25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

渥美清(風天)の俳句

2016年07月31日 | 文学 思想

  昨日、渥美清が残したという俳句を紹介したテレビ番組を見た。自由律俳句のようだった。僕は「尾崎放哉」の影響を受けているように思えた。しかし、上手い俳句が多かった。

   蟹悪さしたように生き 

横歩きをし、穴の中に入りこんでしまう蟹の様子を滑稽に描いているように見えるが、実は、そんな蟹をじっとみている作者の観察眼岳でなく、その発想と静かな新境がわかり、とても優れているように思える。

  蟹悪さしたように生きる  でもない。蟹悪さしたように生きるなり  でもない。「生き」で止めている。「生き」で止めることで、読む側にボールを投げている。叙述に終わっているのではない。おそらくここはあれこれと考えたのだろう。

  赤とんぼじっとしたまま明日どうする

  好きだから強くぶつけた雪合戦

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俳優って、寅さん、と呼ばれるようになったらおしまいだ、渥美清に早坂暁は苦言を言ったらしい。この話は僕も知っていた。寅さんは「尾崎放哉」を演じたかったらしく、早坂暁と小豆島を訪れもした。放哉の「咳をしてもひとり」という句の咳はどんなものか、結核を患ったおれならできると、早坂暁の前で寝ころんでみせたらしい。 しかしそれは放哉を橋爪功が別局でやってしまい、渥美の放哉は立ち消えになったらしい。

 寅さん一本でいくことを決意した渥美清はどんな思いだったのだろう。寡黙で、私生活のことは一切言わなかったという。撮影現場もとても静かだった、という。没後20年。はや20年かと、月日の過ぎる速さを思う。

 



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