25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

不寛容な社会

2018年10月25日 | 社会・経済・政治
 日本はいつの間にか不寛容な社会になりつつあることは強く思ってきた。ネトウヨもヘイトスピーチも、モンスターペアレントも、クレーマーもこの社会の産物である。
 ところが一方では責任を嫌う。原発事故でも、結局責任の所在を明確にせず、賠償金へ援助を国民の税金でやっている有り様である。モリカケでも逃げ切る面の厚さはある。こういうことには日本は寛容で韓国のようなデモにならない。矛盾しているのである。
 テレビで流れる抗菌の宣伝。床も、ソファも台所も菌だらけだと言い、商品を買うように脅かす。不倫で騒ぎ、不清潔を忌まわしいものと思い、虫を嫌う。
 紫外線はシミをつくるとなれば、紫外線カットの縁の長い、首までをも被った帽子をかぶり、腕も、手も包み込む。

 安田純平氏。戦争地域の人々の有り様を取材しようとあえて危険地域に行った。運悪く拘禁されることになったが、ぼくらは彼を責めるべきではない。ジャーナリストには危険であっても伝えなくてはならないことがある。自分の目で見て、会話して、確かめて、実情を世界に知らせるのが仕事である。多くのジャーナリストは危ないからと、行かないから、現地の状況が伝わって来ない。
 安田さんのような人は始めっから責任をとるつもりでいることだろう。「自己責任だ」「税金を使うな」
 よく言ったものだ。こういう意見がSNSで出てくる。1%ほどの暇な年金生活者にネトウヨは多いという。その1%が騒ぐと38%に感染する。
 大多数が戦争などしたくないのに、少数のものが勢いよく吠えて、戦争に突入する。その時はすでに遅く物言えぬ社会となっている。
 政府が国民の命をだれであれ救うことに尽力することは当たり前だ。それができない政府なら存在意味がない。
 



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