25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

男と女

2016年03月17日 | 社会・経済・政治

  日本の世の中は男に女のようになれ、と化粧品などを勧め、女に男のようになれとスポーツを勧める。化粧品とスポーツは例であるがこのふたつにはまるものは多数ある。育児と仕事であってもよい。美容師と整体師でもかまわない。女はサッカーもし、やがてラグビーもやり、ついには相撲をとる。男は料理を作り、育児をし、ついには精子の数を減らす。

 男と女は法的には平等であるし、それは良いことだ。ところが男と女は性的に違うように役割も違う。母と父は子にとって決定的に違う。女と男は永久の対幻想でもあり絶対性の関係でもある。

 本来、男と女の問題に、女も働くことが当然だ、というような幻想をもたせる政策にぼくは違和感をもっている。法的に平等であれば、あとは放っておくのがよいように思える。子供を犠牲にしてまで、この消費社会に女性を動員させなければならない社会がよいとは思えない。女性が2年仕事を休める環境を整えるのがよいと思う。老人には手厚い社会であるから、ちょっと老人への給付を若い世代に移行するか、公共工事を減らして女性への支援に使うのがよいと思う。 



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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-07-27 08:06:53
教え子です。
「子を犠牲にしてまで女性が働くことに違和感」に同意します。

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