長を引き受けました。

この段階で、以前は120名の募集に対して300名以上もあった志願者が激減してきており、190数名の志願者で歩留まりを考えて140名の合格発表という入試となっており、入試改革は急務でした。

志願者が減ってきた理由はいくつか考えられます。

①英語・数学・国語の試験の点数がすべてで合否判定を行っており、中学校が思ういい生徒と、本校が合格発表を出す生徒のズレが多くおこっていたこと。(結局中学校をいい加減に過ごしていても、塾で英数国の受験勉強をしているものが合格するという実態をまねいていた・・・)

②本校がどんな生徒を求めており、高校3年間でどう伸ばしていけるか・・・という視点を明確にしてこなかったこと。(大学に無試験で進学できる本校の人気は絶大なものがあり、何もしなくても受験生は自然と集まっていた・・・)

③その結果、本校の教育内容を、受験生およびその保護者、さらに塾や予備校にしっかりと伝えようという気持ちが学校の空気として不足していたこと。

そのほか、細かい視点もいくつかありましたが、いかに優秀な受験生、志願者を増やすかという点で入試改革を進めていきました。

まず、それぞれの中学校時代の生活や学習の態度をきちんと評価して、中学側が考える優秀な生徒がきちんと合格できるような入試制度のあり方を考えようとしましたが、入試改革だけでは、学生募集も含めた入試のあり方が確立できないと感じました。
入試のあり方だけではなく、「入試(入り口)~教育(中身)~進路(出口)」という大きな学校循環の中身をすべて見直し、上手く動いていない部分を見直すことが必要と考えました。
今でも、入試を見直すことは、学校のあり方をすべて見直すことであると考えています。


数年の試行錯誤、データ取りを行い、様々なヒアリングを実施し、本校が最終的に取り入れたのが「自己推薦入試」でした。
早稲田本庄高校や同志社国際高校も、様々な推薦入試を導入し始めたのもこの時期で、自己推薦入試という言い方自体は決して目新しいものではありませんでしたが、その中身は関西学院独自のオリジナルな考え方がギッシリと詰まっています。

関西学院高等部が、英数国の学科試験を全く行わない、面接と作文のみの自己推薦入試を行うということは、当時誰も予想しなかったことでした。それだけに反響、手ごたえも大きかったと言えます。


当時の考え方を示した文を掲載します。

B方式入試(自己推薦入試)の要項 

1、B方式入試(自己推薦入試)について
関西学院高等部は、キリスト教主義によって支えられた自由と自治の伝統を、開学以来大切に守り、教育の場を作り上げてきました。知識偏重ではなく、関西学院大学への推薦制度を十分に生かし、高校三年間の中で、ひとりひとりの個性を育む、知の育成、人間性の形成を目指してきたのです。従来の高等部の入学試験もその精神にのっとって行われ、成果を上げてきました。勉学はもちろんのこと、クラブ活動に、ボランティア活動に意欲的な生徒諸君が関西学院高等部に数多く入学し、活躍するようになりました。
こうした流れに立って、本校の教育方針をより徹底し、本学院を一層活性化させるために、2002年度より、新たに自己推薦入試を導入します。この入試では、学科試験を行いません。学力を問わないという意味ではありません。中学校時代に勉学に真剣に取り組み、同時に分野、領域を問わず、あることに継続的な努力を積み重ね、頑張ってきた人、そのことに誇りを持って自分をアピールできる人を関西学院の生徒として迎え入れたい、というのが、この自己推薦入試の目的です。
関西学院で、自分の生き方を積極的に開拓していく強い意欲を持っている人。「我こそ」と思う人がチャレンジしてくださることを期待します。

2、募集人員
第1学年 男子 約20名

3、出願資格
以下の①から④すべての要件を満たしている者。
①2002年3月中学校卒業見込みの者。
②本校を第1志望とする者。
③調査書(本校所定のもの)について以下の基準を満たしている者。
中学校第3学年2学期末の時点で、9教科の10段階評定の合計が70以上の者、または、5段階評定で36以上の者。
④次のA)、 B)のいずれかに該当する者。
A)生徒会活動やボランティア活動等、学校や地域で積極的な諸活動をおこない、学業との両立に積極的に取り組んだ者。
B)文化・芸術・スポーツなど、自ら興味の対象を持ち、それに打ち込み、学業との両立に積極的に取り組んだ者。
(各種コンクール、展覧会、発表会、スポーツの大会、資格試験等での実績を証明する書類がある場合はそのコピーを添付すること。)


120名募集に対してのわずか20名の募集でしたが、本校の考え方をハッキリと中学校に伝えていき、大きな賛同をいただくことが出来ました。
初年度40数名の志願者が、現在は80名ほどの志願者となっています。また、この自己推薦入試の影響もあり、一般入試の志願者も250名ほどに回復し、あわせると300名ほどの志願者数となりました。

この入試改革にあわせて、カリキュラム改革、大学推薦制度改革も行いました。
カリキュラム改革にあわせて、教科メディア教室をまず充実させ、文部科学省のスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールの指定も獲得することができました。
カリキュラムと大学推薦制度という本校の根幹の部分に大きくメスを入れたこととなりました。先輩の先生方の経験や若手の先生のエネルギーが合わさっての学校改革でした。

私自身、33歳から43歳にかけて、入試委員長と副部長という重責を与えられて、学校改革に明け暮れた10年といえます。
学校としては、さらに次の・・・という時ではありましたが、2004年度からは、校長が変わったこともあり、新体制にバトンタッチをすることとなりました。

尊敬できる校長先生の下で、大きな仕事をさせていただけたことは私の大きな財産となりました。
今は、再び美術教師とホームルーム担任としての生活を取り戻しています。

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