25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

静かに「花のあと」を観る

2019年10月13日 | 映画
 小田原の友人に電話をしたら避難所にいると、福島のいわき市にいる細君の伯母たちが下の川の氾濫で高台で孤立していると。娘の家は下が暗渠になっているので、噴き出してはこないかと心配し、息子にも電話をしたら「今山形に出張しとる」と。
 この日本列島は環境的にちょっとおかしくなってきているが、来年も起これば、さすがにみな考えることだろう。しかしどこに引っ越せばいいのだろう。どこだったら災害なく暮らしていけるだろう。
 尾鷲が台風のコースから外れるようになった。大雨の移動もコースが変わってしまった。尾鷲にとっては台風シーズンは四国か紀伊半島に来ていたので、幸運なのだが、もっと面的に広く被害を受けるところが多くなった。たぶん尾鷲沖でサンマが獲れないのも関係している。

 いつか来ると言われる南海トラフ、関東大震災。来るならもう早く来てくれよ、と言いたくなる。テレビで一回が全部浸水したり、竜巻で家が吹き飛ばされるのを見ていると、めげてしまうと思う。老人ならなおさらだ。
 雨が終わって大風がヒューーーーと吹いてくるのも不気味なものである。二時間ほど不気味な風が鳴り響いたのだった。

 夜はひとり静かに江戸時代に浸ろうと、
 藤沢周平の映画「花のあと」を見ることにした。もう三回目である。時の流れがゆっくりとして、武家の娘たちの礼儀作法、立ち居振る舞いと四季の東北の景色の中で生きる「糸」という女性の話である。初めは北川景子ばかり見ていたような気がするが、これは正中線をとって座る、立つ、障子を開ける、歩く、ススッと座って前に進む、というような武士たちがいつの間にか作った作法の映画でもある。昼行燈のような婿に入る男(甲本雅裕)も思慮深く、寛容で、よい男だった。どうやらこの男、最後は筆頭家老にまで昇りつめたそうだ。もちろん映画の中で。
 2011年の映画である。初めて北川景子を知ったが、その後まもなくテレビにも出るようになった。主人公の「糸」は剣術も相当なものなのだ。テレビに出てきた北川景子よりこの「糸」の北川景子は十倍、二十倍良い。

 熱い夏。大型の台風。どうにもならん。明治は江戸期までの文明を壊して近代化した。
 昭和の前期は明治の人たちが築いた近代化に驕り、潰してしまった。関東大震災など起こったら、日本の終わりではないかと思う。

 
  


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