25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

絞首刑

2018年07月06日 | 文学 思想
 原始キリスト教が聖書をもつに至るまで100年から200年という年月がかかっているように思われる。十二使徒はヨハネを除き、悲惨な殉教をしている。ぺテロは逆磔刑、バルトロマイは生きたまま皮をはがれて殉教した。迫害され、追いつめられていくなかで、経験し、考えたことは、現在の多くの世界での道徳にまでもなっている。ローマ帝国がキリスト教を国教としたのは300年代のことでる。

 今日、麻原彰晃こと松本智津夫ら七人のオウム真理教幹部が処刑されるというニュースを聞いた。麻原は何も言うことなく絞首刑となり死んだ。
 オウム真理教はその後「アレフ」と「ひかりの輪」に分かれ、さらに少人数による分派もできている。
 強固な共同幻想の中では個人幻想としての猜疑心が高まり、自分が自分を裏切ることもあり得る。仲間同士での憎悪とて起きる。連合赤軍のリンチ事件はそのことを露にした。

 オウム真理教も追い詰められていた。最後は武装化をすすめ、無関係な人を殺した地下鉄サリン事件を起こした。過激で反逆的な宗教集団はこれで終わったかと思ったが、まだ今でも入信する人がいるのである。

 宗教として持続していくためには聖書に似た何かをつくり、何百年と持ちこたえるものにしていくのだろう。次世代、次次世代、やがて初期オウム真理教も変質していくのだろう。

 自分たちが絶対だという閉じた共同幻想を開かれた共同幻想に転化できるかどうかが集団や共同体、ひいては国家の解かれなければならない人類の課題である。俺たちが絶対だという党派性はもう克服されなければならない。

 殺された人側から見ても、このくらいのものが絞首刑になったとしても溜飲が下がるということはないだろう。なぜ、いまだ、アレフに入信し、麻原に絶対帰依するのか。その苛立ちに生涯つきまとわれ、苦しまなければならないのか。人間の関係による普遍的な問いかけである。


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