25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

いろいろと

2017年05月27日 | 文学 思想

 クロマニョン人の時代、人の平均寿命は18年。古代エジプトで、25年。1400年のヨーロッパで30年。1800年のヨーロッパやアメリカで37年。1900年のアメリカで48年。2002年のアメリカで78年。日本では80歳を越えて記録の更新中である。

 寿命が100歳になるのはそう遠い話ではないだろう。

 これが加速するのではないかと現在言われている。老化や病気のうち、医学的に予防可能な症状の50%を予防すれば、平均寿命は150年を超えると予測する学者がいる。さらに、そういった問題の90%を予防すれば、平均寿命は500年。99%ならば1000年以上生きることになる、と。

 この想定がどこまで可能か定かではないが、人類は寿命を伸ばし続けることは確かのように思える。

 想像するに、iPS 細胞の進展やゲノム編集技術が登場し、癌克服もカウントダウンの時期にきている。クローン技術を想像してみれば、じぶん、のコピーができるわけだから、内蔵や脳、血管、神経も自分の体内で作り出すことができるのではないかと、素人のぼくは思う。

 医療の目的は延命させることである。つまりは死を遠ざけていき、やがてどこまでも不老、不死を目指していくことだろう。バイオテクノロジー革命は人間自身を変えるというようになってきた。

 ぼくらは今、幾つかの興味深いテーマをもっている。

 IT技術は人間や、社会をどう変えるか。バイオテクノロジーはどうなっていくか。資本主義はどうなっていくのか。人類は絶滅するのか、とまでは考えないまでも、IT.BT、資本主義の変化はほんの身近なところにある。

 こまかなことも多々ある。交通事故のない社会は作れるのか。自殺を撲滅できるか。宗教は最後まで残るのか。

 そんなことを思っているうちに、人間の三角関係をえがいた漱石は人類の根源的問いかけをしたのではないかと思えてくる。これは人間の観念の世界がこころに及ぼす問題である。永久の問題だといえるのではないか。

 だから漱石はいつまでも読まれるのだ。ファンタジーなどはない。小さな日常にある男と女、友人、親兄弟の

ちまっとした世界であるがこれが底のない井戸のようだ。文学というのはこの底のに井戸を掘って行く作業だ、と思ったら、村上春樹の小説で、実際に井戸に入っていく小説があって、同じようなことを思ったのだろうか、と思うのである。漱石の方がおもしろいが。



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