25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ホモ サピエンス

2018年01月05日 | 

 人類に遺伝子の突然変異は再びないのだろうか。250万年前に、二匹のチンパージーがいて、一匹に突然変異は起こらず、もう一匹に人類への突然変異が起こった。SF映画を見ていると、ついそんなことを思う。

 別に超能力をもつ X menでなくてよい。なにかこれまでの人類ではもっていなかったもの。不要になったものでもよい。

 AIが作れる人間とAIに使われる人間が出てきた場合、つぎの世代の遺伝子はかわらないのか。音楽の天才は三世代を要するのと同じように、人間は能力によって分断されていくのだろうか。コンピュータが全くわからない人とわかる人とでは交信ができないという風に。

 取り残されていくものと進化していくもの。これがよいことか悪いことかはまだわからない。

 他だ確かなことは2000年以上前に人間が考えた内面の規範はいまでもりっぱに通じることだ。目に見えて存在しないものを存在すると考える人間の認知はおそらく永久に変わることはないだろうと思うが、AIが人間の二種の言語(指示表出と自己表出言語)から織り成す深いメタファまで読み取れるようになる頃にはわれわれ人間も滅んでいるのではなかろうか。地球の支配者は人間であると思えばそれは錯誤ではないか。人類が認知を持ったのは7万年前。農業を持ったのは1万5千年前。産業革命から急速に科学化したのは200数十年前。

 人間がどうなっていくかと考えると個人の人生はほんの一瞬の瞬きである。それでもかけがえのない大切なものである。今の時代に生きる人々が未来に繋いでいくもである。それはささやかな営みに延長にある。

 孫たちの70年後はどんな社会なのだろう。さらにそのこどもたちとなれば。


  



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