25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

イスラム国による人質事件3

2015年01月24日 | 社会・経済・政治
 イスラム国の人質事件で、僕は2回このブログで意見を書いた。テレビニュースや新聞なども読んだ。後藤さんのお母上の記者会見も聴いた。お母上は「日本には平和憲法があって、戦争をしない国だ」と言っていた。
 しかし中東歴訪中、安倍首相は「イスラム国」と名指し、その脅威を受ける周辺国に対して援助をすることを宣言した。あきらかに有志連合の一員として述べたのである。「イスラム国」と言わなければよかったと悔やまれるが、政府はこれを「人道支援」だと言ってやっきになっている。
 イスラム国のやっていることは残酷であるが、その残酷なことと同じことをヨーロッパ先進国もアメリカもやってきた。植民地支配がそうだったし、フセイン体制を倒せば混沌となってしまうことがあきらかであったイラクにおいても市民は犠牲になっている。アメリカも残虐である。戦争に正義の戦争などというものはない。戦争そのものは「悪」なだけだ。日本は集団的自衛権を閣議決定している。集団的自衛権のことなどはシリアにいる人たちは知らないかもしれないが、有志連合の一員であることは知っているはずだ。
 イスラム国は6世紀の「正統カリフ時代」の社会に戻りたい。イスラム法を遵守して生きたいと思っていると同時に、植民地時代に寸断された国境線を打ち破ろうとしている。
 イオスラム宗教を信じる人々にも多く穏健な人々がおり、彼らは「イスラム国」の言っていることと行動はイスラム法を遵守しているものではないと言っている。
 イエメンが崩壊した。これはシーア派の武装勢力に乗っ取られた形だ。イスラム国はスンニ派だ。
 このようなことは僕は関わるべきではないと考えている。日本だって、戦国時代に多くの命を犠牲にして国盗り合戦があった。人権などといわないで放っておいたらいいのだと思う。石油が入ってこなかったら、となるが、売買なくして国は成り立たない。

 僕はイスラム教のある、また原理主義者がいる地域へ仕事でいくことがままある。僕の娘の義父も地域は違うがたびたび訪れている。ひとりひとりが仲良くしているところへ国家というもの、特に政府というものはいらぬ介入をする。放っておいてほしい。彼ら全イスラム教徒は彼らで歴史をちょっとづつ刻んでいくだろう。だれも人など殺したくないのだから。共同幻想に支配されているが、やがてだんだんと個人というものも、家族というものも国家以上に大事なものである方向に進んでいくことだろう。僕はそう思う。


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