25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日本の戦争

2017年03月11日 | 社会・経済・政治

 日本人はなぜ戦争をしたのか。半藤一利が書いた「昭和史」を読み返してみた。そこには折々の判断ミスがあり、指示もないのに、ちょうど籠池元理事長が了解なく突っ走ってしまったような出来事があった。日中戦争、太平洋戦争の原因をさぐるには日清戦争前まで、つまりロシアの皇太子が元武士に斬りつけられる「大津事件」

にまで遡ることになる。

 この時期イギリスやフランスやアメリカまでも東南アジア諸国を植民地化していた。資源のない日本はアメリカとイギリスから資源を輸入していた、一方港のないロシアは、シベリア鉄道建設が悲願であり、この計画が着々と進んでいた。シベリア鉄道ができれば、東側に港ができる。途中から下へ南下させれば満州である。

  また当時、明治の28年頃は朝鮮半島は不安定だった。いつロシア占領されるかもわからなかった。

 明治以降常に中国、ロシアは脅威であった。中国には外に進出する力はなかったが、朝鮮半島を守る力もなかった。

 日清戦争の勝利で満州に鉄道を敷いた。ロシアと面と向かい始めた。緩衝地帯をおくためにか挑戦半島を併合した。しかし満州にはでるのは石炭くらいで、石油はなく、鈴や胴などの資源はほとんどなかった。

 このときから昭和の戦争を解き明かすのかは解釈による。戦争をせずともすむチャンスはいくらでもあった。

 海軍は戦争回避を主張していたが陸軍は積極的であった。内閣には軍部の大臣がいて、その大臣一人が反対すれば物事は進まなかった。統帥権なるものも制度として存在した。内閣の議決、国会を無視できるものであった。国民は国民ではなく臣民となった。戦争に反対するものは投獄されたり、危険地域の最前線に行かされた。軍部ファシズムがきつく臣民を縛り始めた。

 権力というものはいったいなにをしでかすかわからない。その手段が憲法である。権力の横暴を防ぐのが憲法であることを忘れてはならない。そして解決の方法は交渉しかないことは先の戦争から得た教訓である。ゆめゆめ、危機感を煽る一部メディアに乗せらてはいけない。

 

 



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