25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

千人殺せるか

2017年10月17日 | 社会・経済・政治

 人一人殺してこい、と言われても普通人間は殺せるものではない。ところが縁さえあれば人千人をも殺してしまうことがあり得るのも人間である。

 戦後、幣原喜重郎や進駐軍によって起草された「戦争放棄」という人類の未来に希望をよせたこの憲法条項は、ぼくの理解によれば、千人もの人を殺すという「縁」を断つものである。集団的自衛権は「縁」を断たず、千人を殺し、殺されることにとびらを開くものである。

 もうひとつこの集団的自衛権について言いたい。この憲法解釈をするのは戦争に行かない人た老人たちである。殺すも殺されるのも、若い自衛官である。あるいは志願する若者かも、徴兵された若者かもしれない。

 現在の内閣で先頭に立って、最前線にいく肝の座った政治家がいるはずもない。アメリカに追従し、戦争にまきこまれたら、反対運動が起きることも想定されて共謀罪も制定されてしまっている。ぼくらはだんだんと身動きができないようになってしまっている。

 安部政権に今人気はなく、不支持率が多いいが、自民党については支持率が多く依然として優勢だと世論調査は伝えている。

 ぼくのような視点から九条が論じられたことも聞かない。もっと憲法についての論議が必要であることは言うまでもない。成長した日本列島人を示すか、後退した日本列島人を示すのかは、この憲法論議にかかっている。ぼくは自分の孫には戦争には参加させない。

 

 



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