25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

中島みゆき EAST ASIA

2019年01月29日 | 音楽 ポップス
 NHK「Songs」が中島みゆきを特集した。時は1970年代から80年までものだった。彼女の歌は息が長い。歌そのものがもちこたえる力が強く長いという意味だ。「糸」なんてのはもう何年前のものだろう。それが新曲のように歌われている。幾人かの歌手がカバーするからだろう。
 1998年から、ぼくは人生を破壊してしまうようなことが起き、たぶん精神は奇妙な空虚感となんとかなるさという楽観感が混じり、地は這わず、空に向かって吠えることもせず、浮遊感覚で過ごしたことがあった。
 中島みゆきの歌を追いかけることもなく、この時期の歌が記憶からすっぽりと抜けているとともに、音楽の関心が違う方面に行っていたのだと思う。
 昨日聴いた「EAST ASIA」という歌は1992年ものである。すべてが暗喩で綴られている。現代詩として良い詩だと思う。メロディーは中国調で、やや複雑である。
 最後の部分に、
  世界の場所を教える地図は
  誰でも自分が真ん中だと言い張る 
  私のくにをどこかに乗せて地球は
  くすくす笑いながら回ってゆく
  くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
  むずかしくは知らないただEAST ASIA

 とある。NHKのSongs の映像は2007年の「歌旅コンサート」からのものだという。自分のお父さんが死んだときに書いた「雪」という歌も切ない歌だが、父の死には触れず、恋人なのか、恋愛話なのかわからないようになっている。歌にする場合、何か気をつけなければならないことがあるのだろう。
 EAST ASIA とはどこのくになんだと詮索するのはおかしい。今の世界は未だに国民国家によって構成されている。国民国家である限り、地図では自分の国を真ん中に置く。国民国家というのは一種の宗教と言っていい最終の姿であり、これが永遠に続く姿でもない。中島みゆきはりっぱな詩人である。
「ホームにて」「蕎麦屋」もよかった。録画しておいたので何度でも見ることができる。聴くことができる。
 ぼくはあの時期を埋めたいかのようにこれらの歌を聴いている。
 


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