25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

年は変わるさかよう覚えん

2019年04月12日 | 日記
 今日は母親を病院に連れて行った。車中、「あんたの夫の名前をおぼえとる?」ときくち、「のぼる」とすぐに答えた。「じゃあ、あんたの娘は?」「娘らあおったんやろか」「じゃああんたの弟の名前は?ときくと、「ジュンイチ」と答える。「それはオレやがな」と笑ってしまう。
 九鬼までいく道路も初めてみるがごとくに、「長いトンネルなあ」と言い、海を見ては「これは海かな、池かな」と訊いてくる。前にも同じ会話を何度もしている。
 病院も初めてのような態度になる。何のために病院にきているのか、という自覚もなく、腎臓と高血圧と認知症と便秘の薬を飲んでいる自覚もない。
 薬を一包化してもらっているので、今日は便秘薬だけは別にしてもらうことにした。6年前までは便がでないと気になって、すぐに便秘薬を飲んでいた。睡眠導入剤がないと気になって眠れなかったのに、今はもう気にならないので、お医者さんに睡眠薬をはずしてもらい、今日は便秘薬を外してもらい、やがて使うのをホントに便秘のときに使おうと思っている。
 お医者さんはCTを撮るというので、撮るにまかせた。このクリニックに設備があるのだから、母の脳の様子でも見てみるかと思い快諾した。母の脳は6年前と比べると萎縮はしていなかった。脳梗塞はなかった。ただ黒い影が増していた。「これは何ですか」と訊くと、「う~ん、まあ細胞の老化ですかね」「へえ、細胞の老化?皮膚の老化みたいなもんですか」「まあ、そんなもんです」「総合病院でMRI」を撮ってもいいのですが」「それはやめてくだださい」とお断りした。母をまた車に乗せて、デイケアの施設へいく。週3回通っている。ケアマネージャーのHさんに報告をし、これから昼食後、薬をのましてほしいと頼んだ。あとの4日はぼくがすることにした。これまでは母のテーブルの上に毎日置いていたものが、それでも飲むのを忘れるようになったのだった。
 アルブミンは十分にあり栄養状態は非常によかったので、Hさんに「肉、マグロ、肉、マグロの毎日やでな、これやったら100まではいくな」と言ったら、そばにいた老男性が「きょうびらあ、100歳らあいっぱいおるで。肉、マグロやっら120までいくんやないかい」と笑って言った。「ホントやなあ。その覚悟せんなんかいな」とぼくは言って、「ところでおじさんは何歳」と聞いたら笑って「忘れた。年は毎年変わるさかおぼえるのが難しんさ」と言った。


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