25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

半農半漁ーアズミ

2016年04月11日 | 日記

 79歳で死んだ僕の父は尾鷲の生まれである。僕は知らないが、父の父、つまり僕の祖父は船主だった。父が幼少の頃に海難事故で救助され、病院で死んだらしい。その祖父は古江の旅館で生まれて育ったことを知ったのは古江の床やさんが知っていて、6年前に初めて知ったのだった。父や母にあまり家系のことなど訊いたことがなかった。父の母、つまる僕には父方の祖母は引本で生まれ、尾鷲に嫁いだ。

 縄文人は主に関東以北が住みやすかったらしく、縄文遺跡は三内丸山に見られるように、集落をつくり、東の方で暮らしていた。稲作技術を持った弥生人にもいろいろな部族というか、民族らしきものがあったようだ。朝日新聞で「アースダイバー」を週1回で連載していて中沢新一が「アズミ」について書いていたので、空想を巡らせることになった。祖父の生まれ、育ちの古江という地域には平地というものがない。家は津波を避けるように山を切り崩し、段々として、そこに家を建てている。ここでは「アズミ」のように半農半漁はできない。「アズミ」は九州からやがて瀬戸内海の方に出立し、瀬戸内海で定住するものやさらに大阪にいたり、紀伊半島を海岸沿いに移動していった。すでに「海人族」が暮らしている。

 祖母の引本も海で生計をたてる村である。ここも農業ができる場所はなかったように思える。

 父の弟は特攻隊員を志願して予科練に入り、出撃の間際で敗戦となった。叔父は祖父のようにそのご船主になり、それをやめ、車を運ぶ大型船の船長となり、退職後は鹿児島の仙台の船間島の公民館長をしていた。器用な人であった。独創性はなかったように思うが、アイデアがあり、こまめで、話好きだった。その叔父が父が新船を買う時、古くなった方の船をもらい受けにきた。尾鷲まで鉄道で来て、帰りには船に乗って船間島まで行ったのである。

「いやなに、海岸沿いに停泊しながらいけばええんじゃ」という具合だに出ていった。この話を思い出し、「アズミ」は沿岸を伝って、紀伊半島海岸部に入ってきたのだろうか、と想像してしまう。

 祖父母が結婚した尾鷲は林業と農業と漁業の町でいわば半農半漁が可能な地域である。明治時代の頃の尾鷲の写真を見れば、農地の多さに驚く。それでもこれだけの小さな町である。祖母は野菜作りというものは一切しなかった。ある朝コロリと死ぬまで天狗倉山さんでびしゃごやさかきを採って一人暮らしていた。子どたちが成人し、結婚してからは全国の工事飯場で飯炊き仕事をして漂っていた。

 そんなことを思いながら、僕は、どうやら「アズミ族の血はひいていないのではないか」と思うのである。根っからの狩猟採集で暮らしてきた血筋なのではあるまいか。ただし半分だけれど。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿