昨日、行司となる若者を主人公にした、青春小説を書き終えた。さっそく今日から手直し、校正をしている。「相撲とりになるど」のスピンオフ小説である。勉強に身が入らず、デザインの専門学校いこうか、どうしたらよいか、迷っている高校3年生。相撲部屋をやっている叔父から、行司枠が空いたので、和馬に声をかける。カメラの眼をもっているのを叔父は知っている。 おもしろおかしく書いているわけではない。真面目に、18歳の少年を描いたつもりである。
テレビドラマで「家を売る」という北川景子のドラマがある。セリフを聞いていると、これじゃあ明治の漱石も敵わんぜ、と思わず思う。脚本技術は進みまくり、 小説でいわんとすることをこともなげそうに、人の気持ちを書いてしまい、役者は演じてしまう。裾野がひろがったサブカルチャーはサブをとっていいのかもしれない。「坊っちゃん」と「家を売る」とでは断然、「家を売る」の方が面白い。それはそうだろう。明治時代に「坊っちゃん」程度の読み物なんてなかったのだから。言語のみで表現できる芸術は、俳句や短歌以外にあり得るのだろうかとも思えてくる。たしかに「千年の愉楽」は本が勝っていた。テレビドラマや映画にできないものもある。逆もある。芸術は分野も飛び散ってひろがっていったが、大切な作品として残していくのは、なんとも知れぬ大衆の無意識なのだろう。良いものを残すというなにかが働くのだろう。芥川賞をとっても、残らない作家はいっぱいいる。面白く読んでも心にしみ、残らない作品は星の数ほどある。
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