25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

現在ではわからぬもの

2018年12月23日 | 音楽 ポップス
 居間のコンポのCD挿入が作動しなくなったので、新しいコンポを買った。十年以上はつかったからよしとしよう。
 設置して、久しぶりにモーツアルトのシンフォニー25番を聴いた。やっぱり良いなあ。モーツアルトと言えば、宮廷音楽家で、とかく華麗なイメージがある。映画「アマデウス」を観ると、死んだあとゴミのように捨てられる最後であった。レクイエムは死の間際に書かれたもので、この作品は暗く、壮大で、悲しみに充ちている。モーツアルトは宮廷を飛び出して庶民がお金を払って聞き、楽しむオペラも作った。
 入場料を払って人々に聴いてもらうスタイルはベートーベンに引き継がれた。
 ぼくはベートーベンの弦楽四重奏が好きで、特に14番、15番と毎晩寝床で聞きながら眠る。時にCDを替えて「大フーガ」のときもある。
 ぼくはそれほど詳しく聴いていないが、ベートーベンの後期の作品は古典派とはいいがたく、現代音楽のようにも聞こえてくる。
 
 音楽を聴くたびに、音楽家がうらやましく思う。お金を取って聴かせるほどになるには大変な努力と辛抱がいることだろう。それに才能がどこまであるのかも気にしなければならない。うらやましいというのにはリスペクトも含まれている。
 ピアノを、バイオリンを、ギターを自由自在かのように弾きこなす人がいる。桑田佳祐のように曲が溢れ出てくる人がいる。音楽に合わせて身体を自由自在に扱えるような若者がいる。
 ところでシューベルトの存命時代、一曲も楽譜は売れなかった。当然彼のシンフォニー「未完成」すら演奏されることなく、若くして逝ってしまった。友人たちや家族の間でシューベルトの曲は行き続け、やがて世にでた。
 せめて50歳くらいまで生きていたらさらに偉大な作品を残していたにちがいない。どうして天才音楽家は短命なにだろう。ショパン39歳。モーツアルト35歳。シューベルト30歳だったと思う。確かではない。 
 現在という時間でもてはやされるものはたいしたものではないのかもしれない、という気持ちも起こる。今も、どこかで100年後に理解される芸術家がいるのだろう。そう思う。
音楽を エルガーの「チェロ協奏曲」に替えた、指揮者およびチェロ奏者ジャクリーヌ デュプレの演奏で絶品と讃えられた盤である、


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