25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

映画芸術

2017年02月10日 | 映画

 オランダ映画「孤独のすすめ」(原題 マッターホルン)を見た。オランダ映画とはどんなものかと興味があった。すると、へんちくりんな物語で、主人公は敬虔なカトリック信者で、妻を亡くし、息子は同性愛者だったため、家を追い出している。主人公は6時丁度に夕食をとり、一日生活時間は几帳面に定めている。そんな彼のとことに、薄汚く、脳のおかしい男と偶然出会うことになり、一晩泊めてやることになる。かれはきちんと面倒をみる。彼がだれかがわからない。わかるまで泊めてあげることになってしまう。そんな主人公は村でホモではないかと疑われ、からかわれ、神父にも説教される。とうとう彼の素性がわかった。優しい妻が待っていた。交通事故で頭が変になってしまったのだった。かれはまたもとの孤独な生活に戻るのだが、頭の変な男は主人公の家がよいらしく戻ってくる。物語の最後に追い出した息子のリサイタルがある、と変な男妻が教えてくれ、息子のショーを見に行くことになる。息子は自分の才能を開花させている。かれは涙をながす。これでおしまいである。

 ぼくはふーんと思いながら見ていた。オランダの田舎も超先進的であり、キッチンにしても汚れたところがない。

 続いてスイスの映画「リスボンに誘われて」を三日後くらいに見た。通勤途中、橋の上から飛び込みそうな女性を助けることになる。それが切っ掛けで、リスボンに出かけ、1976年まで続いたポルトガルの独裁政権を倒そうとするグループの過去の話を聞きまわるのである。

 どちらの映画もセリフの哲学性といおうか、思弁性格といおうか、徹底している。世間話などいうものは一切ない。アメリカ映画に見られるおちょろけもない。ひたすら真面目であり、思考することが生活だといわんばかりである。

 ヨーロッパの先進国では人々はどんな風にづごしているのだろう、という関心が以前からあった。制度だけでなく、考え方にも関心があった。それで2本の映画を見てみた理由だった。マッタクエンターテイメント性はなく、むしろそんなものは要らないという風だった。映画がエンターテイメントというのはアメリカ始まる。日常生活はエンターテイメントなどそうそうあるもおではない。

 映画をひとつの芸術手段、自己表現の手段と考えている傾向があるのかもしれない。



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